湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

9/10 高校生向けシリーズ 災害放送局のこと上

2024-09-11 02:00:00 | 地震津波災害ボランティア
⚫︎「にほん防災(福祉)むかし話05〜阪神淡路大震災・有珠山噴火災害後FM-MCやってた高校生〜」
阪神淡路大震災は1995、有珠山噴火災害は2000、東日本大震災は2011。このすべてに、災害地域情報放送FMが活躍した。ぎゅっと、まとめたから、重くなってしまった。語らせば一日中話せるぞ。いらん…、そっか。

茅ヶ崎市役所隣にも、市内をエリアにした地域FMのスタジオがある。発災時には、災害関連のローカル情報というか、お知らせが放送される。しかしこれらは半プロ運営。市と契約して災害対策活動紹介を担う。いつどこで飲料水配給があるとか。

今は半プロが日常放送していて、発災時公共情報を流すという形が、定番になっているが、さてさて、実は昔は違っていた。
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阪神淡路大震災のとき、私は神戸市長田区のや「FMワイワイ」の支援をしていた。当時の電波法で許される微弱波を使って、次々に中継局がエリアを広げていく方法で、区内をフォローしていて、私的放送局をたちあげていた。私たちもBNS3FMという週1放送を浜見平北と湘南ライフタウンで3年ほど、おしゃべり放送をしてきた関係で、FMワイワイの支援をした。ミニFMと呼ばれ、私のは塾の中学生たち。FMワイワイは、大学生と若い社会人に紛れて高校生がいた。曲の合間にトークが入る典型的な「ディスクジョッキー」だが、このトークの部分が、在神戸外国人に、震災ニュースや、公共情報を流した。神戸は外国人比率が高く、リスナーも多く、間も無く放送局認可を取って、アマチュアではなくなったが、災害と放送というスタイルがこの頃出来上がった。生み出したのは学生たちだ。
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有珠山噴火災害になると、様子はだいぶ変わってくる。発災直後、動いたのは青年会議所だった。学生というより、地元若手経営者と、高校生が個人的知り合いつながりで、提案。虻田町が承認して、期間限定認可地域放送局をたちあげた。番組表はかなりラフで、飛び込み乱入おしゃべりがかなりあったという。震災地域情報だけでなく、個人が持ち込んだイベント情報なども流していた。危ねえなとおもう行政職員や先生もいるかと思うが、ちょっと雰囲気が違う。家庭つけっぱなしリスナーや、車リスナーが、じもとつながりで結構聞いていたと、私の知り合いの室蘭民報の記者さんが、教えてくれた。実用放送が多かったからだろうという。半年ちょい続いた。失礼だが、田舎だなあと思う。荒れないからだ。

だいじなことは、町営放送なのにスタッフが自由に増減し、飛び込みティーンズがMCをしたり、取材に飛び回っていたときく。なかなかだと思う。

この直後から、全国に個人のミニFM局のあだ花が咲き、次々にFMラジオからYOUTUBEなどのSNSメディアに移行していった。一方、行政や官製団体は、被災地域コミュニティ放送を災害対策に組み込み、民間FM団体に委託する形を取り決めたが、今はFMだけでなく、インターネット利用の併用型が試みられている。ただこれは、民間FM会社の方針に任されているが、高校生の参加の道は細そうだ。これは行政主導の硬さと同時に、FM放送はプロの仕事という意識もあるように思う。でも、やりたければいってみるといい。無理だとは思わない。
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東日本大震災以降の話は、長くなったので、続編に移すが、これらは発災時、君個人の判断で始めることで、高校生としてではない。何百人もがマイクにぎったら、こわいだろう?個人に機会を与えるのが災害。ただ、爺いだからいうが、不確かなことや、嘘を流してはいけない。若きジャーナリストって、かっこつけてもいいんじゃないかなあ。

(もうちょい続く)








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