昨日、高卒資格認定試験が終わった。
新宿の戸山サンライズで行われていた障害者リハビリテーション協会主催の「障害者パソコンボランティア指導者養成研修」の最終日の日程を済ませて、相模大野と相模原のクラスに向かう。解答速報に一喜一憂しながら、それでも終了した開放感。いつまでも教室に残っている者は少数だが、それでも私が担当した子がいて、あれこれ話し込んだ。終バス少し前、橋本から相模線経由で帰宅した。年2回の行事だが入試ほどの重さは無いとはいえ、やはり終えた気持ちはいい。表情は、ほっとしている。
受験の子は私はピンチヒッター以外、授業担当していないしがない外勤講師だから、そういう意味で双方どこかしらけている。しかし、不登校の不安の山を越えた子は、いまだ出席がばらついている友人のことを気遣うふりのふりをする。やはり気になるのに関わるのが仲間のタブーにふれるから、わざと気遣うふりをふりする。話をきいて、月並みな応答して帰ってきたが、相模線車中で、にんまり。一番心配していた子が予想を超えたところがじんわりと効いてきたのだった。ここ昼夜正常化三日間は睡眠時間数時間が続いたために、ずっしりと身が重い。気持ちだけがこうこうと高ぶっていた。
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「障害者パソコンボランティア指導者養成研修」は3日目最終日、発達障害・精神障害への情報支援と、マルチメディア活用法。某都内NPO法人の事例報告と続く。この事例報告が典型的なプロ言説。私の自己紹介に反発し、精神障害に就労支援活動は禁止。成しうることをし、責任が取れないことはしないというものだった。私も急性期の方に就労話などしない。ただ常識の石頭というか、就労は企業就労のこと、就労支援はガンバリズムと決め付けて断罪してくるのには参った。先方がイメージの貧困なのだ。河村宏氏が「浦河べてるの家」に張り付き、その報告を事前にしているのに、そこで起きていることすべてに、担当者が責任を持つというのだろうか。何もつかんでいない。
さて、河村氏の話はDAISYを中心とした知識伝達の話と自己表現の話にからませて、ツールの国際標準化のもたらすものの解説が整然と語られた。その講義の間に新しい情報がいくつも埋め込まれていたが、国際標準化がもたらすものについての説明の深さに欲求不満が残ったものの、全体としては、閲覧ソフトAMISを初めとしたソフトの操作実習など、一応パソボラ実践の自己研鑽の口火は提供してもらえたような気がする。
私のスタンスは、1・2日目の身体障害の機能・生活保障のスタンスというより、生活の拡張やコミュニケーションに力点がある。パソコンの操作習得より、生活さまざまな場面にIT技術を埋め込むことに関心がある。3日間を通じて様々な予備知識を得たという意味で価値ありだったのだが、就労と日常生活に障害を抱えた方の社会参加を踏まえた潤滑剤とイースト菌のようなITコーディネートが話題にできないものかと同種の企画のとき、いつも思う。操作履修をもって研修にしてしまう勿体無さを今回もまた感じてしまったのも満足の片隅の事実だ。
最後に話題となった公共施設設置PCがいまだ98である事例や、Vistaインストールをしたために、ドライバが対応していなかった上、メーカーサイトにもそのドライバのVista版提供をしていなかったために、XPに戻そうにも周辺機器が使えなくなってしまったということもある。精神障碍の領域がらみでは、掲示板利用をしたために過剰の刺激と、解釈の多義性から妄想を喚起してしまう悪循環にはまってしまう危険性があるという指摘があった。この見極めが、チームで動くべきであるということになるが、テレコムを一方で化け物視しているビギナーの眼差しを感じる。
実はこの最終日、もうひとつの願いがあった。河村氏に接点を求めることだった。このIT技術は社会的不利益を被る障碍者と、格差社会の底辺にあって非正規雇用に固定されている層の方々に、解決の実践の実現可能性を提供する役割について、テレコムの可能性から語っていただける数少ない講演者だったからだ。
私は引きこもり青年の個別接点は持っているが、発達・知的・精神障碍の中度・重度障碍のお子さんたちとの具体的な接点を持っているわけではないし、親御さんの会に割り込んでお手伝いしているわけでもない。だからこうしたIT情報機器による支援が新規技術の押し付けのように先方に伝わってしまうジレンマがあった。未来社会を勝手にデザインすることはできない。だから、抜かぬ刀をさび付かせないようにするというところにあえて立ち止まる選択をした。今私がなしうることのひとつがここにある。困難を超えて自由を獲得する道筋に、かならず現れる活動に埋め込まれた領域だからだ。
地域就労は、企業就労の流れの中で二の次になっている。ここをしっかりコーディネートしていかなくて禍根を残すことになる。PJは育てなくてはならない活動。そこに私のなすべき手立てがまたひとつ加わった。
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研修の最終日、会議室の隣がにぎやかだった。隣ではピープルファーストの東京会議が開かれており、会場から熱気が漏れてきていたのだった。当事者活動が湘南東部にも地域就労活動として動き出したら、社会復帰を試み始めた引きこもり青年たちの姿もそこに見ることができるだろう。黒子の支援者が支えるセイフティネットワークが、果たして生み出せているだろうか。後部席の車椅子の青年が手を振ったのに応えて手を振ったものの、同時にため息をついていたのだった。
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私のPC操作を斜め後ろの席から見ていらした事務局のNさんに、社会的企業の好例ですと「The Big Issue」誌をプレゼントしてきた。また余計な尾ひれがつくのにとの幻聴君(べてる流)の声があったものの「わーく」の類似性を語るには好例のため、渡すことにした。
しかし、同好の士(?)が得られなかったのもなんとも残念だった。精神主義的といわれそうだが、これから、当人のところに私は戻る。何ができるだろうか…夜の相模線の目の前の空席を私は睨んでいた。
夜間傾聴:******
大森君(仮名)
p.s. 今日は、木曜昼食会の件を書いた「懇談会通信ピックアップ」(復刊)を書き始める。
(校正2回目済み)
新宿の戸山サンライズで行われていた障害者リハビリテーション協会主催の「障害者パソコンボランティア指導者養成研修」の最終日の日程を済ませて、相模大野と相模原のクラスに向かう。解答速報に一喜一憂しながら、それでも終了した開放感。いつまでも教室に残っている者は少数だが、それでも私が担当した子がいて、あれこれ話し込んだ。終バス少し前、橋本から相模線経由で帰宅した。年2回の行事だが入試ほどの重さは無いとはいえ、やはり終えた気持ちはいい。表情は、ほっとしている。
受験の子は私はピンチヒッター以外、授業担当していないしがない外勤講師だから、そういう意味で双方どこかしらけている。しかし、不登校の不安の山を越えた子は、いまだ出席がばらついている友人のことを気遣うふりのふりをする。やはり気になるのに関わるのが仲間のタブーにふれるから、わざと気遣うふりをふりする。話をきいて、月並みな応答して帰ってきたが、相模線車中で、にんまり。一番心配していた子が予想を超えたところがじんわりと効いてきたのだった。ここ昼夜正常化三日間は睡眠時間数時間が続いたために、ずっしりと身が重い。気持ちだけがこうこうと高ぶっていた。
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「障害者パソコンボランティア指導者養成研修」は3日目最終日、発達障害・精神障害への情報支援と、マルチメディア活用法。某都内NPO法人の事例報告と続く。この事例報告が典型的なプロ言説。私の自己紹介に反発し、精神障害に就労支援活動は禁止。成しうることをし、責任が取れないことはしないというものだった。私も急性期の方に就労話などしない。ただ常識の石頭というか、就労は企業就労のこと、就労支援はガンバリズムと決め付けて断罪してくるのには参った。先方がイメージの貧困なのだ。河村宏氏が「浦河べてるの家」に張り付き、その報告を事前にしているのに、そこで起きていることすべてに、担当者が責任を持つというのだろうか。何もつかんでいない。
さて、河村氏の話はDAISYを中心とした知識伝達の話と自己表現の話にからませて、ツールの国際標準化のもたらすものの解説が整然と語られた。その講義の間に新しい情報がいくつも埋め込まれていたが、国際標準化がもたらすものについての説明の深さに欲求不満が残ったものの、全体としては、閲覧ソフトAMISを初めとしたソフトの操作実習など、一応パソボラ実践の自己研鑽の口火は提供してもらえたような気がする。
私のスタンスは、1・2日目の身体障害の機能・生活保障のスタンスというより、生活の拡張やコミュニケーションに力点がある。パソコンの操作習得より、生活さまざまな場面にIT技術を埋め込むことに関心がある。3日間を通じて様々な予備知識を得たという意味で価値ありだったのだが、就労と日常生活に障害を抱えた方の社会参加を踏まえた潤滑剤とイースト菌のようなITコーディネートが話題にできないものかと同種の企画のとき、いつも思う。操作履修をもって研修にしてしまう勿体無さを今回もまた感じてしまったのも満足の片隅の事実だ。
最後に話題となった公共施設設置PCがいまだ98である事例や、Vistaインストールをしたために、ドライバが対応していなかった上、メーカーサイトにもそのドライバのVista版提供をしていなかったために、XPに戻そうにも周辺機器が使えなくなってしまったということもある。精神障碍の領域がらみでは、掲示板利用をしたために過剰の刺激と、解釈の多義性から妄想を喚起してしまう悪循環にはまってしまう危険性があるという指摘があった。この見極めが、チームで動くべきであるということになるが、テレコムを一方で化け物視しているビギナーの眼差しを感じる。
実はこの最終日、もうひとつの願いがあった。河村氏に接点を求めることだった。このIT技術は社会的不利益を被る障碍者と、格差社会の底辺にあって非正規雇用に固定されている層の方々に、解決の実践の実現可能性を提供する役割について、テレコムの可能性から語っていただける数少ない講演者だったからだ。
私は引きこもり青年の個別接点は持っているが、発達・知的・精神障碍の中度・重度障碍のお子さんたちとの具体的な接点を持っているわけではないし、親御さんの会に割り込んでお手伝いしているわけでもない。だからこうしたIT情報機器による支援が新規技術の押し付けのように先方に伝わってしまうジレンマがあった。未来社会を勝手にデザインすることはできない。だから、抜かぬ刀をさび付かせないようにするというところにあえて立ち止まる選択をした。今私がなしうることのひとつがここにある。困難を超えて自由を獲得する道筋に、かならず現れる活動に埋め込まれた領域だからだ。
地域就労は、企業就労の流れの中で二の次になっている。ここをしっかりコーディネートしていかなくて禍根を残すことになる。PJは育てなくてはならない活動。そこに私のなすべき手立てがまたひとつ加わった。
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研修の最終日、会議室の隣がにぎやかだった。隣ではピープルファーストの東京会議が開かれており、会場から熱気が漏れてきていたのだった。当事者活動が湘南東部にも地域就労活動として動き出したら、社会復帰を試み始めた引きこもり青年たちの姿もそこに見ることができるだろう。黒子の支援者が支えるセイフティネットワークが、果たして生み出せているだろうか。後部席の車椅子の青年が手を振ったのに応えて手を振ったものの、同時にため息をついていたのだった。
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私のPC操作を斜め後ろの席から見ていらした事務局のNさんに、社会的企業の好例ですと「The Big Issue」誌をプレゼントしてきた。また余計な尾ひれがつくのにとの幻聴君(べてる流)の声があったものの「わーく」の類似性を語るには好例のため、渡すことにした。
しかし、同好の士(?)が得られなかったのもなんとも残念だった。精神主義的といわれそうだが、これから、当人のところに私は戻る。何ができるだろうか…夜の相模線の目の前の空席を私は睨んでいた。
夜間傾聴:******
大森君(仮名)
p.s. 今日は、木曜昼食会の件を書いた「懇談会通信ピックアップ」(復刊)を書き始める。
(校正2回目済み)