湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

LD学会の不登校関連はどうしてこうもはずれるのだろう

2007-11-24 04:17:07 | 引きこもり
私のように曜日に関係ない職種についていると、連休の祝日をまるで気づかずに外出して気づくというぼけをやらかす。ましてや風邪を引いているとそれに気づくことによって、今まで考えていたことを忘れてしまう。薬のせいだといっては見るが、睡眠不足の前科はサポセン窓口タッフのひと間違いなど確固たるものがある。今日は主に改札口でそれが起こった。スイカのカードを切符挿入口に通してみたり、バスカードを地下鉄で使ってみたりという具合。以前は「なか卵」の自動販売機半券を改札口に突っ込んだことがある。

昨日はLD学会の受付で、役員のAさんを見つけてご挨拶したが、突然私は大会参加費を支払わなくてもよくなってしまったのだった。焦って担当者を手招きして、支払いを済ませたが、惜しかったなとも思うのだ。ボケは伝染するのだ。

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私は町田の巡回を1件済ませた後、午後からLD学会に参加した。そんな関係から、自主シンポジウム8の「コーディネーターはこうでないと-校内におけるコーディネーターとして役割-」の中途から参加した。特別支援教育士または学校心理士の方が主役のシンポだった。何を言いたいのかがよくわからないシンポだったが、まあ、元気な方が補助に入っていくなら、教員には厄介だろうが、まあいいのではないかという程度の感想だった。

問題は後半だ。

自主シンポジウム12「二次問題としての不登校が示唆すること~実践を現場に活かすために~」これはひどかった。まず対象者のプロフィールは、自閉症スペクトラムの結論へと結び付けられるための刺身のツマとなってしまった。特に医師の方の発表は「わからんちんアレルギー保持者の過剰反応」とでもいうべきレッテル貼りが噴出した。子どもの理解のために生み出されたはずの概念が転倒して、正常化裁きの基準に化けてしまっている。特に「底つき」といわれる引きこもりの苦しみの果ての台風一過の晴天のような寛解が訪れる現象を「身勝手」ととられたり、突然苦しみだす(当人には連続している)状態を「フラッシュバック」としてSSRIセロトニン製剤投与でかわしていくというような奇異な行動抑制というところに持っていってしまう無理解。「不登校は誰にでも起こりうること」とした研究成果を無視して、不登校を「病者の精神疾患の発現」に押し込めてしまうひどさ。この手のひとが医学博士として生き延びている世界なのだと、寒心させられたシンポジウムだった。百歩ゆずって精神疾患が発現したという論を前提にしても、精神疾患の急性期と寛解期が波状にやってくる精神疾患を「身勝手」とするとは、なんとも程度が低いのだ。不登校関連団体が参加しないのもむべなるかな。

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今日は就労関係とDAISY関連に参加していく。

周辺に風邪を移しにいくような、少々後ろめたさはあるが、マスク・マスク。今夜はこれにて。

夜間傾聴:入谷さん(仮名)
     自由が丘君(仮名)>渋谷外出成功おめでとう!

(校正1回目済み)
コメント
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