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湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/20 墓參、とことん切れ目が見えてくる行事

2013-03-21 06:13:50 | 引きこもり
2013/03/20 記
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母方の墓は親戚が高齢化し、子どもがいない。以前は山の斜面に作られた急な階段の多い墓地だったから、母には無理だった。今度の墓地は、階段ではなく坂なのだが、かなり歩く。車ならすぐ近くまで上がれるのだが、田舎なのでタクシーが捕まらない。結局前と同じように私だけ、あるいは弟とふたりで行くことになる。

今回はひとりだ。父方の墓參と重なったので、弟夫婦はそちらに行っているからだ。今度の墓地は見晴らしがいい。しかし山の端は黄砂に霞んでいるのか輪郭がぼやけていた。

しばらく墓の前でぼんやりしていると、いろいろなことが蘇ってきた。親族のことも強烈なことが続いたが、妻のこと、白血病で亡くなった塾生のこと、死に急いだ友人や私の師匠のこと。そして心の病から境界を超えてしまった若者のこと。私にとって墓參は親族との心の再会にとどまらず、黄泉の彼方に去って行ったひとたちとの再会でもあった。

戦争がそうであったように、災害がひとの命を寸断してしまうことが、その不合理をなおさらかきたてるように、エピソードのある死のあとに湧き上がってくる。3.11のとき、おい反則だろうとつぶやいた私の不釣合いな言葉に、自分自身が立ち止まる、そんな情の盆からこぼれ落ちる事態に立ち尽くしていた。その緊張が蘇ってきた。

母はきっとその感覚がけしからんと怒るだろう。親族の墓の前で、「よそ事」に思いを巡らしていることにだ。母は故人に思いを巡らし、私は死に眼差しを向けている。

罰当たりなのかなあと思いつつ、清掃のアルバイトをするかのように雑巾で墓を磨いた。

父方の墓參は私にとって針の山だ。平凡に生き、家庭を築き子を育てるそのことから外れた単身者は異端でしかない。親に背いて結婚し、祟りか妻と尋常ではない「死去」という別れをしたことや、父の家族観からの介護協力拒否に反発して、年寄りだらけの家族の介護と自由の効く塾経営をしてきたことが、親戚からは普通ではないと排除されてきた。だからなおさらに、「普通」に抑圧されている方に肩入れしてしまうのだろうと思っている。しかし間違っているとは思わない。

3.11の活動の中でも、家族の絆と合唱されたとき、単身者は言葉を封じられる。家族の情を否定しているのではなく、自分の生を全うしていく中に、断ち難い形で他者は現れる。私のこの掌も社会がもたらしたものだが私のものだ。私の思いもそれを表現している言語も社会的なものだ。そういう世界の中に親がおり、連れ合いがいる。それを屁理屈というなら、人の生は屁のようだ。

バスの時間はまだこない。休憩所で軽食が食べられる。大きな長いテーブルに向かい合って席が並んでいた。席を選べるような状態ではない混雑なので、隅にすわって、きつねうどんを待っていると、若夫婦が目の前に座って居心地の悪い顔をして、周囲の空席を探していた。うどんが届き、私は「お先に」と挨拶して食べ始めた。すこしほっとしたのか、私の目の前で、寿司折を開けて食べ始めたが、早く食べ終えてくれとばかりに視線を送ってくる男に、「気になりますか」と聞いた。うろたえているので席を立った。帰りに塾長と喫茶店で会ったが、「そりゃ独り者のひがみってものだよ」とたしなめられた。

久々に缶ビールを飲んだ。酒を飲んだのは、湘南子どもネットワークの打ち上げのときからだから10日ぶり。年数回のこと。確かにお彼岸、先祖の墓の前で、震災のことに思いを巡らせているなんて、無粋ではある。

夜間傾聴:ひとり


(校正2回目済み)

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3/19 社会活動を立ち上げるとき/「セミナー通信」発行にあたり

2013-03-20 05:57:56 | 引きこもり
2013/03/19 記
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先週の白金の学会でラブコールを仲介してもらった**さんからメールがあった。「茅ヶ崎に%%という団体がある。紹介するから、連絡を取るといい。」という内容。2つ団体が書いてあり、両者とも私が古くから接点を持っている団体。

「そのことを調べるなら、地元に図書館があるから本を借りてくるといい」というのに等しい「いろはの"い"の字」の話だった。「市民活動サポートセンターがあるから、募集チラシを貼ればひとは集まるよ」という話とでもいうか、それは間違いではないが、そのレベルのアクセスは何十年とやっている。そこを如何に超えるかというところが問題なのだが、その壁のことを**さんはわからない。

この前、私は新しい活動が生まれていく道筋にはふたつあると説明した。ひとつは自分のもともと所属する母集団があって、新しい活動の中身とはあまり関係なく、「++さんのお手伝い」というようなひとのつながりから始まり、生み出され外部を取り込んでいくという活動のつくり方だ。もうひとつは「このゆびとまれ」型というか、主旨が全面に立ち、共感するものが結束していくという、今ではオンライン型の活動だ。

この後者については、たとえばサポセン現場では、チラシをメールボックスに入れたとする。それは数ヶ月経ってもそのままということが多い。ポスターを貼ってもその問い合わせはない。見るのは少数の人間だ。市の広報は登録団体ならば頼むことができるが、それを学生層の募集に使っても、効果はない。

私は東日本大震災以降、そのの関連活動の募集チラシを茅ヶ崎駅頭で何回か行い、朝夕の通勤客ではなく買い物客と高校生に渡すということを繰り返し、地域投函を含んで累積6万枚は撒いている。その場で私に声をかけるのは、関係団体所属の方が圧倒的で、おばちゃん、たまに高校生というところで、スーツ姿の通勤客と学生は皆無に近い。その声をかけてくださった方に私の電話番号と集まりの日程を伝えても、それ以降の反応は全くない。募金や署名活動のような場合は、その場の協力は得られても、そこで関係は途切れてしまう。つまりオンラインのしかもアクセスの多い場で表現を行うような、場の母集団が大きいときに、共感の発火が起こる。

つまりオフライン、地域社会で社会活動を行うときは、前者、もともとあった所属集団から核が生まれるということが決定的に影響力がある。しかし、例えば差別や個的体験の課題の社会サポートを求める場合のように、従来の「縁」を一度断ち切ったところからスタートさせる活動を生み出すときは、呼びかけへの共感を得やすい中身と、お試しステップが見え、見通しが情緒的であろうと感じられ、そのあとに重要性がついてくる。この課題を一緒に考えていこうという提案は闇の彼方に消える。

出発点を明示しても、例えば「ホームレスへの津波避難警告巡回を」としても、なかなか人はあつまらないだろう。レッテルが貼られている上に、実情を知っていなければ人は動かない。それなら気づいた者がまず動き出すこと、結果的にあいつにやらせておけばいいという発想を含んで、空転は活動の前提と割り切って動き出すべきだ。これがなければ、何も動かないだろう。

**さんは、某大学の講師だ。彼にとってみれば、学生の協力が得られないということ自身が通じない。私が私塾を運営していた頃や、教科研究団体に所属していた頃と、明らかに違う。遡って学生時代にあれこれ社会活動に飛び込んだとき、それは実に容易だったことを覚えている。私が教育活動をしていた頃は、その団体の一員という手がかりから、私は取り敢えず次の場を得ていた。つまり参加の仕方の前者に含まれる。ところが所属団体が一般的なものではなく、目的の立ち上げたい活動とは領域が違う爺ぃのとき、初対面団体は、かきまわされると思うのか、面倒と思うのか丁重に門前払いしてしまう。

私は2000年に交通事故入院二年を経験し、活動の場面では一度死んでいる。だから生涯通そうと思っている活動と、ひとの深部に通底している活動に絞って活動をたててきた。このことは人類が死に絶えてもやっているのではないか。冗談だが冗談ではない。つながり方の前者、意識・無意識を問わず、人脈から活動をたてる方法は、茅ヶ崎は固着しているので、外側にいる私が提案する活動にはなじまない。

やりたいひとがやる・個人は拒否権を持つ

これが「このゆびとまれ」式の限界承知で、活動時間がこれ以上わりふれないと判断して突っ込んでいなかったオンラインの活動にも踏み込んでいく。

「防災・保健医療セミナー通信~専門職と市民団体の協働を(仮称)」

を新年度から発行し、手渡していく。記事寄稿依頼を含んで編集する。これがセミナー開催に加わった。

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明日は新しい墓地に墓参する。

気分からすれば、祈るべきことは別のところにあるのだが。


夜間傾聴:ひとり(単身生活を始める不安相談・PSWの友人を紹介した。)

(校正2回目済み)

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3/18 網膜色素変性症の視野検査を済ませ、寿町へ

2013-03-19 05:07:37 | 引きこもり
2013/03/18 記
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慈恵医大病院に行って、予約なので気が乗らない視野検査を受けてきた。それは汚れたガラス窓から外を見ているような右目の視界が、明らかに曇りガラスに変わってきているのがわかるからだった。

検査の結果、視野中央部の残存視細胞が死に、その影響が出ているんではないかという。低高度の日射(朝日・夕日・冬日等)や、光軸をあげた車のヘッドライトの光で、ひどいハレーションを起こしてしまうのは、水晶体・硝子体の濁りによるものではなく、網膜上の問題だという。進んでいない左目も、視野が一部欠けてきていた。

いずれは失明するのだが、それまでの期間を長引かせることはできる。しかし眼底の血流を増やし、眼圧を下げる昔から緑内障に使われていた平凡な薬品を使い続ける以外なかった。

今回はふたつ。ひとつは研修医の女性が同席していたこと、もうひとつは、手帳保持者宛のアンケートがあったこと、ここがいつもと違っていた。

杆体錐体ジストロフィーは…という説明が続くので、私は網膜色素変性症の診断を受け、しかし典型的な色変ではなく非遺伝性という更に症例の少ない状態と説明されてきた。それは違うのでしょうか、それとも網膜色素変性症と杆体錐体ジストロフィーは、言い方が違うだけなのでしょうかと質問した。途端、診断が違うということは大変なことでと慌ててカルテを探り始め、杆体錐体ジストロフィーはiPS細胞治療が数年後に確率が予想されると言い出した。

まず定義だが「難病センター・網膜色素変性症」にあるように、杆体ジストロフィーや錐体ジストロフィーは、網膜色素変性症の一部であって、手術のための細胞可視化技術や、再生医療技術が黄斑変性症の治療研究(症例が多いため)から確立の段階に入っていることを医師は説明した。

どうせ治験段階とか高額医療対象なんでしょうと私が問うと、還付があるでしょう?と応答が返ってきた。レスキュラ(現在の降圧点眼薬)の新薬がでたと聞きましたが、治療技術に変化はないのですかと医師に質問をぶつけた。私の真似をして眉間に縦縞を寄せ、ばたばたとカルテを探り、日本の認可まで時間がかかるからと応答があった。レスキュラは降圧剤としては古い。しかし他の降圧剤と違い眼底の血流増加効果があるので、網膜色素変性症の治療に使われる。すでに4年目、これもまた闇の中なのだった。

突然私の職業を問われた。軽度の発達障害や精神障害がらみの低学力を一因とする、ひきこもり青少年の学習指導をしている講師だというと、うちの子も低学力なんですよと言い出した。研修医を意識しているので、私はある網膜色素変性症専門医が診断したが、不誠実で患者で遊んだので、学会のつながりのない++医師を頼んだ。事情を聞いてその医師は慈恵医大のあなたを紹介した。大学病院は、開業医と違い診察をなかなかうけられない。実際次回は一年後だ。中間の薬を得るときは、他の若い医師が臨時担当する。だから患者のご機嫌取り会話は、やめてくださいと言い、はじめの診断をした##医師と同じ顔をしていますよと私がいう。研修医が笑い出し、怒り出した。起こったのでまた来ます。いなしたら、やめるところでした。今後も専門医としてお願いしますと挨拶をして、診察コーナーを出た。

アンケートには、こうあった。「20年後まで生きられるとして、そのときあなたは、新しい医療手術を受けますか。」自由記載ではなかったのが残念だが、もし自由記載なら「担当医の信頼度に寄ります」と書くだろう。結局はそkなのだから。

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寿町のLプラザに立ち寄った。S君の件ではないのだが、用事をすませて、S君の担当者とあうつもりだったが、あいにく席をはずしていて会えなかった。

今年は職場見学に参加しなかったが、そこで障害者就労関連関係者と同行することがあった。その方と話して、風が強まる中、ビッグイシュー関係者に会いに寿町に足を向けた。こちらもお留守。今はまだ横浜駅で販売しているということで、急遽横浜駅で彼を発見、同誌を買った。

パーソナル・アシストが3月で廃止になるという交代は、政権が安倍政権になった結果だという。いやな情報だった。

根岸線を使って大船経由で帰宅。

少量の「ふきのとう」を入手。下仁田ネギと生食ちくわを塩麹と生姜で炒め、別途「ふきのとうの天ぷら」、豆ご飯という組み合わせを出したが、母はダンピングが始まりそうと、中身も見ずに寝室に。虚しい。

食事後、座っていられない睡魔に襲われ1時間仮眠。
発達障害者被災時避難生活状況の資料を発見、問い合わせのメールを出した。

生業の方をやっつけて、明日は何もなし。山田町から応答のメールあり。うまくまとまったら、JDFドキュメンタリー映画「生命(いのち)のことづけ ~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」と組み合わせて障害者被災の講演と映画の会の骨格を作って、呼びかけを始める。


夜間傾聴:ばてているので、中止。


(校正1回目済み)

p.s.●「ドキュメンタリー映画 仮設サイト「生命のことづて」」
  ●「ドキュメンタリー映画「生命(いのち)のことづけ ~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」完成のお知らせ」


以上

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3/17 切れ味悪い提案ですが…

2013-03-18 06:05:15 | 引きこもり
2013/03/17 記
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3日間続きの大会プログラムの最終日、私が覗いてみたいと思っていた分科会が参加出来ない日曜日にあった。テーマは「東日本大震災における中・長期的支援の方向性」だった。仕掛人は東北勢。「ケア宮城」の活動から見通すという点に注目した。子どものケア活動で教委参加の活動だが、具体的な資料が比較的多いという。資料は後日入手できるが、首都圏アクティブの参加者と出会いたかった。しかし、そこまで仲介を望むのは無理だ。

マスコミなどでも「医療看護・介護の保健活動と、生活再建」の重要性は指摘されているけれど、なかなか中・長期支援の形を指し示す実践事例が紹介されない。問題はプライバシーと薄皮で接している領域の活動を含んでおり、ましてや現地滞在型活動以外、接点が取りにくい。しかしこのことは、湘南で被災したとき、同様の状況に放置されることになる。自主自立も手がかりがあってのこと、高ストレス避難生活・生活破壊からの再建生活、家族の危機という事態は、深刻さを増しており、このまま無視していい状態ではない。

コミュニティ論からの試みもある。しかしそれは、地方のモノカルチャー的地縁血縁生活集団のいわゆる「地域の絆」を無批判に当てはめるものであったり、治療の必要性の枠内の共助集団だったりするために、ひとの情念、特に多様化した生活を送る都市型の孤立した者のつながりのニーズに応えられていない。

その意味で、どこかに非被災地からの連携活動は、切り口を民間交流、特に徹底して私的な交流を拓いていく道を考えたい。陸前高田の広田町復興に関わっている三重大生物資源学部准教授勝川俊雄氏の指摘にもあるように、市町村委託の「民泊」からの交流、日常生活交流の糸口作りなどが、その切り口のひとつとなるだろう。年賀状・暑中見舞いや、消息交流の電話など家族付き合いから始めて行く手があるだろう。民宿としてしまうと被災者家族の負担がかかる。だから短期ホームステイということで、行政が委託する形を考える。継続的な収入源にはならないが、ひとの繋がりを得る。

福島の遠方に分散避難をしている避難者支援を地元で行う等の活動がある。

しかし、孤独死であるとか、過疎化・高齢化・無医化に対する生活防衛支援では、従来の産業復興支援や就労支援と併存して、日常生活の場面支援、往診奨励・地元タクシー組合と連携した緊急通院交通費保障のような大きくは、災害弱者への具体的支援(例えば「今回は大槌町立特養**ホーム支援」というような)が当座の流れかもしれない。これには、支援側がオンライン支援のような大きな集団の中で検討される方向だろう。誰かが現地の実情を常に公正なレポートをしてくれる方がいる。

大船渡のさんさんの会の活動のように、宅配弁当サービスを通じた仮設高齢入所者の健康チェックと組んで、週1特別弁当プレゼント資金を、ターゲット地域として長期提供募金したりというような(苦しいが)試みを行う方法もある。

いや、すっきりしない。

これは、

以前の地縁血縁ご近所付き合いコミュニティ
避難生活のための仮設コミュニティ
復興住宅入所後の自治会的コミュニティ

これが1本、連綿としてつながっていくのではなく、作っては場面変化に伴い解体再編という被災者の所在のなさが、自体を悪化させている。

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「連続セミナー」作り呼びかけを作っている。風通しのいい自主学習会のようなもの。「医療看護・介護の保健活動と、生活再建」関連のゲスト懇談を個性とするケア関係者の不定形の会だ。

今日はこれから、慈恵医大眼科で視野検査をする。右目が明らかに悪化していると取るか、左目の停滞を善しと取るか。

寿町Lプラザに寄ってから暴風雨になる前に帰る予定。橋本訪問学習中止。

夜間傾聴:橋本2君
     ひとり

(校正1回目済み)

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3/16 医療・生活支援活動の協力者探しに

2013-03-17 06:31:29 | 引きこもり
2013/03/16 記
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白金の学会は日曜日まである。庭手入れの母の抵抗で出発が遅れたが、知人とコンタクトがとれた。しかしパネルと分科会チェックが厳しく、しかし間接的に2つの分科会資料入手とパネラーへの連絡ができた。

ひとつは、ひきこもり青年の関連実践をしているサポート校(埼玉)の団体との接点作りがあった。就労支援を熱心にしている団体で、私の知り合いの古い支援団体を介して、打診を試みていた。時期をみて見学させてもらうつもり。

もうひとつは授業実践だが、身体的な共感プログラムが自閉症の子の発達にどう影響するかという話。もうひとつは東日本大震災後の子どもの心の教育現場からの実践話。画期的なものは期待していないが、テーマが昔の焼き直しではないのが救い。

画期的といえば、いや衝撃的というべきか、河北新報が仮設入居者の宮城県調査の一部を記事にした。私たちはただ手をこまねいているだけでいいのか、ではどうすればという問いを、目の前にたちはだかる壁のあちこちを叩いているかのように、被災地に滞在できぬ者のなしうる手立てを考えている。東北の被災者を放置・教訓化して地元防災でお茶を濁していていいのだろうか。以下の記事である。

●「「重症精神障害相当」1割 宮城県が入居者健康調査」
●「狭い仮設暮らし ビタミンD欠乏「運動機能低下」65%」

この支援は、医療看護介護の専門職との協働から始まるように思う。教育系の者は関連付けにくいのだが、この一年、孤独死だけは防ぎたいと願う。

日曜日は大会に参加出来ないが、後日情報をもらうつもりでいる。

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**子の誕生日、大台にのったかと感無量。そう書いたので、明日は「感無量」の意味調べ長文メールが来るだろう。小川町の教材屋に挨拶に行ってから、財布を眺めて直帰。連続セミナー貯金を始める。

下仁田ネギをいただいた。焼きネギして梅干を刻んだもので軽くあえても美味しい。母のおすそ分けのつながりは、後が恐ろしい。

夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

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3/15 私事一段落。茅ヶ崎養護・手をつなぐ育成会を訪ねて

2013-03-16 05:37:22 | 引きこもり
2013/03/15 記
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故・祖母もそうだったが、ひとが起きていると眠れない性を母も持っている。母の中途介入があったり、外出の用事が挟まって、まとまった時間が作りにくいから、昼間の作業はメールチェック程度に留めている。もうひとつは、最近は相手の人数が減り、綱渡りのような危うい子は年1・2回出会うかどうか紹介制夜間傾聴を続けていく意義が薄らいでいるが、これも継続したい。だから夜に作業するが、そうすると母もまた夜間作業に付き合っている。

今日で一段落付き、あとは18日の視野検査だけとなったが、詰めて作業した影響が母に出て、頭痛と下肢のつりとなって現れた。夕方まで睡眠を取ったら復活したようだが、私も食卓に頭突きしている。夜間傾聴は、休ませてもらった。

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税務署通勤3日目。やっと確定申告が通過した。教材屋の最終稿も送って、ほっとしている。明日から東日本大震災関連の分科会に出ようと思っているのだが、どうやら私が一番爺ぃのようだ。(発表側が若い。)

実のところ、私の活動の地元学生協力者探しなのだが。なぜか関西勢が強い。

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茅ヶ崎養護の教頭さんに面会を求めた。2/18の飛田レポートと資料を提供してきた。黒田裕子氏講演の概要と地元勉強会の接点について、具体例として語り、専門職の活動の自己完結の世界にNPOがどう連携するかということや、外出時被災の安全避難誘導協力者(特徴的には親御さんなどの随伴者がいることが多い。)の具体像をどう考えているかということ、避難所生活サポートのあり方等の議論の所在など、実は問題は浮かび上がっただけで、なかなか次の持ち帰りまでの水準まで、持ち上がらないのは、会のファーム的役割が伝わっていかない悩みがあるとぶつけた。教頭さんは、静かに耳を傾けてくれたが、どこでどう接点をとるかが難しかったのではないかと思う。

茅ヶ崎手をつなぐ育成会は、8回目のお留守。午後の遅い時間は時間外なのかもしれない。メモを添えてポストに資料を投函して駅に戻った。

柳島の防災リーダーの方は、お留守。

少々疲れている。民生委員の**さんと来週早々お宅にお邪魔することに。

金がかかる。陸前高田に行きたいが、今回は車がいる。大船渡でレンタルしても目の悪い私には同伴者探しをしなくてはならない。地元に問い合わせをしているが、前回と異なりなかなか協力者が出てこない。最悪徒歩で3泊だが、中古自転車を送ることも考えている。5月か…。

茅ヶ崎養護の教頭先生には、JR茅ヶ崎駅駅長さんや、大店舗会防災担当者さんとの非公式懇談も考えていると伝えた。さてどこから再度アクセスするか。

夜間傾聴>なし


(校正1回目済み)

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3/14 年度がわりで少しいい報道が…

2013-03-15 06:33:45 | 引きこもり
2013/02/14 記
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いつも思うのだが、税務署の相談員は癖が強い。私に負けず劣らずなので、相性が悪い相談員にぶつかると、重箱の隅をつつかれる。結局数回書類不備や、複数収入なのでもつれがあって、相手が決めつけた話と違うと修正を求められ、説明すると元の記述でよかったりする。今年は塩を持っていった。机の上に小さな盛り塩をしておいた。

「なんですか、これ」
「塩です。」
「ちらかるといけないので、しまってください」

これでいたずらは終わるのだが、江戸の仇は長崎でではないが、「同じ印鑑はだめですねえ」ということで、家で修正印押して、最終日の明日提出することに。

明日、市高齢福祉介護課に立ち寄ることに。どうも市役所は知人が多いので、確定申告はやりにくい。藤沢税務署は藤沢遠藤が昔の私の塾の発祥地だったこともあって、習慣化しているというのが実のところなのだが、高齢福祉介護課とは、なんとも二度手間のような話なのだが。

忘れないうちに、記事3つ。

●「成年後見選挙権訴訟:裁判長「堂々と社会参加を」」
●「精神障害者の雇用義務付けも必要…労政審意見書」
●「発達障害支援を拡充 大阪市、新年度から」

流れとしては前進?内実がこもることを。

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教材屋の仕事が一段落した。来週火曜日まで気が抜ける。そんなこともあって、今夜は少し手をかけて「ほうとう鍋」を準備した。ところが母も主婦の沽券が関わっているのか、大きな生牡蠣を買ってきた。暑苦しいと中途まで作った野菜類を片付けられてしまった。親と地頭には勝てぬとぶつぶつ言っていると、今の子にそんなことを言っても通じないとご指摘をいただいた。ごもっとも。どうせ爺ぃである。

18日に年2回の視野検査がある。慈恵医大病院にいく。私は右目中央と、逆ヨの字に右目視野がやられている。左目も全体に薄く厚手ビニールを通して世界を見ているような状態で、やはり中央部分が欠けている。数m先の人が誰だかわからない。隙間から覗いて誰かを認知する。右側に人が立つとわからない。横断歩道を右側から自転車が来ると、近づく音がしていないのでぶつかりそうになる。秋冬の陽や、夕日・上に光軸をあげたヘッドライトの光はハレーションを起こし、前が全く見えなくなる。右側においたものを忘れる常習犯で、ハンカチ・傘・買い物袋を置き忘れる。

それなのに静物は隙間から眼鏡越しで1.0を超える。ひとの目は見損じたものをもう片方の目の視野で補うので、たとえばテーブルを台ぶきんで拭いたとする。完璧と思い首の向きを右にふると、右側がゴミだらけということも起きるが、確かに全体は綺麗に拭いたはずなのだった。そのように見えているのだ。

パソコンのカーソルが突然消える。画面端にカーソルを移動させ、再度慎重にカーソルを追い直す。緑内障に似ているが網膜色素変性症という難病指定の病だ。主流は遺伝性だが、私のは非遺伝性で網膜色素変性症の3分の1ほどしかいない。

辻堂駅ホーム藤沢寄り歩道橋の藤沢寄り上り線側は、自転車置き場を遠景に軌道わきに白線が引いてある。片目だと立体視できないせいだが、どうみても50cm高の盛土をしたプラットホームに見えて、修正がきかない。覗いてみてほしい。凹凸が逆に見えるのだ。

本は20分おき位に部屋をきょろきょろと眺めて眼球を動かさないと、緊張で目が焼ける。白内障のような白濁がでたり、眼球に血管が浮き出たりというような外見でわかる状態ではない。注視するので、強い近視・乱視の方と同様眉間にたて皺がでる。ひとを無視したり、怒っているようにみえるが、相手が分かるまでのわずかな時間差が、誤解を生む。対面対話していると、視線の流れがおかしいことに気がつくだろう。目を動かして、見損じたものの再確認を自然にしているのだ。

じんわりと不安がある。すでに押入れ程度の闇でも鳥目状態で外ではつまづくし、無灯火自転車は驚異となる。車のライトで私は立ち止まらざるをえない。ハレーションを起こして前方が全く見えなくなるのだ。視覚障害5級、視覚障害の入口に立っている。

早く太陽の高度があがってくれるのを待っている状態。

明日は時間が合えば、帰りに茅ヶ崎てをつなぐ育成会にいってくる。

飛田レポート配達。

私事ばかり、失礼。

夜間傾聴>橋本3君(母親)
       ---ひどい話。アスペは犯罪者予備軍なのかと聞いてきた。当人前にして、こんな言葉を語った方がいる。18日明けたら、母親と会う。白金の学会、16日から分科会もぐりこみ追求。白髪頭が目立ってしまう。

(校正2回目済み)

p.s. S君、18日明けに連絡する。
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3/13 私事ばかりですみません

2013-03-14 06:19:21 | 引きこもり
2013/03/13 記
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待機していた特養から連絡が入り、先日、入所している老健に特養のケアマネが出向き、私と3者で父の心身の状態を確認した。これをうけて特養の判定会議が開かれて、父の受け入れ順が上位にあがった。数百人待ちから十数番目になった。この背景には、老健は機能訓練を行う場所であり。入所2年目を過ぎると、特養への転出を求められる。父はすでに二年半入所生活をしているので、行き先が決まり次第、父は引っ越すことになる。昨日は、転出が近いぞというお知らせだった。

よりによって、ごたついている最中に弱ったなと思いつつ、書式を特養に出向いて受け取ってきた。しかし順番が来るということは、入所者が亡くなって席が空くということだから、高齢者の場合これがいつも気にかかる。

今の老健もそうだが、一層婆さん比率が高く、爺ぃは部屋の隅にかためられている感じだ。女性が生き残るということだ。

帰りにペットレスキュー支援紙掲示協力してくれている動物病院に立寄り、柴犬の問い合わせがあるとのこと。少しことが動くかもしれない。これでNo.15は、すべて配布し終えた。

その足で、手をつなぐ育成会の事務所に向かうが、また空振りした。七回目である。行く時間帯がいけないのかもしれない。

北茅ケ崎から相原に出て、町工場の専務さんと会う。もしかしてと思ったが、やはり農業まつりのときのNPO代表だった。チラシ印刷から封筒に入れて発送、社の郵便物の発送・受け取りを行う仕事。労働時間が短いので、福祉労働の枠だ。

塾長に連絡をして気がついた。社会的企業としての協同農園の話が面白かったので、そちらの方ばかり気が取られていた。成人枠の後釜なので、年齢層が高い求人だった。風が強く相模線が止まるといけないので、酒の誘いを断って直帰。塾の方は春期講習外部参加者の説明会の最中。毎年私は教材屋仕事とかち合うので、講習レギュラー講師不参加で在宅作業となる。

家に戻ると、岩手PSW関係の郵便物。講師候補者の件。なかなか目的が相手に伝わらない。個人宅に電話ついでに、陸前高田の自動車学校の重機免許取得推進運動の話を聞くが、専門違いは隣人話でも通じない。NPOなら、これほど情報が狭くはないのにと思う。しかし自動車学校の支援は面白い。活用は求人があればの話だが、これは良い被災者就労支援になる。別途、社会的入院の情報が少し入った。

明日は税務署をうろうろする予定。あと一件解決すれば終わるのだが。来年は墓地取得のことで、もめるのだろうなと思う。

朝が来た。どうも調子がでない。
先ほど、瞬間家が軋んだ。千葉県北西部震源の地震があった。活断層上のようだ。

夜間傾聴>なし

(校正2回目済み)

p.s.
●「社会的孤立問題への挑戦―分析の視座と福祉実践」

注文済み


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3/12 茅ヶ崎市役所保健福祉課・障害福祉課に飛田レポート&資料を届けて

2013-03-13 06:43:17 | 引きこもり
2013/03/12 記
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家業の調整で東京に行ったあと、返却期限が来ていた辻堂・茅ヶ崎の図書館に寄り、ビッグイシュー誌のチェックと書籍の更新。時間にゆとりがないが、茅ヶ崎市役所に回った。

2/18 の黒田裕子氏セミナーの飛田レポートと追加資料を持って、保健福祉課と障害福祉課を訪ねた。日が経ってしまっているが、新年度に、正規の審議会ではない、もっとラフな勉強会的な災害時要介護者関係の担当者セミナー(カフェ)のようなものを作りたいので、来年度の打診をしていたからだ。

レポートの内容の一つは、専門職の仕事についてだ。自分に与えられた任務をそのチームの中だけで解決する志向が強く、それが激甚災害の際、決定的な人手不足が起きる。救命医療・看護の世界では、対応が高度な専門性が要求される。全国からの支援を要請して応援が始まるまでの数日の急性期空白をどうするか、避難所運営の段階に入って半年・年間スパンの保健医療活動を仕切るとき、全国NPOの長期逗留支援では、パーソナル・サポートの長期活動者を育成していかないと、仮設生活相談員として専門職のアシスタントは即得られないし、人手不足はやがて孤立死のようなエアポケットを作ってしまう。

だから、仕事内容を事前に吟味し、地元の社会活動(市民活動)に連携を依頼していく、協働の場を生み出していくべきである。また、保健所のように県の管轄と、市の管轄とは別々の展開をしていたり、防災担当者医療保健看護とラフな意見交換をおこなえる場を手間暇かけて企画することができるだろうか。

もうひとつは、地域で生まれるNPO生活支援ネットワークとの結びつき方を考えていく。

つまり専門職担当者にとっては、市民に仕事の一部を開放し、パートナーを育てることになるし、NPOにとっては、新たな生活支援の形を得ることになる。

ボラセンの災害対策本部とは重ならない、医療生活支援活動の要援護者支援に特化したネットワークが対策本部・ネットワークのセクションとして接続していく。

その発火点が畑の種まきとしてのセミナー。そういう話ですと話すと、徹底して私的なロビー(カフェ)で、新たな視座の持ち帰りと自己表現の場なのだ。

だからJR全体を代表する必要はないから、JR茅ヶ崎駅駅長さんと非公式な懇談したり、介護タクシーや医療薬品販売業者の事業者や薬剤師、茅ヶ崎養護学校の教頭先生と話したりというような、活動を積み上げたいと話した。

きょとんとしているというのが反応。やっていけば、被災時何がどう動き出すか、予測が白黒からカラーになるような見通しが育つ。これが大事な芽となる。

セミナーの中心は、立ち上げは飛田がやっているが、これは積極的な方のもちまわりにしていけばいい。ただ約束事は、自分の仕事と直接関係ない領域の話にも耳を傾ける道義的な義務がある。それがどこかで、自分の仕事と接続していくはずだ。

この内容をふたつの課で話した。実際小さな役場などでは試みられていることだ。23万数千人の自治体の中で、出来ないという明快な理由はない。

「わかりました。お預かりして、読ませてもらいます」と相変わらずの応答だが、しっかり中を覗いていた。

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家に戻り、メールチェック。淵野辺の日だが、仕上げの話なので、日を送らせた。白金の学会分科会覗きができるか調査。いや、正門は高い。

4月の頭、法事がふたつ。金が出る。遠方の方は塔婆代だけにすることに。卒業生へのプレゼントはしない。小言だけを残そうかなと。


夜間傾聴>橋本3君(スリリングな話)



(校正1回目済み)

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3/11 東日本大震災から二年/18日まではスランプかなと

2013-03-12 06:07:18 | 引きこもり
2013/03/11 記
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相模大野校の会議を終えて、帰りに税務署に相談しにいく。待ち時間の方が長い状態だったが一応は解決し、書類を一度持ち帰ることにした。東日本大震災発生時の黙祷は、藤沢駅の地下道の入口で迎えることになった。私の黙祷を見て、数名のご婦人集団が私の横に並んで黙祷を行った。私は昨年のような不条理な死に対する向けどころのない怒りのようなものは消え、ただひたすら悲しかった。細い連携の糸が無策のまま断ち切られる寂しさのようなものだった。社会活動の中に要援護者連携支援の芽を育てることをやめるつもりは全くない。黙るつもりもない。構想の実現可能性をどう高めていくか、それが私の仕事だと思っている。夜行直行バスの闇と匂いがして、目頭が熱くなった。情緒に流されまい、呪文のようにつぶやいて一分が過ぎた。

予想していたので帰りは辻堂で降り、ペットレスキュー支援紙No.15を6部配布した。動物病院の午後診療開始時間よりちょっと早かったのが幸いして、**医師と話すことができた。今回の号にも載せたが昨年度、福島第1警戒区域内でペット犬猫992匹が保護され、その3分の2が飼い主や新しい飼い主(長期一時預かりを含む)の元に返され、3分の1が官民のシェルターの中にいる。

ペットレスキューの活動の現場では、立ち入り禁止区域への立ち入りを拒まれて、ゲートでペットレスキューの抗議の断食があった。そういう情報は流れず、マニアの酔狂のようなレッテルを貼られている。医師とは、教育現場で飼育することはできないかというものだった。

昔と違い、衛生観念や飼育の責任・動物愛護意識の拡がりがあるうえ、噛まれた時の責任追求を恐れる空気があるから、難しいなあとの応答。津波避難のとき、愛犬を首に巻き、高齢の親の手を引いて走った、逆だという話に笑ったが、それは保護されたペットの半数、全体の3分の1以上がペット・レスキューの仕事と告げたら驚いていた。しかし、若い賃貸家屋に住んでいたり、60を超える方には飼い主資格なしとなるのは厳しいのですよと伝えた。

両手に袋の買い物を済ませ帰宅したのだが、いつもなら小さなアイデアが浮かぶのがこの車内。ところが今日は眠気ばかり。やはり被災地に行こう、ガス欠かもしれない。

近々「舫(もやい)」に行く。大船渡の大関さんと話したい。

p.s.15日までは、おそらくぱっとしないのだろうなと思いつつ、カレンダーを見てびっくり。某学会、白金だった。18日が慈恵医大の眼科検査。右目の視野、ここ半年で狭くなっている自覚あり。月末まで出かけられないかなと目玉焼きを作る。

夜間傾聴>久しぶりの**君


(校正1回目済み)

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3/10 「津波そして桜」上映と加藤孝明准教授の講演会に参加し

2013-03-11 06:42:19 | 引きこもり
2013/03/10 記
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母がどこもかしこも震災の話ばかり。いい加減にしてよと怒り始めた。今日は茅ヶ崎市の避難訓練が行われた。夜は湘南茅ヶ崎地震津波防災フォーラム 2013春SP があった。私は私で、2/18飛田レポートと資料を、参加者以外の渡すべきひとの分を増刷整理していた。結局母は、母の青春期の東京大空襲体験を比較に出して、結局自分が生き延びていかなくては、誰も助けてはくれないという持論を曲げないのだった。

私は複数収入者である。だから毎年3月上旬は、さぼっていた経理をまとめて、確定申告しなくてはならない。大半はできあがっているのだが、質問が何点もあり、それを早く片付けて欲しいというのが母の意見でまあ正論である。毎年残る質問は、申告時の相談で、その日のうちに解決し、申告できる程度のものなので、心配はしていない。それが母はいらつかせるのだ。60過ぎて、この指図には、うんざりもする。

誰もが生活に忙しい。定年退職をした男たちは逆に、仕事の世界を除いて地域社会を眺めたことがないから、つながり方をしらない。そういう生き方への批判として、日常を破壊するように磐石の大地が揺れて、旧約聖書のノアの洪水のような津波を目の当たりにしたとし、人生の危うさを引き出すステレオタイプの語りに出会い、何かを言ったような気になっている知人に、私と同じ60才にもなって、どこに目をつけているんだと言って、相手を怒らせた。

そんな口喧嘩は、十年に数回あるかないかだ。それがここ十年、独立行政法人や、社会福祉法人、そして不発だが彼に対し3回やってしまっている。いずれも自己完結的な語りに、幻滅を感じたからだが、そんなときは、大概自分もうまく進んでいないときだ。だから「もやもや」を抱えて夜のフォーラムに出た。

大きくは、今、自然災害の恐ろしさを反復啓蒙する時期なのだろうか。東日本大震災の支援活動の退潮期にたち、それでは、次は自分の地域の防災だと、東北を教訓化して捨て去っていいのだろうか。大枠では災害理解ができていない初心者に防災活動の必要性を説くというスタイルで、支援活動の退潮に棹さす気にはならないのだろうか。東北の継続支援の話は片言も出てこない。

防災・避災の語りは出てきても、災害時要援護者の安全確保の話は出てこない。車椅子外出中、ビル上階でエレベータが動かなくなったとき、駅前歩道橋にいるとき、彼はどうしたらいいのだろう。これは都市工学との接点がある話だ。

最後の高価な防災グッズの抽選会も、寄付の発想は無かったのだろうか。

もやもやを抱えたまま家に戻った。

陸前高田の障がい者被災調査データは貴重だ。前回のバリバラ(ETV)は、被災した障がい者の特集は、かなり実情をとりあげている。(テーマを持て余しているのは、仕方がないか。)かなり具体的な被災後の避難生活のイメージが見えてくるので、両者を使って企画がたてられないかと考えている。映画とのカプリング企画は無理かと思案中。この企画も同意を得られず、無人の会になるのかなとも思いつつ、誰が始めてもいいから動き出せと念じている。

夜間傾聴:なし


(校正3回目済み)
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3/9 立川上映会参加を諦め…

2013-03-10 06:02:04 | 引きこもり
2013/03/09 記
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不安はもろにあたってしまった。昨夜の煮付けを置いて帰った来客は、朝10時前に現れた。父の在宅介護のとき、無理難題を頼み留守番や、父の移動補助を頼んだ浜見平の友達だった。父の老健まで乗せていくから、覗きにいこうというのだった。老健にいく場合は、母だけに任せておくわけにはいかず、立川上映参加は見送らざるを得なかった。朝、母はダンピングを起こしていたので、母を乗せずに私が案内して老健に出かけた。

立川試写会に行けなかったので、「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者」のビデオを買うことにした。個人鑑賞用\3,000-,
団体・ライブラリー価格(上映権つき)\10,000- さてどちらが得策かと考えている。

状況がわかっていないから仕方ないが、高価なお見舞い佃煮セットをいただいたが、嚥下障害がある父には、これでは無理。説明して、母が預かった。家に戻ると、すでに佃煮は消え失せていた。そのまま、別の知人のお礼に使っていた。こういう機転は男には無理だ。しかし早い。呆れている。

JR相模原のあてにならない授業の準備をしていると、メールが入った。全員欠席。この時期、当たり前といえば当たり前。徹底して横道にそれた授業をやるつもりでいた。とんでもない人との出会いは機会を逃すなという話だった。私が高校在学中、故・荒畑寒村氏と南湖院の近くで出会い、食事をした。とんでもない人とは後で知ったが、そのころから白髪頭の集まりに出ることが許されて、とんでも情報が入るようになっていった。まもなくその会は横浜へと移動し、私は私でべ平連という活動に参加しだしたのだが、それらの話に魅力を感じたのは、私が社会と接続する参加の回路を見出したことだった。自分なりに世界を理解していく端緒を得たように思えた。

こういう出会いは、事に踏み出すことによって到来するもので、大学は自分が探れば機会が多い場なのだが、大事なことは、自分が求めたから世界が広がるということだ。これを語りたかった。沈黙した瞬間から降り積もる塵に埋もれて、消えていくことを引き受けることになる。

卒業式の送辞ではあるまいし、空転するよ、やめときなというジャワ帰りの塾長のメールコメントがついていた。脱力。

結局、今日はペットレスキュー支援紙No.15を配布するだけの一日になっていた。今日は6部。3分の1かなあ。週明け,残部を撒ききる。3.11を前に、急に関連番組が増えてきた。現地に無性に行きたくなった。目のことから車の運転ができないから、中古自転車を送り、預かってもらえるところを探す。

私が陸前高田市の広田半島エリアの高齢者に、通院・買い物の付き添い外出ボランティアを提案し、現地滞在ボランティアに中古車を仲介したのも、この活動のテストをお願いしたからだったが、それも私が出かけないことで、動かなくなっていた。2月にタクシー協会の後押しもあって、オンデマンド交通が広田半島を走るようになって、私は愕然とした。提案して1年半。私との電話・メールともに、協力者は何も中途の経過を知らせてこなかった。私からの指摘で、最近オンデマンド交通ができたと応答してきた。全く連絡協力は有名無実、結局は出向かねばならないのだった。地元の受け皿、被災地の折衝ともに支える活動をせねば、連携活動は作れない。既知の活動があって、それをつなぐのではなく、新たに必要な運動を作り出していくこと、その道筋をどうたてていけばいいのか。

このとき、私は塾生になんと答えるだろう。まずは空転をするために現地に行くべきだ、なぜなら災害はなにも終わってはいないし、私は見逃すべきではないと考えるからだ。最低限の私の節操は守るべきだからだ。ひとのせいにしない。行くべきなのだ。走りながら考える、そのことなのだ。

空転の一日。要援護者支援の流れを作るために、「そのために、なにをしたの?」これを問い続けることだ。しかし、この感覚は、要援護者支援・ケアの連携活動を立ち上げたいと考える者の包容性のある言葉ではない。しかし双六は振り出しに戻ってしまった。地ならしは厳しいものだ。

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明日は午前中、茅ヶ崎市内の避難訓練だ。夜、「津波。そして桜」の再上映会がある。12月に上映し、1月にはETVで放送した作品だ。3.11を忘れないための前日上映と思い、参加する。

新年度、災害時要援護者救護セミナーの会員を募る文章を考えている。湘南のように被災時人口流動性の大きな地理条件の活動は、災害施策の多様化が望まれる。東日本大震災の東北3県の太平洋沿岸地域の街のあり方と違う。阪神淡路大震災との比較もやらねば。

夜間傾聴>ひとり


(校正2回目済み)

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3/8 ペットレスキュー支援紙No.15配布 他

2013-03-09 06:35:00 | 引きこもり
2013/03/08 記
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春本番のような暖かさ。

昨夜の話は区切り。これから厳しい状況がやってくる。

気持ちの切り替えを兼ねて、地元医の通院(糖尿病)のあと、懸案のペットレスキュー支援紙No.15を仕上げ、配布に入った。改装中の湘南動物愛護病院からぐるり中海岸・東海岸北・駅南口のアップル動物病院まで、ぐるり10箇所に支援紙を届けた。

河北新報によると、福島県は昨年度内の福島原発立ち入り禁止区域内の被災犬猫の保護数は「992匹」だったという。その結果を話題にして回ったのだが、992匹のうちボランティアを通じて、新しい飼い主さんにつながった数は、ざっくりその4分の1だったという。

馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないか、被災初期、避難所に犬猫を連れて行けないために、車の中で生活を続けるひとがいたという話や、私の知る藤沢の特養の月に2回のペットセラピーの企画の中で、認知症が進行している言葉を忘れた婆様が、犬と接しているうちに表情があらわれ、その犬に対してだが、言葉が出てきたという現場に居合わせた。ただの愛玩動物ではないことを実感していた。

レスキュー支援者の中には、(犬の)○○ちゃん、かわいいから…どうこうという話に夢中なグループもいるが、被災地の中でも、飼い犬・飼い猫が保護されて、元の飼い主さんに戻すことができた場面で、被災のショックで涙を失った子どもが、犬を置き去りにした父親から犬を奪い取ったとき、涙が一気に吹き出したというエピソードが隠れている。市内40箇所に通信を貼らせてもらっている。途中低血糖を起こしたが、低糖缶コーヒーで解決。

話さなければならないことがあるから、言葉が詰まる。橋渡しの言葉がない無力さを痛感する。

明日は立川の「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障がい者」の試写会に行き、帰りにJR相模原の塾で授業。対象者がいなければ、湘南バイパス側の配布を行う。時間があれば柳島在住の連続セミナー参加者のHさんと駅前で会い、2/18飛田レポートを渡す。

飛田レポートは、今日は市社協・トレイン・みらまーるに届けた。動くこと。鬱積しているものが消えていく。

NHKの番組にふたつ関連番組が放送された。録画しておいた。
両者とも今後の社会活動の大きなヒントが隠れている。


ひとつは「バリバラ」だ。
「今までのバリバラ:から選択

再放送:3月13日(火)深夜0:30~
●テーマ「震災」
 東日本大震災から2年~被災地の障害者はいま

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もう一つは福島県立医科大教授葛西龍樹氏の被災地の一次医療の課題の話だ。

●「視点・論点 東日本大震災二年(5)大災害から学ぶプライマリ・ケア」


昨日、S君の後、話をしていた**さんから診断書をもらってきたとのこと。全く気が早い。来週に入ってから、日程調整をすることに。

母を外食に呼び出し、やけ気味の天ぷら。家に戻ると金目鯛の煮付けがあった。留守中、母の友人が届けたもの。嫌な予感がした。立川の試写会は早く出ないと、来客につかまる。あと4時間。

夜間傾聴>なし

(校正2回目済み)

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3/7 仕上がった企画に乗るか否かですか、え?

2013-03-08 06:30:29 | 引きこもり
2013/03/07 記
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暖かいが風が強い一日。

昨夜、私の活動がひとの不快感を起こしていること。それはひとの了解を築かず先走りしている、カバーしきれないというものだった。面食らわせず、対話の技法を身に付けコミュニケーションをという親身な忠告だった。

その話に入る前に、この例を聞いて欲しい。

発達障がいが疑られる不登校・引きこもりの青少年と接するとき、この人間関係の不器用さと向き合うことになる。類似の課題が私に向けられることになるとは、しかし、それは意外でもなんでもなかった。私が若者に向かうとき常に注意していることは、認知の偏りから生じる歪みであるのか、関係性のねじれなのかという識別だった。

満腹のひとに飢えの話は耳に入らない。必死に戦っているひとに詩歌の感動を伝えることは出来ない。そこにひょっとしたニュートラルな空白をおくことができれば、話は対話の前提に立ち入ることができる。ここに対話の技術が入り込むことができるが、それは本質ではない。契機を生み、開いた心を逃さないための技術である。ここで語られている互いの隙間は、認知の偏りによるものではない。

私の教えた子のなかに、学校の友達に三角定規で斬りかかった子がいた。猿とあだ名されていた子だった。家が貧しく、遠足に出なかった。担任もその可能性を配慮し、遠足貯金をさせていた。遠足当日、彼は腹痛を理由に遠足を休んだ。しかしその子は、遠足の格好で、当日私のところにきて、図鑑をひっぱりだして夕刻まで時間をつぶして帰って行った。遠足の格好をしているので、何かあると思い、黙って彼と弁当を食べた。

この日を境に、貧乏を嘲る彼へのいじめが始まった。たまっていた違和感が噴き出したかのようだった。「親には私のところにきたことを絶対にいうな」と彼から釘をさされていたが、いじめの件で学校の担任と話すこととなった。親御さんは遠足に参加しているものだと思っていた。

担任は、彼が遠足の費用を、家への金銭的負担の配慮をしたものとして、彼の心を尊重しようとした。親御さんは遠足に行けなかったのは、担任のクラス経営がまずいからいじめを生んだのであり、金を返せと担任に迫った。彼は無口になり、不登校になった。

彼と話したとき、その原因は意外なものだった。遠足当日、彼のベルトが切れたのだった。彼は1本のベルトしか持っていなかった。親は忙しい。生活保護世帯であることを彼なりに感じ、自分から必要なものも買ってくれとはいわなかった。親も子の細かい状態に目がいくゆとりがなかった。私はそういうとき、仲介者が必要なのだという意味で、私に相談しなと彼を諭した。

担任は遠足不参加はいじめのためと生徒を叱り、更に問題なのは「別のベルトにとりかえればいい」と、こともなげにいい、当時やっと知識が伝わり始めた発達障がいを疑り、検査を勧めた。

この「別のベルトにとりかえればいい」という言葉と彼の悩みとの落差。ここに言葉の無力を感じる。担任との話の機会があり、親に2本目のベルトを要求できなかった彼の気持ちをわかってあげて欲しいと、私は担任に話した。結果は、担任が親御さんに「もう一本ベルトを買ってあげてください」とダイレクトに頼み込んでしまった。親御さんの悲しさ・虚しさは、彼への折檻となり、彼は部屋から出なくなった。

ここには、ねじれた関係性や、言葉の通じない空転が多重に横たわっている。この担任に罪の意識はない。ベルトがなかったのだとクラスの子たちに語って、事態は解決するだろうか。

親御さんから深入りするなと私は断られ、彼とは暑中見舞いと年賀状だけの付き合いになって3年目、「親のいないときに来てくれ」というしわがれた彼の声で電話がかかってきた。会うと彼は、精神科から薬を盛られて酔いつぶれたような、いわゆるしゃぶ漬けになっていた。部屋から出ない彼を中学校養護教員の勧めで精神の病として精神科に連れて行った結果だった。診断は鬱病とされていたが、発達障がいが併行して疑られるというコメントがついていた。

通じない言葉があること、ひとはそれを抱えていきていくのだということ、善意はときに刃となることがあること。結局彼が状況を脱したのが、更に二年後、ベルト一本がひとの五年を破壊していた。

今、彼は一児の父として、路線バスの運転手をしている。これは一例だが、悲しみや憂いという感情を伴う人の危機は、丁寧にもつれた糸をほぐすような作業を経るか、直感的なバイパスに飛び込む以外、日常生活を送る人々に理解されることはない。前者は時と場面が保障されなければ、解き明かすことは出来ない。後者は初めから出会いの可能性を期待するわけにはいかない。

認知の偏りの例は、そのすべての場合に不適格な場面理解が登場するので、私の側で寄り添い方を変えていかなくてはならない。前者の例は、彼から見れば、あらゆる周囲の人間は対話の道を封じて彼を型にはめてくるように見える。

私はこうした引きちぎられた断面を持つ子に出会う仕事をしている。PSWの資格を持っているわけではないから、教育者としての環境や関係の整備の限定付きで関わっている。

しかし、「馬を水辺に連れて行くことはできても、馬に水を飲ませることはできない」その共感を得るところで、この子の担任に感じたような、特異な経験が伝わる回路を持たなければ、2本目のベルトが常識の壁を超えることはない。馬は水を飲まない。

3.11があって以降、ひとの絆の大切さを説く場面が多くなり、いつの間にか家族の絆が礼賛されるようになった。それはまた別の話だというのに。しかしそれが判然一体となって納得されているなかで、DVの狭間で苦しむ子はどうなっただろう。片親ゆえの負担の大きさに、周囲の無理解が伴う子はどうしただろう。さるぐつわをかまされているような気になっても、身を守る沈黙に入っても、それは異常だとは思わない。社会はそういう雑駁な刃をちらつかせているものとして、飲み込んでいく技量や、ひとの多面性を論拠に場をいなすいい加減さを身にまとうことが、プラグマチックな仮の解決法なのだと思う。

しかし、ひとの隙間を眺めるがゆえに、持ち込んだ提案に響くものが相手の辞書に無い場合、翻訳が解決になるだろうか。
駅頭で3.11関連のチラシを配布している最中、声をかけてくれたひとは、九割方関係団体の所属のひとだった。累積6~7万枚のチラシの応答して話した方も、初期の頃のカンパのように、その場では対応してくれたものの、会合への参加は全くなかったし、かかってきた電話連絡はどの議員の支持者かという探りでしかなかった。相手を諭すような対応が戸惑いや迷惑を引き起こしているならば、私は営業マンの知恵や話術を駆使することはできないだろう。しかし思いの塊は文章として残しておくこと、その上で、語らなければ、対話のキャパは超えてしまうだろう。相手にこれを読めばわかるということではない。「二本目のベルトを買ってやってくれ」と親御さんに言い放ってしまう表層なだれのような悪意のない悪意を止める力が私にはない。火急の課題を私はとり上げる。私抜きで一向に構わないから、課題解決を始めて欲しい。

今回の話合いは、私なりの改善の努力をすることを約束した。同時に、板挟みにしてはならない人々もまたはっきりしてきた。提案はとどけるが、それ以上の要望は断つことにした。この指とまれ型活動の原則であり限界である。いつも協力して下さり、間に立ってくださっていることは、言葉にならないほどに感謝している。しかしどんなに軽蔑されようと、その方々が動き出すまで、生涯をかける以外ないと思っている。自分の課題としてひとりでも動き出さない限り、それが私との連携を拒否したものでも、私はその動きを待っている。講師を口説くときの背景のなさに呆れるか、訝り遮断することは、うんざりするほど経験している。今まで私が招待したゲストは、そういう悪戦(苦闘とはいわない)の結果呼び寄せたのだ。ここへの援軍が欲しいが、協力ならばいらない。

ときのタイミングを過たぬ、見通しが開ける提案、皆が結集しうるような提案を練っていく。私の提案はたたき台であり、完成形ではない。ただそれを即座に廃するようなレッテル貼りには、先封じをしてある。QRカードで言えば、「個人情報の塊ではないか!」という批判に対してだ。しかし「QRカード」はパッチにすぎない、要援護者支援に至るひとつの切り口だ、しかし、それでも助かる命も見込めるのだ。

要援護者、特に障がい者と高齢者のテーマについては、ねちっこくやっていく。これからのチラシは通信紙の形式になる。また配布時点の対話への努力は重ねていく。また板挟みにさせかねない方の支援からは離れる。孤立は引き受ける以外ないだろう。対話への努力はするが、内容吟味の必要性が伝わるまで、可能性を探っていく。


夜間傾聴>ひとり(遠方ゆえ後日メール応答・今回限り)



(校正2回目済み)


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3/6 映画「障がいのある人の3.11」レポート(続)/他

2013-03-07 05:43:20 | 引きこもり
2013/03/06 記
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日本財団と日本障害フォーラム(JDA)主催の東日本大震災・報告会(含:試写会)を終えた。昨日は、ドキュメンタリー映画「生命のことづけ~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」の感想を書いたが、私には会全体が中途半端な印象を持って終わったように思う。

私は、
1)「生命のことづけ
   ~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」
   湘南上映のための下見

2)新年度企画の講師候補探し

という2点で参加したのだが、1)については、私が認めようが認めまいが、いずれ湘南上映は、災害ボランティア活動の見通しの中に置くような発想なく単発で行われるだろう。内容がいけないというのではなく、お粗末。あらすじのスチル写真をみているような印象なので、「別の講演とのリンク」のような企画の中で上映できないかと思案していた。

現在、被災者にお願いして生の経験談を語ってもらうという企画は、被災時の凄惨さを伝える語りであるかぎり、間が抜けたものになってしまう。災害を切り抜け、始まった長い避難生活と日々の抑える思いをぶつけてもらったほうが、私たちがどのような連携を図ったらよいかが浮かび上がる。

つまり、被災健常者の活動の影になっている「要援護者の今」を語りうる人物を探すことだ。

今ひとつ考えているのが陸前高田の大洋会の共同作業所関係者の方を招待したいと考えている。消えようとしていた北限の椿油精製や、新たに始めた食用ほおづきの生産の話の裏側、買取先の流出による新規販路拡張の課題のようなことに、マーケットの小さな分野に舵を切った話など、考え抜いた被災と戦う事業所の話がある。ところが昨年「椿油の買取り」を進めないかと、私が湘南の関係者に話して思ったことだが、「椿油」を食用にすることができることを知っていた方が皆無だったことが、話を塞いだ。NHKオンデマンドを使えば「キッチンが走る ~伊豆大島~」後半を見てもらえばわかる。その予備知識の違いも手伝って、話の空転もあったが、特殊なものの生産による事業収入の活路を拓く、大胆な試みの事例。これを語りつつ、被災した障がい者の家庭の現状など、話す内容の打ち合わせをしっかりやれば、その語りの背景に被災地・成人障がい者の現状が透けて見えてくる。

しかし、映画とのマッチングがよくない。

もうひとつが、大船渡や陸前高田の生活・医療介護ネットの現状と今後の課題について、連続セミナー第三回と重なるがCSWの方の語りを、連続セミナーだけでなく、お願いする方向だ。これは、今回のJDFのシンポジストの中から、JDF関連の方の中に、候補を見つけたこと、これはちょっとしたおみやげだった。

しかしこれも、日常的な災害ボランティア活動を向かい合わせないと、被害と取り組む被災者にどのように連携するかは見えてこないだろう。そしてまた、その体験談を読み解き防災に厚みを加えていくという論点だ。被災者に、ただ体験談をお願いすると、結局被災時の強烈な体験談になってしまい、今手を結ぶべき、「避難生活の中の連携・要援護者の支援」がなかなか語られないという状態が生まれてしまう。

映画と組み合わせるには、かなり事前の綿密な打ち合わせが必要だ。ここを映画監督の早瀬憲太郎氏の招待で、お茶を濁してはならないのだ。なんのための企画なのかが見えない、なまくら企画になってしまう。

カプリングが難しい。宿題が残った。

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S君の前では強がったが、朝、橋本で面談を済ませたので、流石に眠い。

S君に連れ添ってというか、繊細なS君にはちと困った痛し痒しの同伴だった。面談に立ち会わせてくれたのは、ちと嬉しかった。今手元にある可能性を引き寄せる、いわば「わらしべ長者」流の対応を勧めたい。

しかし取調室風の真っ白な部屋はいただけなかった。

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眠気から節々が痛み出し、大船のカウンセラーの**氏とは、実務上の話。S君より5歳上の方のお願いだった。今日の用事はあと一つ、無愛想飛田の弊害是正の話(すみません)。

ラーメン食べつつ、丼に顔を突っ込んでしまいそうになるので、茅ヶ崎図書館で休んでいた。弊害是正の話は明日に。


夜間傾聴>ひとりいたが、お願いして早く切り上げた。


(校正2回目済み)

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