湘南オンラインフレネ日誌

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SOFの問わず語り(SOFは e-learning ではない)

2004-09-03 06:08:32 | フリースクール
 ぱれいしあさんに応答ついでに、もう少しSOFの実践への思い入れを語ってみようと思う。

 従来、教育の基本は「読み・書き・計算」といわれた。社会人としての基本的な技能を身につけるために未熟な大人として、いわばお預けを食う形で、卒業というパスポートを得るまでは、子どもは隔離形成されるものとして、社会参加の公民権は制約されていた。

 しかしこのまなびの構造が、ある特定の時代のものであり、その基底が揺らいでいるために、矛盾を通して背景が見えてきた。とまあ、こんな大きな前提があって、その枠に従っていても、そこそこのものしか見えてこなくなってきている。

 文化人類学とか民俗学などでは「読み書き」が社会必須のものとはいえないという「無文字文化」の社会が明らかになってきた。「計算」に至っては、私生活の範囲では小4程度の四則計算と小数が理解できていれば日常生活は何とかなってしまうのが実態。この四則計算すら、「計算」の意味さえわかっていれば、「計算」そのものは数百円の電卓があれば、どうにかなってしまう。学校という制度そのものも、日本では明治の学制発布以降のことであり、それ以前の社会では、職業集団の周辺から徐々に重要な役割を体得し役割を与えられていくという、大人の生産集団と結びついたまなびのあり方が行われていたし、その仕事も地域の中に組み込まれていたがゆえに、職業教育そのものが社会教育と密につながっていた。つまり学校制度下の子どもの現在は公的には隔離され、私生活に押し込められたものとなっているが、そのあり方は決して普遍の原理に基づいているものではないこと。よって、その枠組み以外の別のまなびがないわけではないということだ。

 僕は不登校・引きこもりの子たちの鋭敏な嗅覚を感じている。それは学齢という時間枠にはめこまれたまなびが、個的な体験と交差するところで軋みをあげていること、取り結ぶ近未来社会が不安定・没個性の価値観しか呈示できず、公的な社会参加(職業・政治)と消費的な私生活の乖離を利用する形で、とりあえず消費的な私生活に身を委ねることに身の置き場を確保していることだ。これは間違いではない。ただ、そこには軋轢から垣間見えた世界を開く論も術もないのだ。

 先送りの学習構造から脱するまなびを生み出すことは出来ないものだろうか。家にいることのメリットを活かしたまなび、学校外にもうひとつのまなびを生み出したいと考えた。子どもの現在を定位できるフィールドワークのまなび、情報庫としてというより、人と出会い、結びつくことを容易にしたインターネット・テレコムを生かした柔軟なまなびを作ることだ。

 従来の教育者の論理は学校を基軸にしてまわっている。リベラルな論者にしても、子どもの善導論であったり、教員芸人論だったりする。子どもが客体ではなく当事者として発想されていない。

 一方、フリースペース実践者は臨床心理的な裏づけを得て「見守り」を行い、その場から身を切り替えようとし始めた子に、従来の学校制度下の高校・専門学校・大学への道を資格習得の実利として納得させて再組み込みしてしまう。ことは全く解決していないのに、受け皿を問うような創造力をもち得ないでいる。

 僕は学校が無価値であるとは思っていない。しかしモノカルチャーは硬直している。ひとは個的な事情のなかで考える。そのテンポを保障するには一斉授業の学校では無理だ。ひとつの世代集団の中に、子どもを丸抱えすること自身がすでにおかしなことなのだ。とはいえもうひとつのまなびを考えたとき、なしうることの落差は歴然としている。それは学校を経由しない子ども参加を地域社会が認めていないからだし、子どもが分断されているからなのだ。

 ここにひとつの鍵がある。それは「フィールドワーク」という鍵だ。「フィールドワーク」への誘いとしてインターネットを通じて生まれる出会いを膨らませていく方法だ。時にはそれはインターンシップ制度のような姿をとることもある。「いま・ここ」の充実を求め、大人と子どもの出会いを組織すること。

 このまなびは学校に通う子たちにも波及していくだろう。もちろんそこは、政治・市民運動の力が媒介する過程を経ることになるだろう。

 フリースペースの中から「次を求める子への環境作り」は、「もとのさや」に収まることではない。逆に言えば子どもを含んだ社会への構想力が問われていることなのだが、まずは各領域からのフィールドワークの立ち上げを始めて行きたい。ひとがいる。僕の仕事はその触発のモデルになることだ。ひとの磁場となることだ。

 僕はもうひとつの援軍をHP開設者・地域図書館リファレンス・退職地域生活者に見ている。やがて賛同者や企業などの協力も出てくるだろう。特にインターネット・コンテンツは大事なものとなる。転変の激しく、且つ真偽の曖昧な世界だから、吟味改訂を行うオンライン協力者の実務的な結びつきが、地味だが大事な役割を持ってくる。常に顔見せの出来る空間的なひろがりの単位を意識し、ゼミと図書館を学校外に備えたような運動がSOFの試みなのだ。

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