湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

母ようやく復帰し

2010-01-23 12:36:32 | 引きこもり
前に父の転倒に巻き込まれて1日入院の被害にあった母の友人が、突然応援にきてくれた。母に電話があり、身動きできない状態を話したらしい。しかし、とんでもない迷惑をかけてしまったものだ。申し訳ない。

この方の訪問の緊張のせいか、母もパジャマを着替えて茶の間に出てきていた。私の階段落下の話から、巨体に巻き込まれる恐ろしさの話となった。その方は母とふたりで父に面会と、父の部屋に上っていったが、父はその方を全く覚えておらず、気分を害すというより、その奇異なほど徹底した認知症の物忘れに驚いて1階の茶の間に降りてこられた。父は最大限の笑顔で「初対面」の客への挨拶をした。定形の対話、それだけを聞いていれば、認知症だとは誰も思わない。母は近所の医師の診察で、風邪ではなく喉のアレルギーと言われたので、久々に父のそばに行ったのだが、妻の病状に何も問いがないので、父を小突きたくなったのだと、その方に説明し笑った。私は医者の薬が効いたなと、ひとり介護状態から救われた気になっていた。

この方が、20時頃までいてくれるとのご厚意に甘えて、湘南あそなろ会の連絡メモと、「わーく」、画像ネットワークの就労支援の関連資料を作りに行った。中邑賢龍氏(東大先端技術研)の、携帯電話副次機能の利用価値を紹介した日経パソコンの記事などだ。ネットワーク実現の可能性と就労底上げの話である。インフラを整え触媒のようにつなぐ黒子集団作り。その賽を振りたい。思いだけが募っていく。

湘南あすなろ会の配布資料も作った。ワンコイン基金の構想の効果をいかに開放していくか、その現実味をマイクロファイナンスの信頼構築の鍵を資料化したもの。ホームレスへの捨て銭という批判に応える資料だが、まだ説得力に欠く。こちらも、ビッグイシュー販売員のおふたりさんを支援する枠を超えていることから、内容はHLの会などの実績のある会と話す以外ない。構想の裏づけのない基金は成功しないからだ。

ともあれ、ふたつの資料を仕上げて、私信をつけて関連団体のレターケースに入れてきた。やっと母が復帰しつつあるが、いつ私が身動きできなくなるか不安を抱えたままの、そういう意味で無責任な提案である。

およそ2時間。まもなく若松町では会議が始まる直前の19時、残りの資料を抱えてサポセンを出た。

弁当を抱えて家に戻ると、母の知り合いの方は帰った後だった。救急入院した日、先方の家族は大変だったらしい。先方も歩行困難な親御さんを抱えており、お世話は、この方のいうことしか聞かないため、入院の知らせに、「病院に様子を見に行く」とタクシーを呼んでしまったのを治めるのに、家族中大騒ぎだったらしい。父の件で「入院した私のことは忘れられていた」と、訪ねてくださった方は苦笑いされていたとか。「検査だけだったので、翌朝退院となった」というのだが、これが重症を負わせていたらと考えると肝が冷える。

お茶をつけて、父の部屋に弁当を持って行くと、下半身裸のまま、足が片方ベッド下にずり落ちていびきをかいていた。「食事だ」と、私が父の焼き物のタヌキのような腹を叩くと、無言で私の手を払ったかと思うと突然起き上がり、転がるようにベッド下に落ちてしまった。これでは出かけることができない。

力技で椅子に座らせ、紙パンツ交換している最中、私の頭上では、割り箸が行き来していた。「交換の最中だけでも、食事を待ってくれ」というと立ち上がってトイレにつかまり歩きというか、足を引きずって、食器を引っ掛けそうになって移動が始まった。口の中には食べかけの惣菜が入ったままだ。

「この人はどうしてこう落ちつかないのだろうか」と考える。昔から、てきぱきと事をやりたいタイプだった。その気の焦りが表れているのだろうか。椅子に足を引っ掛け、椅子を倒してしまった。反対側の手は、危うく味噌汁の椀に手を入れるところだった。何か事がおきたとき、私はすべての意識をそこに持っていかない習性が身に付いている。父は、叔父・曾祖母・祖父・祖母に継ぐ5人目の介護、父が役割放棄したための代理として、20年近くの介護経験が生んだ悲しい習慣である。

椅子を直している私の背後で、父は汚れた手のまま、弁当の魚をつまんでいた。悲しみをかみ殺して椅子に座らせ、部屋を出た。

母は何も食べたくないという。即興で鶏のササミを湯がいて裂き、塩昆布短冊に切って混ぜ込み、ポリ袋に入れて流水で冷やし、味が滲みないうちに出した。塩気が欲しい病人食である。不細工だが小ぶりの握り飯を作って、弁当惣菜を皿に並べなおした。こうして食事忌避を越えたのだが、母は、おかき(かき餅)を作れと言った。すぐにやめてしまったが和菓子の専門学校に爺のくせに飛び込んだことがあった。煎餅試作品を作ったうちの、初期の成功例だった。しかしこれは、胃切除した母が食べられるはずもなく、私にちょっかいをかける遊び言葉だった。「そこの千円札の天ぷらでもやるか」と応酬して、なんとか母の食事が終わった。「千円ではなく一万円札といいたいよな」と笑った。

冷めたお茶を傍らに、弁当をつついた。片手に北村さんの著書を持っていた。まもなく読み終わる。増刷部分は初めてだが、道頓堀の事件の書は昔読んでいた。感情に深入りせずに、腕力のある表現で情感漏らさず核心に迫っていくルポは、太郎次郎社好みの力作である。ソーシャルインクルージョン推進機構の阿部さんと話したときも、擦り切れた言い回しだが「言霊」を信じるかという話、深く響く言葉を失った生き方を私たちはあまりにも見すぎている。感動に流されないということと、感動しないといことは違う。私は情緒的な言葉は、裏返してみる習性がある。しかし表に戻したときの感動は煤けさせない。情緒を行動基準にするのは大嫌いだが、感じない相手と組むのもいやだ。

何を熱くなっているんだろうと、北村さんの書を置いて、冷たい弁当をかき込んだ。

集団の中には毒草のような人物がかならずいる。ひとをいがみ合わせる言動を入れ込む。しかしその人は、別の視角を覚醒させる役割を持っている。私は自分の目と耳で収集したもの以外は生では信じない。平板沈静化した集団こそ動くのが難しい集団である。だから差異を生み出す力動の根源なのである。北村さんが授業作りで取り組んだ、子ども夜回りの映像は、いじめと差別というひとの根源に関わるものだから、真と偽、取り混ぜた意見が出てくる可能性がある。あれこれ反響を想像して炊事を片付けた。

本業は今月がた減りに安くなる。時間制も含んでいるからだ。首にならないだけいいのかもしれないが、ひとり夜間傾聴の準備しているとのしかかってくるものがある。

今日は翔の会主催、障がい者就労支援の松為信雄氏の講演会だ。IPSの紹介書の翻訳者でもある。引きこもり青年を支える場合、IPS的な発想を支えるチームの姿のヒントが得られないかと思っている。今回はコミュニティショップ型からの発展の語りが出ると思っている。といっても、今回、母からの緊急呼び出しがないことを祈るのみなのだ。

女性センターのキャンセル、時間切れか。土日休みが本当に邪魔になる。銀行入金も出来ない。ともあれ出かける。

父のベッドの出入り口をレバーでロックしつつ。…無駄だなと。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     相模大野3君(仮名・初)


(校正2回目済み)

コメント
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