いきつけの町医者に行き、風邪薬をもらってきた。咳き込みもそうだが、さらに引かない微熱の方が気になっていた。呼吸器は平塚の医院で少々遠いのが難。順待ちしている間、予防接種に来ている子の多さに気が引けてならなかった。
そこにメールが飛び込んだ。昨日は藤沢大庭図書館の面談待機の日だったが、通院時間と重なるので、現在常連さんが卒業してから閑古鳥状態となっていたので休みにした。メールは待機のものではなかった。鶴川に行くようにという指示だった。「担当者と話してもいい」と親御さんに当人が話したらしい。引きこもり青年との話は本当にタイミングである。どうしたものかと思案の末、やはり行くべきと判断し、気後れした分、茅ヶ崎から厚木経由の遠回りで鶴川へと向かった。せわしい藤沢経由が負担だったのだ。
案の定、服薬した薬が効いてきて、厚木に着くときうっかり乗り過ごすところだった。バスを降りたところで親御さんが迎えに来てくれた。つい先ほど荒れたのだという。しかし彼は律儀な男なので、大丈夫だろうと判断した。扉越しの対話だったが、やっとことが動いた。私の様子を見かねて、親御さんが車で送ってくれた。感謝。
車中でレポートを本部にメール。どう勘違いされたか私を乗せた車は厚木街道に入り、本厚木に向かってしまった。私を厚木の人間と勘違いされたのだとわかったので、駅前でおろしてもらい、階段のないバスに延々と揺られて平塚にでたのだった。なにやら旅行気分。平塚から平塚に返されて、遅い夕食の買い物を済ませて帰宅した。土地感覚が東京側の方は違うのだ。
ショック療法だろうか、明日は朝10時からドロノワ倶楽部陶芸WS、午後から茅ヶ崎サポセンで事業代表者会議何とかなりそうだ。夜の授業代講は変更しているので、会議で終わり。しゃべらなければなんとかなるだろう。
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茅ヶ崎市立図書館を私はよく使う。オンライン検索をかけて予約するが、そのときメモに使うのがISBN-Codeだ。数字の配列だけで本が特定できる。ところが不可解なことがおきた。図書館で在庫のある書籍のISBNをメモしておき、オンライン書店の通販のところにかけるとISBNの間違いと表示されてしまう。書籍が昨年末ぐらいのものだから、古くて廃刊という類のあやまりではない。最近のISBNの978の誤りでもない。
例えば雨宮処凛さんの「生きさせろ! 難民化する若者たち」は「4778310479」と出てくるが、実際は「4778310470」、「雇用融解―これが新しい「日本型雇用」なのか」は、実際は「4492260846」なのに「4492260845」と出てくる。やたらにずれてしまうのだ。これを同図書館のオンライン検索にかけると両者とも本来の書籍にたどり着くのだ。つまり,茅ヶ崎図書館検索のISBN-Codeは、当てにならないということ。どこかバグっているのだ。
熊沢誠氏の「格差社会ニッポンで働くということ―雇用と労働のゆくえをみつめて」を買おうとしたら、AMAZONも紀伊国屋も、そんな本はないと応答してきた。茅ヶ崎図書館DBには「4000224789」で合ったそれは、正しくは「4000224786」だった。これはひどい。出版予定書と出版時の書籍コードが違っているのだろうかとも考えている。
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「懇談会通信ピックアップ」の復刊1号がまもなく完成する。11/30の会合で私の続投と資料集発刊が決まれば、手直し程度で発刊できる。そうあってほしいと願う。最終稿は、木曜日の昼食会待機のとき、仕上げるつもりでいる。
職があれば事は動く。しかしその職が問われることが必要だろう。就労が困難な方には、仕事のマッチングがだいじなことになる。今は、現在の職場の中から分業切り出しをすることによって、より平易な仕事を作り出し、その仕事をさせることを試みる。ジョブコーチは、この切り出しやマッチングを行うプロだが、仕事を協業におき、その融合を試みるような労働上の共同性を正面から取り上げることはしない。なぜなら仕事の入り口作りと安定初動が果たせれば、ジョブコーチの仕事の大半は終わっているからだ。
この部分は企業の労務政策上の仕事とされるだろう。ところが引きこもり青年にとっては、それは二の次の問題ではない。職場適合の最中にも常に自分に問いかけている課題だからだ。この部分への相談相手になることは、大事なことだ。しかし一方で、それを意識してする仕事は浅い仕事になってしまう。仕事の瞬間瞬間は没頭している。そのあとに裏づけとして確認される価値観だからなのだ。しかし没頭が先ともいいきれない。引けた腰が動くのも、可能性が開けるときだからだ。
この日々の営みを支えていく活動があったならと私は考える。いわゆる青臭い語りを交わす場である。ここの育て方は、よく行われている食事会のような場でもいい。ただ語ることが嘲笑される関係は絶っていく。
その「職場適合」と問題にするときの職場の変化への柔軟さをどう提起し、生み出していくかに触れて書いてみている。引きこもり青年の受け皿は、そのもの自身も問われることを経文の題目ではなく実際の問題として課題化していくには、「郷に入りては郷に従え」ではないということ。そのことが大事なのだが…。
夜間傾聴>大森君(仮名・彼はいじわるである。人が咳き込むのを待っている。)
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鶴川君の親御さん(仮名)
(校正1回目済み)
そこにメールが飛び込んだ。昨日は藤沢大庭図書館の面談待機の日だったが、通院時間と重なるので、現在常連さんが卒業してから閑古鳥状態となっていたので休みにした。メールは待機のものではなかった。鶴川に行くようにという指示だった。「担当者と話してもいい」と親御さんに当人が話したらしい。引きこもり青年との話は本当にタイミングである。どうしたものかと思案の末、やはり行くべきと判断し、気後れした分、茅ヶ崎から厚木経由の遠回りで鶴川へと向かった。せわしい藤沢経由が負担だったのだ。
案の定、服薬した薬が効いてきて、厚木に着くときうっかり乗り過ごすところだった。バスを降りたところで親御さんが迎えに来てくれた。つい先ほど荒れたのだという。しかし彼は律儀な男なので、大丈夫だろうと判断した。扉越しの対話だったが、やっとことが動いた。私の様子を見かねて、親御さんが車で送ってくれた。感謝。
車中でレポートを本部にメール。どう勘違いされたか私を乗せた車は厚木街道に入り、本厚木に向かってしまった。私を厚木の人間と勘違いされたのだとわかったので、駅前でおろしてもらい、階段のないバスに延々と揺られて平塚にでたのだった。なにやら旅行気分。平塚から平塚に返されて、遅い夕食の買い物を済ませて帰宅した。土地感覚が東京側の方は違うのだ。
ショック療法だろうか、明日は朝10時からドロノワ倶楽部陶芸WS、午後から茅ヶ崎サポセンで事業代表者会議何とかなりそうだ。夜の授業代講は変更しているので、会議で終わり。しゃべらなければなんとかなるだろう。
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茅ヶ崎市立図書館を私はよく使う。オンライン検索をかけて予約するが、そのときメモに使うのがISBN-Codeだ。数字の配列だけで本が特定できる。ところが不可解なことがおきた。図書館で在庫のある書籍のISBNをメモしておき、オンライン書店の通販のところにかけるとISBNの間違いと表示されてしまう。書籍が昨年末ぐらいのものだから、古くて廃刊という類のあやまりではない。最近のISBNの978の誤りでもない。
例えば雨宮処凛さんの「生きさせろ! 難民化する若者たち」は「4778310479」と出てくるが、実際は「4778310470」、「雇用融解―これが新しい「日本型雇用」なのか」は、実際は「4492260846」なのに「4492260845」と出てくる。やたらにずれてしまうのだ。これを同図書館のオンライン検索にかけると両者とも本来の書籍にたどり着くのだ。つまり,茅ヶ崎図書館検索のISBN-Codeは、当てにならないということ。どこかバグっているのだ。
熊沢誠氏の「格差社会ニッポンで働くということ―雇用と労働のゆくえをみつめて」を買おうとしたら、AMAZONも紀伊国屋も、そんな本はないと応答してきた。茅ヶ崎図書館DBには「4000224789」で合ったそれは、正しくは「4000224786」だった。これはひどい。出版予定書と出版時の書籍コードが違っているのだろうかとも考えている。
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「懇談会通信ピックアップ」の復刊1号がまもなく完成する。11/30の会合で私の続投と資料集発刊が決まれば、手直し程度で発刊できる。そうあってほしいと願う。最終稿は、木曜日の昼食会待機のとき、仕上げるつもりでいる。
職があれば事は動く。しかしその職が問われることが必要だろう。就労が困難な方には、仕事のマッチングがだいじなことになる。今は、現在の職場の中から分業切り出しをすることによって、より平易な仕事を作り出し、その仕事をさせることを試みる。ジョブコーチは、この切り出しやマッチングを行うプロだが、仕事を協業におき、その融合を試みるような労働上の共同性を正面から取り上げることはしない。なぜなら仕事の入り口作りと安定初動が果たせれば、ジョブコーチの仕事の大半は終わっているからだ。
この部分は企業の労務政策上の仕事とされるだろう。ところが引きこもり青年にとっては、それは二の次の問題ではない。職場適合の最中にも常に自分に問いかけている課題だからだ。この部分への相談相手になることは、大事なことだ。しかし一方で、それを意識してする仕事は浅い仕事になってしまう。仕事の瞬間瞬間は没頭している。そのあとに裏づけとして確認される価値観だからなのだ。しかし没頭が先ともいいきれない。引けた腰が動くのも、可能性が開けるときだからだ。
この日々の営みを支えていく活動があったならと私は考える。いわゆる青臭い語りを交わす場である。ここの育て方は、よく行われている食事会のような場でもいい。ただ語ることが嘲笑される関係は絶っていく。
その「職場適合」と問題にするときの職場の変化への柔軟さをどう提起し、生み出していくかに触れて書いてみている。引きこもり青年の受け皿は、そのもの自身も問われることを経文の題目ではなく実際の問題として課題化していくには、「郷に入りては郷に従え」ではないということ。そのことが大事なのだが…。
夜間傾聴>大森君(仮名・彼はいじわるである。人が咳き込むのを待っている。)
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鶴川君の親御さん(仮名)
(校正1回目済み)