湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

当事者活動を社会的企業に見るのは夢物語だろうか

2007-11-07 07:14:40 | 引きこもり
珍しく耳傾けてくださる方がいらして、出かけて説明。活動の場の「地域」と財源の「社会的企業」の話をしてきた。

社会的企業は、公益性を持った仕事に雇用を創出し、その経営に企業・行政・市民による第三セクタを立ちあげ、その第三セクタが経営管理する。公益性の高さによっていわば地域がその人材を抱え込むという経営形態のことだ。社会の仕事のおこぼれを頂戴するのではなく、社会の必要に答えていく。社会の要請に基づく、人材の社会参加を保障する流れの中に経営活動がある。

ではその仕事とは何なのだろう。そこに雇用される人たちとは誰なのかを考える。いわゆる「企業就労になじまない」心身障害を伴う若年者であったり、母子寡婦の状態の女性、高齢者、失業者などの社会的弱者があてはまってくるだろう。その雇用は永久就職的なものというより、社会的要請の質に規定されるが、短期的なものは一般就労との間をつなぐプレ就労的なものもある。しかし社会的要請は途切れることはなく、継続的な経営も一般企業並の状態と見ていい。社会的挫折者も含めて考えると、この雇用の場は「地域雇用セイフティネット」のような、誰にも失業に対する安全を保障するものである。再出発と起業の同士を結ぶ場ともなる。

こういう風呂敷が広げられたとき、絵空事と笑うだろうか。この「公益性」は、固定したパイを切り出すものというより、仕事と雇用を「生み出す」ものだ。ではそれを考え、試みていくのは誰だろうか。私はそこに若手の出番を感じている。多様性を体現していく者たちを、逆に格差社会の底辺に押し込められようとしている者に割り当てることが、おかしなことと思うだろうか。高齢化する社会の地域をフィールドにする社会的企業の担い手を若手に「もうひとつの就労(社会参加的就労・地域就労)」として展開してもらうために、枠組をつくり、支援していく活動をやりたいと私は思っている。

この仕事の公益性と主体をあいまいにしたまま、自治体・公的施設の外注を期待することとか、私企業が公的サービスを代替することがコミュニティ・ビジネスと言い換えられて、市民活動を侵食してはいまいか。(市民活動の殻を纏った企業活動のことである。)

どんなに小さな活動からも、そこに社会的な普遍性があれば、需要があれば、その活動は「真似され」広がっていくだろう。企業活動との違いは、「真似」を勧めること。その標準モデルを作っていくことが私たちの課題なのだ。

昨日、ある特殊技能を持つ高齢者関連の助成金団体の関係者の方に話を聞いてくれる話になった。内容が異質なので、助成対象にはならないが、話を聞いてくれることに意味を感じて20分ちょっとお時間を戴いた。別の件で御願いをだしていたのだが、関心を持ってくださったことを感謝します。

篤志家の個人資本出資を前提に考えるのが従来の活動であり、その活動を支援していただくという形だからこそ、拠点型の活動や資本金が少なくて済む職種の起業という形の活動になっていたと思う。しかし社会は、片手間か気まぐれ(失礼)以上に掘り起こされていくだろうか。

ここは故*君の通院していた病院の近くだった。通勤ラッシュに重なることに疲れを感じ、八王子から橋本経由で座り込んで帰ってきた。入谷さん(仮名)と会うことも可能だったが、生半可にちろちろと火のついた心で接することに危うさを感じて、そのまま帰宅した。

財源のない活動はどこまでも絵空事に押し込められるのだろうか。面白さを感じる当事者や、専門職・行政人と出会いたいと思った一日。

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帰宅後1時間仮眠し、夕食の食材補充でスーパーに行って買物をした。レジの支払い時、「54円おつりね、50円、いちにさんっしっ」と私の手のひらに小銭を丁寧に乗せる店員。なんだろうと帰宅後、むっつりと鏡を見た。恐ろしく充血した目がそこにあった。家族にパエリアを食べさせて、とにかく数時間眠った。朝、父が新聞を踏み茶の間でころんだ。その騒動の余波なのだ。


夜間傾聴:旗の台君(仮名)>家族が退院
     大森君(仮名)


p.s.Google に面白い動き。きっと使える。

今日は大森に出た後、県民センター。石川町を回れたら回ってくる。自由が丘君の挑戦が最後。

(校正2回目済み)
コメント
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