とにかく午前中の企画は嫌である。一昨日、朝9時からのスペアちがさきの定例会は、結局定時には間に合わなかった。早朝、おっつけ仕事で仕上げた提案書を、定例会に向かう途中、茅ヶ崎サポセンでプリントアウト。既に試写を終えた定例会に1時間遅れで飛び込んだ。「プライド・in・ブルー」という知的障碍の2006年INAS-FIDサッカー世界選手権大会に出場した日本チームの記録だ。
ひとつの夢に向かって、ひとの思いが束ねられていくときの人間模様というスタイルは、いつも応援席に座ると、外側に押しやられた人の冷え冷えとした視線を感じて、私は熱くなることができない。内ができることは外が出来ること。まあ頑張ることがいけないというのではないから、やめろとはいえないが、私の役割ではないと感じている。すねているのではなく、どんなに抑圧されてきた方たちのチームであっても、観客になれない方、観客という役割にはめられることを拒否する方がいる。その存在に自覚的でありたいと思うから、この手の呼びかけにはいつも乗り切れない。感動にはいつも作り物と排除の棘が刺さっている。
そこに、就労支援レポートの上映と講演を持ち込むのである。事前に会の代表に画像を見てもらっていたとはいうものの、なんともタイミングが悪いのである。会館のロビーの長いすを囲んで話し込んでいる方たちに、私の席を空けてくださった方がいらしたが、荷物を押しのけ、ロの字型に組まれた長いすの隅に外側を向いて腰掛けた。他の方が立っているということが許されることではなかったからだ。
身をねじって提案書を配布することが、今の自分の心境そのままだった。この団体は、年度計画をたててその中で動く。自然発生的な活動ではない組織型の活動を基本にしている。話は、やはり、新年度提案として4月以降に提案は持ち越された。私が持ち込んだ都教委のビデオの一番の見て欲しい相手が、手帳を持っている方ではなく、高機能の方、手帳を取得していない、または「しない」層の方たちだったから、この判断は、提案はしているので尊重しようと思っている。
特別支援校(旧養護学校)を経ている方たちの活動は、身体や精神などの中途発症者の方を含んでいても、子どもの頃からの「育て上げ」の延長に就労支援が出てくる。社会の課題というより、当人の課題なのである。その意味で当事者家族のハンデキャップを超える長年の関係者の結束が出来上がっている。
支援の制度枠も、福祉系の事業所か福祉枠の企業就労に向けられ助成されている。だからいわゆる地域起業のような活動は副次的に扱われる。社会参画という側面は、企業生産活動の職場の人間関係と営業上の社会性という話になっていく。
健常者とともに働き、生活圏に知人・友人として人間関係を取り結びながら生きていくという前資本主義的発想は、作業所の販売活動のような健常者とは別な、長年連れ添った仲間の結束の活動として発想されてしまう。「街の中で働く」という理想は、「ともに働く」「つなぎつながりながら働く」という線とは一線を画した、際どい純粋培養型の壁が出来てしまう。
この意味で言えば、若松町のたい焼き屋さんは、その境界を横断しつつある活動だが、店舗という、なかなか真似のできない高額な舞台を必要としたのである。その場所の目的が、使う当事者の生活拠点のような旧制度の発想を引きずってしまう。地域の方はお客さんなのである。
私の持ち込んだ企業就労紹介ビデオは、手帳を持った方の関係者には、既知の画像であり、高機能の方に偏した不満を抱えるものである。企業という社会、生産という課題、受け皿の場所という関心から観ることになる。しかし、高機能の方には、なかなか事前の就労ガイドのチャンスがない。一般就労の水準をクリアできるか否かを、健常者の事例を提供されて判断するというマイナスの見方で考えてきた。それが今回のビデオでは、これなら可能かもしれないという判断にシフトする意味合いがある。私の考える就労提案はここに仕事と人間関係、そして場のモチベーションの意義を大きく取り込むものなのだが、まずは、口火に当たる今回のビデオで、今までの就労イメージを膨らませることが出来ると思っている。今まで言われ続けてきた対人関係の弱さという制約も、実は企業ポリシーに大きく依存するものであり、実は予想しているよりは職域職種の拡がりがあるということも気付いてもらえると思う。それらの意味でこのビデオは、高機能の方向けなのである。
「わーく」編集部の日程はともかく、「サポチガ地域就労支援PJ」としても、とりあえず存続している今年度から、存在が保証されていない来年度の企画になることは、存続というバーを越えなくてはならないのだ。課題が投げ返されたという予測された宿題を抱えて定例会から席を立った。
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13時半からは、東京の「就労支援推進ネットワーク」主催の講演会「Kaienがめざすもの -Kaienの設立とこれからのミッション-」が予定されていた。駅の立ち食いソバ屋で慌しく食事を済ませた後、東京の自由昇降券を買って、会場のすみだ産業会館のある錦糸町駅に向かったのだった。
とにかく睡眠不足で体の節々が痛んだ。藤沢の昇降時の間に、少し強引な席確保をして、とにかく目を閉じた。闇がぐるぐると回り、気がついたときは品川を過ぎていた。
今年はどうやら厄年のようなのだ。会館は駅前の丸井の上階にある。エレベータに乗ろうとしたら、乳児をベビーカーに乗せ、3歳ほどの男の子を連れた母子が乗り込んできた。ベビーカーが入ったその後ろから乗り込んできた男の子が、エレベータの扉に挟まれそうになって、私はポケットから手を出して扉を押さえ、男の子を室内に入れたのだった。
このとき、私のポケットから切符状のものがぽろりと落ちた。次の瞬間、男の子がその紙片を拾って、ご丁寧にも、何を思ったかしゃがみこんで、床とエレベータの数ミリの隙間に差し込んでしまったのだった。男の子を危ない境目から奥に送ったところで扉が閉まった。私は左ポケットに重要なものを入れる習慣がないので、3枚の自由昇降券の注意書きが落ちたと思い込んでいた。
母親の謝罪を右ポケットの切符の存在を手探りして確認し、不要のものだったからと応答し、親子と別れた。このあと会場がないという異常に、会館事務局に問い合わせると、キャンセルになっているという。なにも指示が残されていないのだった。急いでiPhoneを使って、ネットワークのHPを確認すると、「台東区生涯学習センター」に会場変更さえているのが分かった。12月の理事長小林さんの茅ヶ崎講演の際、1月の研究会にお邪魔する旨、直接申し込んでいた。だから余計いけなかったのだ。急ぎ地図を確認。どこからも遠い会場に、浅草橋経由の浅草というコースを選び、改札口を通ろうとしたら切符がなくなっていた。エレベータの隙間である。視野の狭い幼児の関心の示し方の典型例を味わってしまったのだ。私の右ポケットにあった切符は切符の領収証だった。
ダブルパンチを食らって、パスモで改札口を通った。切符を買ったことが仇になってしまった。浅草の改札で、通過する前に駅員さんに台東区生涯学習センター隣の金竜小の場所を聞いた。それなら田原町からの方が近いというアドバイスをもらって、合羽橋の端の田原町から会場を探し出した。ところが土曜日、店の休みが多く通行人がいないのだった。センターに電話すると、入谷からしか自分が来たことがないと、話の要領を得ない。結局錦糸町を出て1時間半後、講演が終わったところに飛び込むことになった。会費2千円。私は会場で「わーく」の取材源となる方と接点を取るもうひとつの目的があったので会場費を払ってQ&Aに参加した。
さすがに主催者が事情を察し、会場費を返金したが、講演自体は全く聴くことが出来なかった。かわりにKaienの鈴木取締役に取材の約束をとることが出来た。また牛久の発達障がい外来を持つ病院の担当医の方と知り合いになって、お時間を少しいただいて、取材の基礎を作ってきた。
ここの詳細は、雰囲気がかなり違う。ただ、主催関係者や、研究会講演者がかなり今後の茅ヶ崎講演会の講師と重なるので、ここは次回の話に譲る。とにかく年齢層が若い。白髪頭は私以外はひとりだけ。問題意識の差が大きそうだ。
とりあえず、中途ご報告、どじ話なり。
(校正2回目済み)
ひとつの夢に向かって、ひとの思いが束ねられていくときの人間模様というスタイルは、いつも応援席に座ると、外側に押しやられた人の冷え冷えとした視線を感じて、私は熱くなることができない。内ができることは外が出来ること。まあ頑張ることがいけないというのではないから、やめろとはいえないが、私の役割ではないと感じている。すねているのではなく、どんなに抑圧されてきた方たちのチームであっても、観客になれない方、観客という役割にはめられることを拒否する方がいる。その存在に自覚的でありたいと思うから、この手の呼びかけにはいつも乗り切れない。感動にはいつも作り物と排除の棘が刺さっている。
そこに、就労支援レポートの上映と講演を持ち込むのである。事前に会の代表に画像を見てもらっていたとはいうものの、なんともタイミングが悪いのである。会館のロビーの長いすを囲んで話し込んでいる方たちに、私の席を空けてくださった方がいらしたが、荷物を押しのけ、ロの字型に組まれた長いすの隅に外側を向いて腰掛けた。他の方が立っているということが許されることではなかったからだ。
身をねじって提案書を配布することが、今の自分の心境そのままだった。この団体は、年度計画をたててその中で動く。自然発生的な活動ではない組織型の活動を基本にしている。話は、やはり、新年度提案として4月以降に提案は持ち越された。私が持ち込んだ都教委のビデオの一番の見て欲しい相手が、手帳を持っている方ではなく、高機能の方、手帳を取得していない、または「しない」層の方たちだったから、この判断は、提案はしているので尊重しようと思っている。
特別支援校(旧養護学校)を経ている方たちの活動は、身体や精神などの中途発症者の方を含んでいても、子どもの頃からの「育て上げ」の延長に就労支援が出てくる。社会の課題というより、当人の課題なのである。その意味で当事者家族のハンデキャップを超える長年の関係者の結束が出来上がっている。
支援の制度枠も、福祉系の事業所か福祉枠の企業就労に向けられ助成されている。だからいわゆる地域起業のような活動は副次的に扱われる。社会参画という側面は、企業生産活動の職場の人間関係と営業上の社会性という話になっていく。
健常者とともに働き、生活圏に知人・友人として人間関係を取り結びながら生きていくという前資本主義的発想は、作業所の販売活動のような健常者とは別な、長年連れ添った仲間の結束の活動として発想されてしまう。「街の中で働く」という理想は、「ともに働く」「つなぎつながりながら働く」という線とは一線を画した、際どい純粋培養型の壁が出来てしまう。
この意味で言えば、若松町のたい焼き屋さんは、その境界を横断しつつある活動だが、店舗という、なかなか真似のできない高額な舞台を必要としたのである。その場所の目的が、使う当事者の生活拠点のような旧制度の発想を引きずってしまう。地域の方はお客さんなのである。
私の持ち込んだ企業就労紹介ビデオは、手帳を持った方の関係者には、既知の画像であり、高機能の方に偏した不満を抱えるものである。企業という社会、生産という課題、受け皿の場所という関心から観ることになる。しかし、高機能の方には、なかなか事前の就労ガイドのチャンスがない。一般就労の水準をクリアできるか否かを、健常者の事例を提供されて判断するというマイナスの見方で考えてきた。それが今回のビデオでは、これなら可能かもしれないという判断にシフトする意味合いがある。私の考える就労提案はここに仕事と人間関係、そして場のモチベーションの意義を大きく取り込むものなのだが、まずは、口火に当たる今回のビデオで、今までの就労イメージを膨らませることが出来ると思っている。今まで言われ続けてきた対人関係の弱さという制約も、実は企業ポリシーに大きく依存するものであり、実は予想しているよりは職域職種の拡がりがあるということも気付いてもらえると思う。それらの意味でこのビデオは、高機能の方向けなのである。
「わーく」編集部の日程はともかく、「サポチガ地域就労支援PJ」としても、とりあえず存続している今年度から、存在が保証されていない来年度の企画になることは、存続というバーを越えなくてはならないのだ。課題が投げ返されたという予測された宿題を抱えて定例会から席を立った。
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13時半からは、東京の「就労支援推進ネットワーク」主催の講演会「Kaienがめざすもの -Kaienの設立とこれからのミッション-」が予定されていた。駅の立ち食いソバ屋で慌しく食事を済ませた後、東京の自由昇降券を買って、会場のすみだ産業会館のある錦糸町駅に向かったのだった。
とにかく睡眠不足で体の節々が痛んだ。藤沢の昇降時の間に、少し強引な席確保をして、とにかく目を閉じた。闇がぐるぐると回り、気がついたときは品川を過ぎていた。
今年はどうやら厄年のようなのだ。会館は駅前の丸井の上階にある。エレベータに乗ろうとしたら、乳児をベビーカーに乗せ、3歳ほどの男の子を連れた母子が乗り込んできた。ベビーカーが入ったその後ろから乗り込んできた男の子が、エレベータの扉に挟まれそうになって、私はポケットから手を出して扉を押さえ、男の子を室内に入れたのだった。
このとき、私のポケットから切符状のものがぽろりと落ちた。次の瞬間、男の子がその紙片を拾って、ご丁寧にも、何を思ったかしゃがみこんで、床とエレベータの数ミリの隙間に差し込んでしまったのだった。男の子を危ない境目から奥に送ったところで扉が閉まった。私は左ポケットに重要なものを入れる習慣がないので、3枚の自由昇降券の注意書きが落ちたと思い込んでいた。
母親の謝罪を右ポケットの切符の存在を手探りして確認し、不要のものだったからと応答し、親子と別れた。このあと会場がないという異常に、会館事務局に問い合わせると、キャンセルになっているという。なにも指示が残されていないのだった。急いでiPhoneを使って、ネットワークのHPを確認すると、「台東区生涯学習センター」に会場変更さえているのが分かった。12月の理事長小林さんの茅ヶ崎講演の際、1月の研究会にお邪魔する旨、直接申し込んでいた。だから余計いけなかったのだ。急ぎ地図を確認。どこからも遠い会場に、浅草橋経由の浅草というコースを選び、改札口を通ろうとしたら切符がなくなっていた。エレベータの隙間である。視野の狭い幼児の関心の示し方の典型例を味わってしまったのだ。私の右ポケットにあった切符は切符の領収証だった。
ダブルパンチを食らって、パスモで改札口を通った。切符を買ったことが仇になってしまった。浅草の改札で、通過する前に駅員さんに台東区生涯学習センター隣の金竜小の場所を聞いた。それなら田原町からの方が近いというアドバイスをもらって、合羽橋の端の田原町から会場を探し出した。ところが土曜日、店の休みが多く通行人がいないのだった。センターに電話すると、入谷からしか自分が来たことがないと、話の要領を得ない。結局錦糸町を出て1時間半後、講演が終わったところに飛び込むことになった。会費2千円。私は会場で「わーく」の取材源となる方と接点を取るもうひとつの目的があったので会場費を払ってQ&Aに参加した。
さすがに主催者が事情を察し、会場費を返金したが、講演自体は全く聴くことが出来なかった。かわりにKaienの鈴木取締役に取材の約束をとることが出来た。また牛久の発達障がい外来を持つ病院の担当医の方と知り合いになって、お時間を少しいただいて、取材の基礎を作ってきた。
ここの詳細は、雰囲気がかなり違う。ただ、主催関係者や、研究会講演者がかなり今後の茅ヶ崎講演会の講師と重なるので、ここは次回の話に譲る。とにかく年齢層が若い。白髪頭は私以外はひとりだけ。問題意識の差が大きそうだ。
とりあえず、中途ご報告、どじ話なり。
(校正2回目済み)