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湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/5 映画「生命のことづけ~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」試写会に参加して

2013-03-06 04:58:49 | 引きこもり
2013/03/05 記
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今日は日本財団と日本障害フォーラム(JDF)主催の活動報告会と試写会が、参議院議員会館講堂にて行われた。参加者は公開募集によるものというより、関係者が大半。

この会では、改めて

「生命のことづて~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」
(30分監督:早瀬 憲太郎)

というドキュメンタリー映画が公開された。東日本大震災の被害は、障がい者にも襲いかかった。ところがどれほどの被災者が命を奪われ、被災後二年、今はどうしているかその把握データが全くない。陸前高田市に至っては、住民台帳を津波で喪失し、それもあって、昨年10月に、障害者訪問調査を行った。個人情報の守秘の壁を団体指定と目的限定の上、開いた。南相馬市と並んで二市が条件付き公開をしたのだった。この結果から推測された値が「死亡率2倍以上」という数字だった。

災害ボランティア活動は、被災健常者(奇妙な造語ですが)を対象にし、環境整備と産業復興、被災者激励を行い、要援護者への関心が薄かった関係で、元気な高齢者はいるが、歩行困難になったり、心身に不調を抱える高齢者や、障がい者の姿が忽然と消えたかのような、不思議な光景を生み出していた。

この障がい者の消息を追い、被災時どのような状況が訪れたか、または現在どのような生活をしているかを拾い出して点描を行う活動がやっと表に出てきたのだった。障がい者と支援者を結びつけ、全国支援の退潮の中、孤立化を防いでいく役割を担っていた。(高齢者の場合も、引きこもったり寝たきり状態の方の現状を、埋もれさせない同様の試みを期待している。)

その意味で、このドキュメンタリー映画の意味は大きいのだが、手話・字幕・読み上げ音声などに配慮したわりには、内容が浅く、スチール写真を過剰に積み上げ、ライブ感に欠けた、まるであらすじをみているような印象を受けた。費用も制作時間もかけていないことが顕わになってしまった。その割には、多くの障がいを網羅して紹介するために、改めて無関心という差別の影を知ることになる。あまりにも多くの出来事が起きた。しかしいずれもが、障がい者の居場所がないという現実だった。

私は、ふと引きこもり・不登校の青少年が田舎には少ないということをめぐる議論の彼方に、「家族の絆礼賛」の合唱だった。学校の人間関係だけでなく、家族の離婚・死別・DVなどの原因で、学校社会からはみだしてしまった子に「家族」の歪みに蓋をするような結果を生んでいることのきな臭さを感じていた。

避難所で知的障がい者が暴行を受けた例をきく。発達障がいの子を避難所の健常者の非難の目から避けるために、車の中で避難所生活をしてきたという話など、沈黙を強いられてきた実態が浮かび上がってくる。避難者にしてみれば、深刻な事態と疲れた心身を癒したいときに、「非常識」な行動は許せないとなってしまう。障がい特性を知らない結果だというのに。

この高ストレスな圧力のもとで、姿が消える悲しい状況。しかし、沈黙する障がい者とその家族は、被災しているのだ。

そういう空気のようなものは、この作品から感じることができる。だから、関連講演と組み合わせて使用するような使い方をすれば、価値が上がる。主賓にはならない。

上映権込みのBDディスクが¥10、000ーで、申し込み販売となり、一般販売は秋口からだという。

考えてしまった。テーマはタイムリーであり、日本財団とJDFとくれば、湘南上映は確実だろう。ただ上映会というには、役不足だ。

そんな思いでパネルディスカッションのパネリストたちの話を聞いていたが、絞れば果汁の出そうな方は、遠方。

発達障がいや、精神障がい、知的障がい、聴覚障がい、内部障がい等、外見から判断が難しい障がい者がすごした被災の日々を描く作品が必要だ。これを劇でやると嘘くさくなる。特定の障害者の家族を追っていくことで、他の障がいへの想像力をかきたてていく描き方がある。図鑑のように並べるだけが方法ではないだろう。

パネリスト関連のレポートは、あすに。

明日は朝、橋本面談。S君の就労相談に連れそう。お守りみたいなものだ。(疫病神かもしれないけれど。)


夜間傾聴:**子に連絡したら、父親が出た。
     夜に電話がかかってこない、遮断されたかなと。


(校正1回目済み)

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3/4 マイナンバー制とQRコード医療情報カード 他

2013-03-05 06:23:01 | 引きこもり
2013/03/04 記
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「マイナンバー制」が国会に提出された。タイミングの悪さに少々落ち込んでいる。個人情報は一元化すると危険だ。しかし甚大災害の時、傷病者・病弱者の健康管理は少人数の医療関係者が救護にあたるとき、以前のカルテが治療現場にあることは少ない。状態をつかみ、服用薬を探り当てる作業は、膨大なる労力を要する。

例えば、看護師が「医者からもらっている薬の名前」を聞くとき,どのくらいの割合で、被災者は薬品名を答えられるだろうか。意識を失い、または幼いために、答えられない者もいる。「胃の薬と、アレルギーの薬です。赤いつぶと粉薬です」とは答えられても「○○マイシン5mg」という風に答えられるだろうか。たとえ自分の治療中の病名を答えられても、アナフィラキシーショックの経験者と、確実に答えられるだろうか。

消防署などでは、茅ヶ崎では「安心カード」という紙製手書き医療メモが配布されているが、これをQRコードに置き換えた電子メモを健康保険証の注意書き部分に貼り付けて携帯する。そうすると、普及品携帯QRコードリーダーで、「カンマ区切りテキスト」として読み取れ、エクセルなどの表アプリに直に転送することができる。もの言わぬ者・傷病者の医療基礎データが、ICカードリーダーのような特別の機器を持ち込まずとも、停電の現場でデータ処理できるのだ。

またこのカードは、避難所などの集団生活を送るときの配布チェック(衣類・食物等)や、生存証明、母センター機によるメールチェック等のIDカードにもなる。制作も安価だ。

記録項目は多岐にわたるが、項目自主選択制とし、カードも希望制を守る。入力者は他地域障がい者の仕事とし、行政と民間の共同管理の室内で入力を行い、入力後は申請書をデータ部分を焼却処理する。

カード申し込みは、地域拠点病院と市行政窓口が受付ける。まずは市立病院から初め、民間拠点病院、さらには個人開業医院に広げていく。情報回収とカード返却も障がい者の仕事とする。制度上も情報の転用を禁じる。

体調の変化という情報の更新は、紙製やICカードも同一の問題を抱えるため、QRコードカードだけの問題ではない。

シールの耐久性や更新重ね貼りや、剥がし交換も実験済みでクリアしている。しかし、このアイデアが市民権を得るには、「マイナンバー制」が論議される中では、カードを落としたら問題ではないか、マイナンバー制の水先案内となるのではないかという議論に耐えなければならなくなった。

たとえば、病院の受診カードには、堂々と生年月日が入っているし、ポイントカードの中には、住所が書かれていたりする。運転免許証などは、いわんやおやだ。紙製安心カードは冷蔵庫保存が主としているが、これは昔の火災風水害モデルによるもので、家屋はもとの位置にある。しかし津波の経験をした私たちは、家が流され、倒壊したことを知っている。救急医療には、個々人の情報携帯が基本となる。津波で流されなくとも、冷蔵庫の多数は蓋側に倒れ、冷蔵庫が開かないとか、倒壊家屋に入らねばならない危険を伴う。流された冷蔵庫の中身は無事でも、その捜索に時間がとられる。

携帯電話は連絡用だけではない。その機能を使えば、特殊読み取り機や、停電時の利用が可能ということで、役に立つはずの提案が、大局的な個人情報管理論争や、政治対立の渦中に投げ出されるのだ。だから、このかーどはNPO管理のもとに置くのだ。タイミングが悪い、まいったなと、方策はないものかと思案している。

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父の入所している老健も二年半になるために、特養への移転を勧められている。空き待ちという状態。そんな中、特養の空き待ち更新の時期となり、依頼していた特養から調査員がやってきた。家族の立ち会いと、家族への調査もあるということで、老健で、現在の老健のケアマネさんと、調査員さん(先方のケアマネさん)と3者で話し合った。しかし空かない。順位が上位になったとはいえ、もう二年半たっているのだ。

明らかな老い、認知の後退、死の影が忍び寄っている独特の印象が、心に重い。

調査員さんの元気な高齢者向けの声かけが、いっそう虚しく。つい現状を口にして、検査中という険しい顔に会う。父は元気な頃「さくら・猫・電車」を暗唱していた。だから単語を変えろと言っているのに、「さくら・猫・電車」を反復する。今は応答の言葉のない父に「さくら・猫・電車」を試みている。教条的というか、この硬さが入所者に向けられるのだと思うと、うんざりする。

まずは、話が終わった。私が×いちの理由を求められた。まったく失礼な話。きっと人間失格なのかもと言おうとして、老健のヘルパーさんが飛び込んできて、場面が代わって終わった。経験不足、ケアマネがこれでは…。

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糖尿病だというのに、厄払いでスパゲッティナポリタンが食いたくなった。店の前を行ったり来たり。電車の時間だと言い聞かせて、ホームに降りたら、電車が行ってしまった。

少し時間が空いているので、茅ヶ崎で下車。黒田さんの講演会に参加してくれた行政関係者3課を周り、追加資料と飛田レポートを置いてきた。

岩手県庁から資料が届いていたので、それを見ながら出勤。運転手が欲しい…。気持ちは陸前高田に飛んでいた。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

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3/3 両手を上げて交差するサイン・メモを持ち歩く等々

2013-03-04 05:17:13 | 引きこもり
2013/03/03 記
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ワイワイまつり(3/2)の企画で祭りに参加した健常者向けに「障がい者の避難訓練番組」を資料にした話合いを行った。実際は当日になるまで全く反応がなく、会場のチラシ配布が鍵になっていた。災害ボランティアの視野は被災健常者の範囲を出ていないことを痛感している。

ビデオ上映には、聴覚障がいの方や手話通訳の方が参加してくれた。手話通訳をやってくださり、感謝に絶えない。

サポセンにはDVDプレヤーしかないので、買い込んだBDプレヤーを持ち込んだ。しかし、二日前の予備実験では、すんなり接続できたプレヤーが、5分間の交代時間内で、接続したものの音が出ないで混乱した。市民自治推進課長の**さんが、慣れた介入をしてくださり、時間内に設定を正常に戻すことができた。感謝です!

この映像は、住居から外部に脱出する場面と、津波を想定して車椅子を階段から上げる場面、トイレの確保をめぐる問題が出てくる。しかし、ここでも「外出時被災」は登場しなかった。

電動車椅子は、階段を協力してあげるときよりも、下ろすときの方が不安定になる。臨時の椅子改造のトイレを披露していたが、女性用の囲いテントのことや、案外下に置くダンボール箱が、ダンボールは他方面で便利に使えるので、入手できなくなるので、行政の備蓄倉庫に、実は廃品回収で回収した古新聞とダンボールの新しいものを備蓄していくべきなのである。これは行政に対して提案すべきものなので、会場では語らなかった。

話し合いの時間が短かったので、意見交換も滞りがちだった。そこで、外出時被災の際、対策としてふたつの提案を紹介した。この提案は、特別なものを持ち歩かなくても、避難保護を求める場合や、災害弱者を保護したというアピールのサインに、

両手を上げて左右に振って交差させる

というものだった。混雑した場で助けを求めるのに音声は不向きであるから、視覚的にサインを出すというものだった。

これは「災害時初期誘導員制度」の提案の中に組み込んでおいたものだ。このサインによって、保護が必要な方の存在確認・相互確認の役割を果たす。

ただこれも問題がないわけではない。両手の万歳の体制は、胸元が空き、重心も不安定になることだ。この辺の改良の余地が残っている。

もうひとつは、メモと筆記用具を持ち歩こうという提案だ。メモはできたらポスト・イットのような紙がいい。聴覚障がい者の方との対話や、場を去る時のメモ書きに使える。重いガラス瓶に貼り瓶を固定する。

この二つを市民キャンペーンに載せていくのだ。

●枕元に靴と携帯電話(充電器付き)・懐中電灯を
●外出時、救護した、または救護して欲しいという
 「救護サイン」を活用しよう
●メモと筆記用具を持ち歩こう

こういうミニマム・キャンペーンを実行することだった。これならやれそうという内容の提案だった。

次に、外見ではわからない困難を抱えた障がい者の外出時被災は危険なものになるために、その場の管理者、駅長・大店舗会災害担当者等との関係者懇談を実現すること。来年度は、この辺にもアクセスし、会合をつくると公開した。

協力がなければなかなか実現できない。しかし、今回はそのネットワークを一歩進めることができたように思う。

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朝、**子の家族から連絡が入った。長期は無理だが同じ生活圏にある、一時預かりしてくれた地元菩提寺が、緊急避難ならバイト名目で宿泊可能という状態を継続してくれることになったという連絡があった。本人嫌がらずに出かけていったとのこと。住職が親御さんの同級生なのだとか。まずはよかったと思うけれど、**病院には連絡をしておいた方がいいと応答した。また、親切を当人が負担に思いやすいから、話し相手になってくださいとお願いした。

月曜日、老健に行って、待機希望特養の担当者と父の今後のサポートについて話し合う。このあと相模大野まで来ていただく方と面談。専門家につなぐ。

今、母と同年代の知人の甥子さんが母親の欝発病から養育放棄となり、2歳児発育に異常が出ているという相談で、都内某区の担当者に相談をかけている。この方の息子さん(つまり母親の父)に言って行政相談に行けと行っているが、公開を拒否しており、どうしたらいいかと、ぐるりまわって私に相談に来ていた。状況だけ区の担当者に紹介したが、母親が娘である父親と会う。連れ合いは実質離婚状態だという。このケースは、私が長く介入するケースではないが、いつも思うのだが、こういう環境下の子どもは小さい。写真を見せてもらい、ため息がでた。是非、解決して欲しい。

火曜日、参議院議員会館にいくので、この父親(私のふたつ下)と午前中会い区役所へ。夕方に**子の家族に会い、橋本で夜、仕事の方の面談。

参議院議員会館講堂では、JDFの「東日本大震災~障害のある私たちは訴える」の試写会。内容が発達・知的・精神の各障害にもしっかり評価できる内容があるかチェック。よければ湘南上映の芽を持ち帰ってくる。

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時間が間に合えば、明日、2/18参加者に飛田(厄介)レポート付き追加資料を行政関係者に届けに行ってくる。

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ひなまつりなり。お婆相手に「あられもない」か、母をつついて仏頂面解消。と、青色申告いついくのかと責められ、雰囲気もく*もない始末。消滅していく家庭の末路なり。

夜間傾聴>なし

(校正2回目済み)


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3/2 ワイワイまつりに 障がい者避難訓練の話の場 他

2013-03-03 04:56:08 | 引きこもり
2013/03/02 記
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朝、橋本3君(『飛田、ぶっ殺してやる』の本人)から電話が入った。すぐに橋本に来てくれとのこと。塾長がジャワから帰ってきていて、疲れたから明日にしてくれといわれたという。困ったなと思った。今、橋本に行けばワイワイまつりの企画遂行は無理となる。結局1時間ほど話して、睡眠時間3時間のまま、会場に入った。

TAJ(タージ)の被災地体験談話は、外の演奏行事と時間が合ってしまった。話が聞き取りにくい状態。チラシを50枚作ったが、結局20枚残ってしまった。

バリバラの障がい者による被災避難訓練を資料に、健常者向けで、話を立てていたが、参加してくださったのは、聴覚障がい関係の方や、手話通訳の方など。それに市民自治推進課の課長さん。会場は満席という状態。

詳細は明日にまわすが、健常者向けに作ったのに、聴覚障がいの方が多かったのに、健常者の関心の薄さを改めて知った。

横浜で大森くん(仮名)と会った。BDプレヤーをかついだまま、**子の様子を聞く。家が荒れているから、家に戻らない方がいいとの話。大丈夫だろうか、不安が高まる。

夜間傾聴:睡眠不足。ひとりで中止。

(校正1回目済み)


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2/28 黒田裕子氏講演会レポートをまとめていました

2013-03-02 04:20:44 | 引きこもり
以下は、既にブログで流した記事をまとめ、来年度のセミナーをさぐったものです。修正を加えてあります。

------ ここから --------

~被災者支援と防災の連続セミナーの種 災害看護の講演会を実施して~

今回の講演会(2/18)は、医療・福祉の目で防災・東北被災者の有効な生活支援の見通しをたてていく、その素地となる先進活動と情報を提示し意見交流を行うというノード(集積交差点)作りの活動だった。

第一回講演では、県茅ヶ崎保健福祉事務所の保健予防課の講演をお願いした。この話を口火にして、今回の黒田裕子氏の「要援護者の保護と医療・生活支援」を焦点にした

「被災地の災害看護活動から考える生活復興期の支援~災害時要援護者の支援を中心に~」

というテーマを語ってもらった。

ー☆ー☆ー☆ー

~災害看護と「地域トリアージ」から見える論の隙間~

黒田さんは、訪問災害看護活動の視点に「地域トリアージ」という概念があるという。限界ある人材の中で有効性と効率を考えた、飛田の使い慣れた言葉で言えば「パーソナル・ケア」の「パーソナル」にあたる個々人の状態、個別性を、「適切に分類して対処しやすくする」という、いわゆる「優先仕分け」のことで、これを地域に適切に対処できるように処理情報をファイリングしておくという、徹頭徹尾「施療者のための」行動基礎情報なのだった。

福祉の立場からは、「共感と伴走」というケアの視点が入ってくる。しかし、これは安全避難の後に活きてくる概念だ。災害看護の場では、保護と安全確保ということが第一となる。これは「被災から避難・治療生活、生活再建」という時間軸のどこの論議なのかということで、内容の重要性の比率が変わる。災害を一括して語ってはいけない。常に時期と場面を意識して考えていかねば行動を見誤る。

黒田さんの説明は、被災時の住民の保護に携わる方の話にシフトしていった。防災構想の大局の中で、「どの組織がどのように対処し連携していくのか」という点に概括的に触れて、セルフチェックの手法を使って、「あなたは的確な行動をとれるように準備していますか」と問う。あなたとは「災害救護・看護・介護の関係者」である。この部分の話はさらりと流れたのだが、この論法は基準となる構想をバイブル(真理)としているので、臨機応変さを価値とする社会活動(市民活動)畑からみると、硬直化しているように見える。

社会活動は基本は「探り当てていく活動」、「ひとや現象と対話しながら解決に導く活動」だから、実践と企画更新は一体のもの「試みつつ、過ちを活かしていく活動」ともいえる。いわば「過ち組み込み済み」論、臨機応変性が、組織の遂行論を超える独自の命のようなところである。

ところが災害の場合は過ちは命に関わることであって、やり直しは効かない。被災後、企画は改良企画で見直しをされていくが、基準更新のスパンは長く、経験の固有名詞は消し去られ一般化される。

日常的に訓練を受けた者が災害対処法を啓蒙し、迷える子羊を領導するという基本線に沿って、防災活動は展開されている。

~「要援護者」とは~

ところがそこに、はまることができない事情を抱えた方たちが「要援護者」なのであって、それを無視して効率と有効性のなたで「ひと」を整形すれば、「ひと」の全体性は失われ、削ぎ落とされた体幹がただ残るだけということになりかねないのだ。「要援護者の保護・支援」とはそういう「ひとの多様性・個別性に丸ごと寄り添う」ということだ。

抜け落ちていくひとたちを保護するために「地域トリアージ」が行われる。そこに「自助・共助・公助」という論が日常待機の枠組みとして登場してくるが、この「自助・共助」が難しいひとたちの防災論、自分らなりの「自助・共助」論が成長しうる防災論はないかと私は考える。

発想は「被災前・被災時・避難生活時・生活再建時」という時間軸を意識しないと、ひとを丸抱えした防災論はありえなくなってしまう。災害が去った「避難生活時」について考える場合、救急医療の観点は退き、治療と保健の福祉に近づいた視点が重要性を増してくる。

黒田さんの話は、この後、避難所生活と看護の話へとシフトしていく。茅ヶ崎の避難所は現在8箇所、福祉避難所は3カ所だとの市行政担当者から話が出て、避難所の数について黒田さんから「比較的進んでいる地域」という評価があり、それでもまだ「被災者を収容しきれないだろう」という行政担当者の悩みのコメントが参加者から入った。

阪神淡路大震災のとき、この「地域サポート」と「地域トリアージ」が行われていなかったために、単身者の孤独死は700名強に及んだ。自殺者も増えるが、生活破綻・病死によるものが主だった。そのことについて、私は意見をはさみ、東日本大震災の被災者の中から既に「孤独死」が始まっているが、阪神淡路大震災のときと同様、「孤独死」が際立ってくるのは被災後数年経ってから、つまり二年目以降の現在の課題ではないかと黒田さんに問いかけた。

「孤独死」は「地域の絆の問題」だと応答する黒田さんのその視野には、どのような人々が写っていたのだろう。ローカルの集落の場合、地縁・血縁の結びつきは濃い。日常生活のプライベートな部分まで、互いに明け透けに見えている社会。一方、分譲地やマンションのように、広域から集まった「ひと」で地域ができている場合は、隣人を知らないことが珍しくない地域である。一般に後者の現状としての地域は否定的に扱われ、「ローカル・モデル」の地域の絆作りがすべての地域でも必要という論のもとに、都市・都市近郊地域の防災活動が空転する。それは住民の公共意識の浅さなのだろうか。

黒田さんの応答は、教科書通りの「防災・防犯の必要性に基く地域コミュニティ作り論」だった。ある家庭は高齢者の介護を抱え、ある家族は週半分は仕事の関係で家を留守にし、ある家族は三交代勤務で夜勤がある。ある家庭は水終売を営み、ある家族は宗教に夢中である。またある家は事情があって単身生活を行い、ある家族は10人家族である。ある家族は、せん妄を伴う若年性認知症の方がいる…という具合に、家庭生活は多様であり、そこには噂や差別による傷つけあいや無理解が潜んでいる。

「人間、早起きはいいことだ」式に、防災コミュニティの鋳型を当てはめていくのだろうか。民生委員や地域自治会役員によるプライバシーの集中管理おこなわれても、それは相互理解・相互扶助というひとりひとりの自覚的行動育成には直結しないだろう。

この従来型の防災シフトは現在の防災構想が、都市型の特徴である「外出時被災」の、いわば「地域コミュニティの手の届かぬところの防災」というシステム的な穴を持っていることも、新たな防災ネット論が検討されるべきなのだ。集落の地域コミュニティは、農漁業の社会的生産の背景や、地域が同一職種に属するというような歴史が生み出したものだ。それを安全避難の都合でコミュニティ像を社会にかぶせていくことに、疑問を感じないだろうか。

被災直後、黒田さんはそのコミュニティから独立した職業として、人命救護や安全確保にあたる。避難が済んだ時点からの看護ケアと避難所運営スタッフつぃて、災害コミュニティを立ち上げる。地域まるごと避難の避難所でない限り、避難所は見ず知らずの家族も混じった「仮想コミュニティ」である。

「外出時被災」については、「通勤者の一時避難」以外、誰も生活圏の研究経過を語るひとがいない。見知らぬ他者に囲まれた時の被災は、生活圏といえども、要援護者には過酷な状況となる。

指示が聞こえない聴覚障がい者や、私のような見かけからは健常者に見える網膜色素変性症の視覚障がい者、指示が理解困難な知的障がいや、発達障がい、精神障がい、外国人、指示通り動くことに困難のある妊婦さんや乳幼児連れの親子、高齢者や身体障がい・病人の方なども、場の集団にシャッフルされてしまう。こうした方を安全避難させ、次に家族と再会させる活動が方法論を持っていないことがあるにも関わらず、みごとにこの「外出時被災」については、論じられることもなく、無視されていくのだった。

災害看護の立場からは、急性期(被災直後)、地域に派遣され地域住民の命を守るという立場からすれば、「外出時被災」は守備エリア外にはみ出してしまう。その意味で、今回の会で数回「外出時被災」について、私は黒田さんに水を向けたのだが、すべて空振りに終わってしまったのは、災害看護の組織的対応を仕事とする対象を明確にした活動であるがゆえの、範疇外の質問だったと理解している。

結局、講演は、被災時の「救急医療と災害看護」「避難生活管理の留意点」を紹介することで、災害時の看護師の活動の重要性は語られたが、それは関係者向けの会という意味では、全体像を語るには、漠然と全体のシステムを語るのではなく、逆にピンポイントの具体的場面の、場面カンファレンス型の論議(針の穴から世界を覗く。)、テーマの立て直しが不可欠だった。黒田さんには、研修型の語りから経験紹介の語りへの誘いが必要だった。

参加された方(13名)を満足させる内容であったかと問われれば、いささか心もとないのだが、「要援護者の救護・支援」が喫緊の課題として、今問われているという感触は、改めて感じ取ってもらえたのではないかと思う。

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~災害発生時の救護活動への社会活動連携~

黒田さんの講演は、在宅被災者の救護を出発点として、救援者のネットワークへの説明へと話を拡張していく。

黒田さんにとっての救援者とは、消防団とか町内会・防災リーダーや、自衛隊とか警察・赤十字という救護のプロ集団のことで、市民活動のような自発的即席運動体は位置づけや、連携のスケッチすら見当たらない。被災時活動は訓練された者でという常識が通っている。隣人の急場の保護や連れ添い避難が自然発生的集団行動になっても、その力とは防災論上接点を持たない。綱渡り的に見えるが、実はこの協力に立ち上がる人々・正しい災害リテラシーを持つ人々の自発行動を、平常時如何に増やしていくかが鍵になる。その行動が危険行動であるか否かは綱渡りであるが、東日本大震災の津波避難行動の場面では、この人たちが当人を含む隣人の命を大きく左右したのだ。

時間が経てば、全国の災害ボランティアが集まってくる。この段階でボラセン等が対策本部の形で集まってくるが、退職看護師の会のような有資格者以外は、蚊帳の外に放置される。実際には救護場面では、障害物撤去や死傷者身元確認等の限定的な連携が行われるが、救援の公的団体の指導下の動きとなる。しかし、救急医療から災害看護に引き渡された傷病者は、介護の枠の中で、ボランティアの連携の場は広がるのだ。ここでさえも、地域の絆からはみだした市民活動的介護ボランティアが働き出すのであって、地区社協・地域自治会の管轄外の動きが意味を持ってくる。予測の難しい自然発生的な協力者のファクタを動的に組み入れておく災害論が望まれている。

「外出時被災」のようなシャッフルされた状況の中で、災害弱者の保護という課題は、混乱した集団から安全確保して避難させる自発的な「準・防災士」のような活動が必要になる。研修と資格試験を受けて、防災士になるという道も大事なことだが、いわば活動の裾野、「自発的保護の社会活動の登場」が期待されている。

地付き援護者育成の枠組み外の、都市型災害対策の社会活動を考えたい。その思いが初めて登場したかのように黒田さんに聞こえている現状こそ、専門職の横断カンファレンスというか、情報と発想交流のロビー活動、実践的な検討会が必要なのだ。

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セミナーの個性・目的・予定などまとめたメールを書いたので、その抜粋を以下にのせます。まだ来年度のラフスケッチ段階ですが、ご覧下さい。

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セミナー育成の目的は、ざっくり言えば、

1)被被災地後方支援の立場から、東北被災者の継続支援のエネルギーの水路をたてていくか。

2)生活・就労・居住にシフトしていく被災地のニーズによりそう、現地長期滞在型ボラの活動の質の焦点(生活支援)化。

というような「東北被災者継続支援の内容検討」という社会活動の必要に応じる論議。

「孤独死」や「自殺」というような矛盾の頂点にある対策課題に連続して広がる、生活破壊・生活苦に対する生活再建連携支援の骨格作り。

これらは、東北の次は防災という水をかけられてしまった焚き火の再燃にふんばる災害ボランティアのニースに答えるものです。その中に「災害時要援護者の救護支援と生活支援」が出てくる。

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もう一つは、

3)東日本大震災の状況報道などにもブラインドまたは無視されてきた災害弱者の支援と、それを通じて自分たちの防災の予防対策作り。東北の災害弱者継続支援と災害弱者防災の一体展開。

これは、災害ボランティアと行政・議会の共通課題で、セミナーの中心課題となるものです。

「東日本大震災の災害弱者と生活再建支援」
「災害弱者の地域防災」

のふたつ、「災害時要援護者の救護と支援」という個性を持った災害ボランティア活動の補完支援活動なのです。報道にブラインドされてきた高齢者・障がい者被災実態と避難生活を見失わず災害対策活動を作っていくこと。ここにあります。

支援活動が退潮期に入る中、一般向け活動でそれを成すには、ステレオタイプ化した支援活動の説得という時間のかかる問題が控えています。逃げるのではなく、時間的余裕の無い喫緊の課題だからです。

第一に、拡散している支援活動に、このような大上段ふりかぶった見通し立て活動を一般向け活動に託すのは無理だと思います。

だから「要援護者・災害弱者」を支援する関係者が議論となるにこしたことはないですが、それは、まず無理なので、関連ゲストを呼んで、話の口火を切ってもらう。リアルに論点を掴ん
で考えるという懇談型講演会を作りたいのです。

行政関係者にも入ってもらいたいので、路線化の志向は各自の所属団体に持ち帰ってもらって活かしてもらうという「野球のファーム」のような場を作りたいのです。内容は、災害ボランティア全域に及ぶ必要は無く、補完的(実はまったく補完的というより扇子の要)領域の講演会です。

できるだけ現場の関係者を頼み、視界がクリアになる内容を仕掛けたいんです。だから、いわゆるお偉いさんに限ってはいない。ただ被災地や阪神淡路の関係者から呼ぶことが多いので、
交通費がかかります。また少人数(3~4人)ですが、長期休暇を利用して、ピンポイントの見学会を年1回入れたいので、ガス代、車調達費、1泊宿泊費がかかる。全額参加者負担では、
怪しいので、民泊含んで宿泊費はセミナー負担で行きたい。

現場が見えるひとが育って欲しい。




来年度は

JR茅ヶ崎駅駅長

大店舗会災害担当者

包括支援センター担当者

医療介護機器販売レンタル業者

民生委員等

地元関係者との懇談も視野に入れているので、交通費は一概には言えないが。なかなか成立するとは思わない。

災害と災害弱者をめぐる活動をあちこちで活性化させていく、チャージの活動の感じだ。ただ、切れ味だけは、通していきたい。

実施回数は地元ものはできるだけ多く、それとは別に、遠方からの招待・1回の見学交流小ドライブを入れて、年4回かっちりしたものを実現したい。

被災地の訪問介護・看護業者
被災地の障がい者施設関係者
被災地の行政職員(または社協)
被災地滞在高齢者支援研究者

一般向けよりは少し難しくなるが、A4両面版通信を、このかっちりした4回企画ごとに発行する。

運営資金がかかるのは、被災地関係の話は、現地に行って口説いてくる資金が要るからだ。行き先は東北に限らず、阪神淡路大震災関連で関西にも行く。

-----------

私は黒田さんの講演と以下のような(すれ違ったが)バックアップ資料提供を行った。

----------------------------------
より状況を読み取る大事な記事「☆」
注目すべき記事は「★」
----------------------------------

<講演会当日配布分>

☆「被災地の75歳以上の女性、仮設でこもりがち 厚労省調査」(2/10)
☆「仮設暮らし一層厳しく 仙台の入居世帯、不安くっきり」(1/21)
☆「震災後、けいれん増加 気仙沼市立病院患者」(1/29)
☆「被災地支援センター 岩手県陸前高田市における障害者訪問調査 第一次報告(速報)について」
★「要援護者対策に遅れ 災害時全体計画、策定54.3%(宮城)」
★「震災時の周産期医療の実例を報告 岩手・遠野でフォーラム」(2/4)
★「障害者働く場、念願の再建 被災地女川町のNPO、4月にも」(1/23)
★「陸前高田市 デマンド交通スタート 広田・小友気仙町対象 自宅と病院・商業地結ぶ」(2/2)
★「「陸前高田の在宅療養を支える会」震災1年11カ月、念願の発足 ケア充実へ連携強化」(2/11)
●「郡山から避難の男性 都内の宿舎で孤独死 死後約1ヵ月」(2/1)
●「被災50代男性2人、雇用促進住宅で昨年暮れに孤独死 八戸

●「福島へ介護支援 参加を 府中の有志PR」(2/3)
●「「避難の手助け受けた」は48% 陸前高田の障害者ら」(1/12)
●「東日本大震災二年目の検証と インクルーシブな復興」

-------


<追加資料分>(河北新報を中心に)

☆「焦点/福祉避難所、進まぬ指定/被災3県・既存の利用者優先」(2/18)
☆「焦点/福祉避難所どう運営/地域との連携カギ」(2/18)
☆「焦点/要介護、3県沿岸1.2万人増/仮設長期化、体調崩す」(8/17)
☆「焦点/要介護認定者が急増/自力生活に不安、拍車」(8/17)
☆「焦点/要介護認定者が急増/支える家族、苦悩深く」(8/17)
☆「焦点/障害者の避難・介護/医療機器、運び出せず」(9/24)
☆「焦点/岩手、宮城、福島3県 障害者1655人犠牲」(9/24)
☆「被災地の医師 「震災で在宅医療が広まった」と語る」(3/23)
☆「焦点/中高年女性、再就職進まず 被災3県」(9/26)


★「焦点/お産、震災機に役割分担/津波で閉院続出 拠点に集中、負担軽減」(8/27)
★「焦点/石巻・お産の役割分担進む/妊婦の安心、目配りを」(8/27)
★「焦点/福島県、県内自主避難の家賃補助へ 子どもや妊婦いる世帯」(11/6)


以上

----- ここまで ----
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2/28 サポセン・ワイワイまつりの準備を進めている

2013-03-01 06:19:05 | 引きこもり
2013/02/27 記
--------------

ワイワイまつりが近づいて、チラシを作った。1月10日のETV放映のバリバラを参考資料に使う。

論点はいくつもある。
障がい者には単独避難行動がむずかしい。
障がい者とその家族には、日常生活で手一杯で、なかなか防災対策に取り組めない。
避難所生活が始まっても、健常者が準備したものは使い物にならないケースも。
健常者より更にトイレの確保が重要。
etc.

ここでも、外出時被災で「視覚障がい・聴覚障がい・内臓障がい」者や、妊娠初期の妊婦さん等の、見えない・誤解される困難をかかえている人たちの、避難所生活の場面も、福祉避難所が一括されているおかしさ、それは論じられるべきだろう。

ともあれ、チラシ50枚を準備した。

----------

S君の就労相談まとまるといいのだが、来週、石川町駅の近くのL.プラザ。準備を進めている。

----------
NPO法人「ライフリンク」が「自殺実態白書2013」が発行された、HP画面からダウンロードできる。資料分析してしてから、再度書き込む。

●「自殺実態白書2013」
●「(特非)自殺対策支援センター ライフリンク」

----------

夜間傾聴>ふたり

(校正2回目済み)


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2/27 「『巨大地震』TBS-TV 池上彰解説」は、つまらなかった

2013-02-28 06:29:34 | 引きこもり
2013/02/27 記
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今夜は教材屋の作業。やりたくないのではなく、現状打開の思案の道が今日は錯綜して、無性にため息がでた。TVの傍らに座り直し、長いからあとでみようと思っていた「『巨大地震』TBS-TV 池上彰解説」をのぞき見た。

つまらなかった。全体のトーンが「我が城の防衛」でしかなかったからだ。陣地の減災と安全確保は語っても、家族や隣人の窮地、災害の結果二次的に起こる津波や原発避難などの言及がない。自動車事故の暴走車かわしのような印象を受ける。災害は命の危機を伴うが、生死さまよう家族や隣人の病院搬送手段が絶たれる。孤立し緩やかな死に引き込まれる。

偶然前日に起こった栃木県内陸の群発地震を、即座に資料に組み込んでいたのはさすがだったが、そのことが活きていない。過去の資料でも構わない扱いだった。資料は震源10km(のちに3kmに訂正)というのは、浅いのか深いのかという問いに使われたり、最近の災害情報はすぐに訂正されるが、情報は不確かなのかという話題の肴として使われていた。

災害は物理的影響とともに社会的影響も、トータルで情報化されなくてはならない。また、混沌という闇の中のアリアドネの糸のような、避難の見通しをさし示さねばならない。今何が起きているのか、空を飛ぶ鳥の眼のような視座(鳥瞰)を提供することが目的となる。

池上彰が語りすぎて、実写資料・インタビューのような編集に時間がかかるものは、受験指導の授業のように抽象整理を通して、これを覚えておけという、薄い災害理解の上にエッセンスを載せたという感じ。視聴者の腰は上がらない。ニュース解説では、つまらないのだ。

----------

路上生活者のビッグイシューのメール販売が終わったとかで、来月から寿町の路上販売員さんのもとへ、買い出しにでることになった。私の日常生活圏は平塚~藤沢の駅周辺と、相模原市内全域・大和市の一部だ。だから横浜線沿線は縁が無い。月に2回、そのために石川町駅まで出かける必要がある。

県サポもLプラザも定期的な用はない。紅葉坂か県庁・寿町をうろついてくるのかなと思いつつ、すっきりしないのだ。都心まで行くなら、山ほどやることがあるのだがと、憂鬱の雲が…。

--------

朝、母を東京の定期診察に送り出し。いつもの睡眠不足パターンで、相模大野校までその足で向かった。教材屋の仕事がばれて、小学部の教材をやらないかと迫られた。うんといえば、ピンチヒッターの講師の職が消える。徐々に定年退職の素地作りが始まっているのを感じていたからだ。向いていないですよと断ったが、百鬼夜行、こわいこわい。

これでは休憩室で仮眠をとれない雰囲気。書類抱えて、さっさと藤沢に戻った。

---------


災害時要援護者支援の活動の立ち上げについて、協力者と今後のことを相談する場を開ける話も、日程の調整がずれて、そのまま帰宅。爆睡モード。たし算で5時間モード。最近は週1・2回ある。見合う成果がないのは悲しいが、やらねば先は開けない。

---------

黒田さんの講演会資料に添付した資料を講演会レポートに添えて参加者に配り始めている。ただ視覚障害の**さんに、どう提供したらいいか思案している。

通信を発行しようと考えている。年4回、これならなんとかなる。読み上げソフトがあるとはいえ、視覚障がいの方に、読み上げで意味が通じる記事を書かねばならない。

S君の次の就労相談の仲介を、県OBに頼んだ。適切な指導を受けられればいいが。応答待ち。

--------

夜間傾聴:**子(兄貴から)


(校正1回目済み)

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2/25 「あの日 わたしは・証言記録 東日本大震災『東京都東大和市 宮迫志裕さん』」を見て

2013-02-27 05:31:02 | 引きこもり
2013/02/26 記
--------------
帰宅し、収集した資料に目を通している。その中で、都市型被災の内側から見た体験談がTV番組に出てきていた。

●NHK総合10:50-10:55「あの日 わたしは・証言記録 東日本大震災『東京都東大和市 宮迫志裕さん』」

だった。東大和市の大会に出ていた愛媛大学フィギュアスケート部の部員・宮迫志裕さんが震度5の地震に会う。立川に移動し、JRの動くのを待つが動かない。地理もわからない土地で、指示された避難所に移動。行政職員の仕事が爆発する中、手伝いを申し出る。それは

「外出時被災と自発協力からボランティアへ」

という非常事態の中の自発行為という大切な場面が語られているのだ。市民に求める支援は、市民を束ねる民間組織自治会や、地区社協に組織活動を委ねて作り出していくという発想がある。それを前提にすれば、支援は地域に固定されてしまう。個人が自発的に支援協力するその気持ちを拡散させず、活かされていくようなシステム・受け皿を作っておくことが必要なのだ。

3.11の東北太平洋岸被災の直後、困難な到達経路を探り、早々と支援に駆けつけたボランティアたちがいる。ひとつは組織化された災害ボランティアたちであり、もうひとつは、居ても立ってもいられなくなった個人の自発行為の集団だった。この自発行為は、がれき撤去や避難所運営の形でボランティア活動が定着していく。この後者の働きが存在を認められたのが、東日本大震災のボランティアだった。

つまり、従来の地付き防災活動と併行して、個人の自発活動が認知されたのが東日本大震災だった。災害があったとき、そこにかけつける組織化されていないボランティアたちの特技は、初めから予定できない。臨機応変な活動を作るためには、彼らの存在を意識した受け入れ活動が必要だが、これは各地の災害対策本部やボラセンの活動などで吸収し、一応の成功を生んでいる。ただそれを自覚的に取り込み、地付き防災論並みに積極的に自発活動を評価していく防災論、いや災害ボランティア論が求められている。

その典型的な場面が「外出時被災」、所属地から離れた場所で被災したとき、私はどうするだろう。その想像を関係者が膨らませていくことで、柔軟なシステム・受け皿ができるのだと思う。

「外出時被災」は、その意味で人間がシャッフルされている状況で、特に災害弱者をどうすれば安全避難させられるだろう。マスコミで取り上げれているのが「通勤難民(帰宅困難者)」(例:●「新宿区の帰宅困難者対策報告書」)だが、健常者の場合で考えられている。しかし、茅ヶ崎のようなベッドタウン・生活圏では、通勤人の困難もあるが、近隣の作業所や施設に出かけた障がい者や、買い物に出かけた妊婦さん・乳幼児連れ親子、通院途中の高齢者等々の多様な帰宅困難者が被災し、混乱した交通手段の状況に晒される。

その場で、災害弱者の様々な困難を理解し安全を確保する自発行動者の育成、見知らぬ近隣避難所に連れ添い、またはその避難所から、あるいは直接、災害弱者を家族のもとに送り届ける活動も必要となろう。ただ被災した場所は、自宅から比較的近いことは幸いといえるだろう。

黒田流でいえば、ここで「地域トリアージ」の手法を使い、軽症傷病者を治療のため、医療関係者に安全誘導していく。重症傷病者は救命措置を実行し、場所は動かさない。

再放送があると思う。ごらんあれ。

2/27(水)19時~「巨大地震」TBS-TV 池上彰解説で4時間?
録画も面倒なり。

---------

S君の就労支援、仲介者探し中。明日、返事をいれる。

--------

**子の家族から連絡有り。体調悪く寺から自宅に引き取ったとのこと。また様子がおかしい。要注意。

-------

父の入所している老健に行く。久々。調子がいいのか、私が見えると手を振っていた。しかし、フロアは女性ばかり。男の比率が一層減った。面々の顔が入れ替わっているのは、特養に移ったり、入院生活が始まったからだ。後期高齢者の支援をやると避けて通れないのが老化と衰退、やがての死。背筋が震えた。

突然、大下で「旅の夜風」のア・カペラが始まり、「次の##さん、準備いい?」と大声。すぐに周辺で合唱が始まり、父はしかめ面で天井をみている。職員さんに聞くと、「##さん」は入所者ではないという。苦笑いしている。歌っているのが新人さん。父は怒る気力がない。

老健を出て、急いで駅ビルで買い物。昭和30年代の和風の献立、糖尿病対策。母、箸でつついただけでおわり。全く…。


夜間傾聴>ひとり
     **子(家族より)



’(校正1回目済む)

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2/24 来年度の連続セミナーラフスケッチを描いた/S君の就労相談行他

2013-02-26 06:32:44 | 引きこもり
2013/02/24 記
--------------

来年度の災害弱者支援連続セミナーの構想をたてています。企画のことや、予算のことで、参加者の方からの進言がありまして、その応答を書いていました。

セミナーの個性・目的・予定などまとめたメールを書いたので、その抜粋を以下にのせます。まだ来年度のラフスケッチ段階ですが、ご覧下さい。

----------------------

セミナー育成の目的は、ざっくり言えば、

1)被被災地後方支援の立場から、東北被災者
の継続支援のエネルギーの水路をたてていくか。

2)生活・就労・居住にシフトしていく被災地
のニーズによりそう、現地長期滞在型ボラの活
動の質の焦点(生活支援)化。

というような「東北被災者継続支援の内容検討」
という社会活動の必要に応じる論議。

「孤独死」や「自殺」というような矛盾の頂点
にある対策課題に連続して広がる生活破壊・生
活苦に対する生活再建連携支援の骨格作り。

これらは、水をかけられてしまった焚き火の再
燃にふんばる災害ボランティアのニースに答え
るものです。その中に「災害時要援護者の救護
支援」が出てくる。

-------

もう一つは、

3)東日本大震災の状況報道などにも
ブラインドまたは無視されてきた災害弱者の支
援とそれを通じて自分たちの防災の予防対策作
り。東北の災害弱者継続支援と災害弱者防災の
一体展開。

これは、災害ボランティアと行政・議会の共通
課題で、セミナーの中心課題となるものです。

「東日本大震災の災害弱者と生活再建支援」
「災害弱者の地域防災」

のふたつ、「災害時要援護者の救護と支援」と
いう個性を持った災害ボランティア活動の補完
支援活動なのです。報道にブラインドされてき
た高齢者・障がい者被災実態と避難生活を見失
わず災害対策活動を作っていくこと。ここにあ
ります。

支援活動が退潮期に入る中、一般向け活動でそ
れを成すには、ステレオタイプ化した支援活動
の説得という時間のかかる問題が控えています。
逃げるのではなく、時間的余裕の無い喫緊の課
題だからです。

第一に、拡散している支援活動に、このような
大上段ふりかぶった見通し立て活動を一般向け
活動に託すのは無理だと思います。

だから「要援護者・災害弱者」を支援する関係
者が議論となるにこしたことはないですが、そ
れは、まず無理なので、関連ゲストを呼んで、
話の口火を切ってもらう。リアルに論点を掴ん
で考えるという懇談型講演会を作りたいのです。
行政を入れたいんで、路線化の志向は各自の所
属団体に持ち帰ってもらって活かしてもらうと
いう野球のファームのような場を作りたいので
す。内容は、災害ボランティア全域に及ぶ必要
は無く、補完的(実はまったく補完的というよ
り扇子の要)領域の講演会です。

できるだけ現場の関係者を頼み、視界がクリア
になる内容を仕掛けたいんです。だから、いわ
ゆるお偉いさんに限ってはいない。ただ被災地
や阪神淡路の関係者から呼ぶことが多いので、
交通費がかかります。また少人数(3~4人)
ですが、長期休暇を利用して、ピンポイントの
見学会を年1回入れたいので、ガス代、車調達
費、1泊宿泊費がかかる。全額参加者負担では、
怪しいので、民泊含んで宿泊費はセミナー負担
で行きたい。

現場が見えるひとを育てたいんです。

来年度は

JR茅ヶ崎駅駅長

大店舗会災害担当者

包括支援センター担当者

医療介護機器販売レンタル業者

民生委員

等、地元関係者との懇談も視野に入れている
ので、交通費は一概には言えないんですが。
なかなか成立するとは思いませんが。

活動の活性剤活動の感じです。ただ、切れ味
だけは、通していきたいのです。

今、映画「障害のある私たちは訴える」上映
や、「QRコード医療個人情報カード」実現の
話は、セミナーとは別に、活動をたてます。
これらは、話が別です。

回数は地元ものはできるだけ多く、それとは
別に、遠方からの招待・1回のドライブを入
れて、年4回かっちりしたものを入れたいの
です。

被災地の訪問介護・看護業者
被災地の障がい者施設関係者
被災地の行政職員(または社協)
被災地滞在高齢者支援研究者

一般向けよりは、少し難しくなりますが
A4両面版通信を、このかっちりした企画
ごとに発行します。

金がかかるのは、被災地関係の話は、現
地に行って口説いてくる資金が要るから
です。阪神淡路も行きます。

私は前述の18万円を出すと、被災地や
関西に行く金銭的ゆとりがなくなります。
年2回は行きたいので、副業を始めます。

-----------

S君と就労相談窓口めぐりをした。横浜STビル関係だ。
うまく話がまとまってくれればいいのだが。

なんと寿町の*沢さんとばったり出会った。お互い、何事ぞと。

相鉄線乗り継いで相模大野校の授業にでる。

帰宅すると着替え中に**子の兄さんから電話が入った。**子は、近所のお寺さんに3泊、軽作業をするため、退院して移ったとか。まだ無口らしい。

以上
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2/24 薄い白髪をばっさり切って/黒田さんのレポートメールを参加者に

2013-02-25 06:33:47 | 引きこもり
2013/02/24 記
--------------

2/18の黒田裕子氏懇談講演会の参加者に、レポートを書いてメールしている。ただ黒田さんの話の論点をめぐった話は、救護・ケアに関わる専門職に、ボランティアがどう連携し、効果をあげるかとか、福祉避難所に至る保護と安全誘導に地域連携と併行した防災士予備軍のような要援護者の友人というか支援者を育て、特に外出時被災に備えるかという議論に触れる話が、いくつもでていた。その元の議論に遡る話までは書ききれないが、「災害時要援護者の救護・援護」という課題の緊急必要性が伝わればいいと思っている。ひとりひとりかいているので、しばらくお待ちを。

-------

路上生活者・無職者への支援活動の「舫(もやい)」の事務局関係者の方々の中には、東日本大震災の生活支援、特に無職単身者の孤立防止活動を加えた生活支援活動をしている方がいる。そんなつながりで、直接「舫」は被災者支援活動に参加しているわけではないが、先日、湯浅誠氏と話し合える状態を作った。連続セミナー第3回は、支援者退潮期の被災地生活再建活動ネットの後方支援について語ろうと思っていた。日程の関係で、年度をまたいでしまうが、4月に延期させてもらうことにした。

高齢者の課題は高齢者関係の団体が、障がい者関連の課題は障がい者団体がというように、広範な概念としての「要援護者」支援をフォローする横断的なテーマがなかなかないことに腐心している。現在の状況が、災害弱者支援の横断サポートの必要性が浮上しているにも関わらず、その「横断的」な活動がなかなか生まれないという矛盾がある。

メールを出し終えたら、来年度の構想を描きながら、「被災時要援護者支援にアクセントをおいた災害対策セミナーを生み出そう」と呼びかけるチラシ作りにはいる。

------

相模大野校の事務長が、なんでSNSやらないのかと聞くのだが、私は今まで、完全会員制のメーリングリストや、SNSを他の場面で使ってきて、熱心な固定会員の応答に日々の時間が大幅に使われてしまうことにうんざりしているところがある。といっても大半は閑古鳥が鳴き、ときどきうなづく相手がいる程度の独走マラソンをやらされることが多かった。対話がふくらめば膨らむほど、一部の人間にしか通じない枝葉の議論に振り回されるのはうんざりしているのだと応答した。

浅く広い結びつきというには、私の抱える活動は裏方アクティブの活動の面があって、むしろひとりでも深く協働できる相棒が必要なのだ。オフラインの場に連携の場がなければ、そこから先に進まないと思うのだ。

それはそうと、今日はSくんと、就労相談窓口をまわる。即座な成果は怪しいが、端緒がつかめればいいのだが。


夜間傾聴:ふたり


(校正1回目済み)


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2/23 ワイワイまつり最終確認/情報探索の途上なり

2013-02-24 05:54:13 | 引きこもり
2013/02/23 記
--------------
サポセンに行く。朝10時から3/2のワイワイ祭り参加者の最終確認があったのだが、夜間傾聴が5時を割り込んで続き、教材屋の仕事の残りと、ブログ原稿を仕上げたら7時近くになっていた。サポセンまで40分。これでは睡眠時間がとれないので、欠席する旨のメールを出して、教材もメールを済ませて、寝る前の後片付けをしていると、母が咳き込んでベッドから飛び出してきた。胃切除した者の後遺症、ダンピング・逆流である。胆汁が逆流してくるんだからたまらない。

母の介助をして部屋まで送り届け、ふと窓を見ると夜が明けていた。なんだかんだといつも7時前後が就寝時間となる。

起床が11時。午後になることはない。午前中授業や会議があるときは徹夜状態で出かける。だから電車の中の1時間前後と、眺めの昼休みは、必ず大いびきをかいている。

東海新報の記者さんに問い合わせの電話の時間を昼休みにいただいて、陸前高田・広田町のオンデマンド車の情報と、推進者の連絡方法を教えてもらうとした。情報は記者の糊口を継ぐもので、そう簡単に情報提供してくれはしない。粘って少しヒントを頂いたが、12時半を回っていた。知り合いになった民宿の親父さんも、聞き出さねば語ってくれない。これは性格的なもので、生活支援関連の情報は、全くわからない。歯がゆい。

黒田さんのレポートを今夜はまとめて、視覚障がいのセミナー参加者の**さんに提供する。そんなこんなのことが頭の中を走り回っていた。

サポセンについたのが16時前になっていた。サポセンでは、茶封筒に当日の予定などをまとめて入れたものが用意されていた。受け取ってすぐに橋本に向かった。サポセンでは社会的起業の企画で混雑していたが、コミュニティ・ビジネスと役所の外注との区別がつかないから、社会的要請を企業的手法をとって解決する活動を狭義に考えるべきと思っている。「ソーシャル・ファーム」である。だから時間があっても参加しないななどと、偏屈こねながら、夢うつつ、橋本でとにかく、飛田はなぜ災害ボランティアなんてものをやっているのかを説明しながら、授業を終えた。

発達障害白書を車中で開きながら、白河夜舟、空中遊泳をして返ってきた。これはいかんとスマホを見ると、湯浅誠氏と話せる場がとれないか問い合わせていた。東北の生活保護取得者の中の単身者の状態を「ホームレスと社会」誌を読んでみたらどうかとのこと。事務局の誰かが返信してきたのだとわかった。
近々「舫」にお邪魔する。大船渡の##氏のことも聞いてみる。

黒田さんの講演の中で、福祉避難所と発達障がいの方の生活が気になって、数少ない現地レポートが発達障害白書のなかにあるとのことで、確かに関連記事はあったが、目的にふれてはいるが、帯に短し襷しなのだ。実は来年度の連続セミナーに福祉避難所の生活体験者を呼びたいのだ。

ここしばらくは、延期された3月企画と来年度予定について、まとめていくことになる。

夜間傾聴>昼間のみ

(校正1回目済み)




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2/18 その3 黒田裕子氏懇談講演会の報告/2/22 子どもネット講演会参加し

2013-02-23 06:26:44 | 引きこもり
2013/02/21 記
--------------
(その3)
~災害発生時の救護活動への社会活動連携~

黒田さんの講演は、在宅被災者の救護を起点として、救援者のネットワークへの背景の説明へと話を拡張していく。救援者とは、消防団とか町内会指示を受けた地域住民を含んで、自衛隊とか警察・赤十字というプロ集団のことで、市民活動のような自発的運動体は位置づけや、連携のスケッチすら見当たらない。時間が経てば、全国の災害ボランティアが集まってくる。この段階でボラセン等が対策本部の形で集まってくるが、退職看護師の会のような有資格者以外は、蚊帳の外に放置される。実際には救護場面では、障害物撤去や死傷者身元確認等の限定的な連携が行われるが、救援の公的団体の指導下の動きとなる。しかし、救急医療から災害看護に引き渡された傷病者は、介護の枠の中で、ボランティアの連携の場は広がるのだ。ここでさえも、地域の絆からはみだした市民活動的介護ボランティアが働き出すのであって、地区社協・地域自治会の管轄外の動きが意味を持ってくる。

「外出時被災」のようなシャッフルされた状況の中で、災害弱者の保護という課題は、混乱した集団から安全確保して避難させる自発的な「準・防災士」のような活動が必要になる。研修と資格試験を受けて、防災士になるという道も大事なことだが、いわば活動の裾野、自発的保護の社会活動の登場が期待されている。

地付き援護者育成の枠組み外の、都市型災害対策の社会活動を考えたい。その思いが初めて登場したかのように黒田さんに聞こえている現状こそ、検討が必要なのだ。

(つづく)


-------

サポセンに3.2の障がい者避難のビデオ上映と懇談を企画していたことで、BDプレヤーの接続チェックしてきた。大丈夫。

湘南子どもネットワークの講演会に参加した。3/5の「東日本大震災-障害のある私たちは訴える-」試写会、湘南上映のために試写会を見に行かないかと誘った。空転、応答なし。無念。

S君と25日に就労相談関係の窓口に行くことに。いい話がでるといいんだが。

p.s. ●「防災士とは」

夜間傾聴:ふたり


(校正1回目済み)
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2/21 2・18講演会後遺症やっと切り抜けたようです

2013-02-22 06:11:16 | 引きこもり
2013/02/21 記
--------------

2/18 の後遺症が続いている。今日、やっと訪問指導に入れた。**子は、近所のお寺の清掃の住み込みアルバイトとして、数日、宿坊に泊まることになった。事情は了解済みなので、軽作業をノルマなしでやるということで、実質休養をとることになった。一時避難というところだ。地元ならではの話。よかった。

しかし、こういう対処ができることは希だ。しこりが必ず残る。橋本3君については、親御さんが車の免許を取らせられないかと、当座の目標作りを始めていた。私は彼の気質から、事故が起きそうなので反対している。当人は、やる気なのでそれがいっそう「飛田、ぶっ殺す」につながっていた。この件は彼の専属のPSWさんが反対意見をだし、親御さんが方針撤回をした。

そんな中、親御さんから今日、彼は面談日だと私と学習をする店に出かけていったが大丈夫かと問い合わせ電話が入った。大丈夫と親御さんに伝え、がたがたと貧乏ゆすりをする彼の空気抜きをしながら、なんとか彼とつながれた。彼は予定が変更されることの方が嫌なのだが、事態の対処に彼自身が迷っていたからだった。大きめの紙を持参し、今後のことの約束のフローチャートを描いた。定時に話は終わり、彼はフローチャートを持ち帰った。いつもの「さようなら」の挨拶はなく、淡々と別れたところに癒えない傷が見え隠れしていた。

もうひとりは、夜間傾聴。被災地に行くと言い出した。こういうときは、逆に危険なときだった。言葉はそう言ってしまったが、身体はいきたくないのだ。自分の宣言したハイ・ハードルに後から苦しんでしまうのだ。彼にできる被災者支援を考えた。あれこれ考えているうちに、被災地に行くのがすべてではないと納得してくれた。続きは今夜、第二ラウンドとなるが、被災地活動の絶対化の呪縛は解決したので、おそらくかかってこないだろうと思っていたら、案の定、彼の定時には電話がかかってこなかった。

不器用だが、自分を偽れない愛おしい若者たちである。命がかかる天井からの刃が常に下がってる背筋の寒さを感じたが、これは私が負っていかねばならない仕事上の宿命のようなものだ。

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黒田さんの後の講演予定者の方の日程が合わないこともあるのだが、東北から呼ぶと交通費だけで3万円かかって払いきれない。ところが彼は東京にも活動を持っているので、彼が東京に出てきたときに、茅ヶ崎に寄ってもらえないかと交渉している。そんな関係で、調整がむずかしい。

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夕食用に「ほうとう」のうどんと材料を買って帰った。だしだけは贅沢にとるつもりで、「ほうとう」というよりキノコ鍋のような料理となった。

母が食べる食べる…戦時中「すいとん」を海水にアラメで色付けした醤油で食べたという何度聞かされた話か、それを話し始めて、機嫌よく食事を終えた。いつもなら、この量では胃切除者の宿命の夜間、ダンピングが起きるのに、今夜はkないで、ひんやりとした朝の空気だけが流れてくる。現金なものだと思いつつ、ダンピングにも、精神的要素が大きいことがわかるのだった。

私には炭水化物過剰、糖尿病の食事療法には程遠いのだった。

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連続セミナーのチラシの裏に、通信を載せることにした。


夜間傾聴:ひとり


(校正3回目済み)

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2/20 2/18後遺症?

2013-02-21 05:46:24 | 引きこもり
2013/02/20 記
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**子の面会謝絶が解けたということで、見舞いに出かけた。**子は、やつれた顔をして視線を合わせない。この子は年に数回、向精神薬自殺を計る。その意味で親御さんも私も互いに語る言葉がなかった。家庭内に高ストレスの状態があって、今回は私が引き金を引いてしまった。**子は煮詰まると、家庭の風呂場で座り込み服薬を試みる。医師が注意していることもあって、総量が足らず、致死量は飲めない。ただこのようなことを続けていけば、心がずたずたになってしまう。

**子に片言の挨拶をした後、1時間ばかりここにいるからと、ご両親を開放した。母親は一睡もしていない。父親が車で送り返し、父親だけ病院に戻ってきた。

**子は背を見せたまま、何も語らない。ただトイレに私が立とうとすると「いかないで!」と大声を発し、また沈黙する。

帰りに**子の通っていた作業所に立ちよった。父親が作業を休む旨、話をしていたので、状況を質問された。しかし、この作業所、昨年12月に退所していたのだが、父屋はそれを知らなかった。そのことが親子の距離を感じさせた。

私は以前、**子から作業所に彼女なりの辞表を預かっていた。それを届けにいったのだが、室長代理の++さんと話をしてきた。病院ではもう一日様子をみるということだが、見舞いには、まだ行かない方がいいと思うと進言した。

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町田経由で橋本に出る。「飛田、ぶっ殺す」の飛田だと、彼にいうと椅子を蹴飛ばし威嚇してきた。しかしこれは、高度のコミュニケーションである。3年前の彼には成し得なかったことだ。持っていったみかんを食べてきた。

「茅ヶ崎に遊びに行く」
「来るな、うるさい」
「行くからな」

こんな会話だけで、顔合わせで終わり。
相模線の中で、ひさしぶりに入力作業を行った。

17時を過ぎてしまったので、横浜の若者就労関係の窓口に予約の件は明日に任せる。

新人講師の研修。これは専任講師の見張り付きで、爺ぃ講師の役割。今回は辞退しようと電話を入れたが、専任がでるなり、3月予定表を渡され先手を打たれてしまったが、「辞退する」と伝えた、なにやらしらけムード。

後手後手で一日が終わる。

Sくん、明日メールする。横浜に行こう。


夜間傾聴:**子(父親)
     橋本3くん(母親)


(校正2回目済み)

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2/18&19 その2 黒田裕子氏懇談講演会の報告 他

2013-02-21 04:43:38 | 引きこもり
2013/02/18&19 記
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(その2)
今回の講演会は、医療・福祉の目で防災・東北被災者の有効な生活支援の見通しをたてていく、その素地となる先進活動と情報を提示し意見交流を行うというノード(結節点)の活動だった。

第一回で県保健福祉事務所の保健予防課の講演をお願いした。この話を口火に、今回の黒田裕子氏の「要援護者の保護と医療・生活支援」を焦点にした

「被災地の災害看護活動から考える生活復興期の支援~災害時要援護者の支援を中心に~」

というテーマを語ってもらった。

訪問災害看護活動の視点に「地域トリアージ」という概念があるという。限界ある人材の中で有効性と効率を考えた、飛田の使い慣れた言葉で言えば「パーソナル・ケア」の「パーソナル」にあたる個々人の状態の個別性を、「適切に分類して対処しやすくする」という、いわゆる「仕分け」のことで、これを地域に適切に対処できるように情報をファイリングしておくという、徹頭徹尾施療者のための行動基礎情報なのだった。

福祉の立場からは、「共感と伴走」というケアの視点が入ってくる。しかし、これは安全避難の後に活きてくる概念だ。災害看護の場では、保護と安全確保ということが第一となる。これは被災から避難・治療生活、生活再建という時間軸のどこの論議なのかということで、内容の重要性の比率が変わる。災害を一括して語ってはいけない。常に時期と場面を意識して考えていかねば見誤る。

黒田さんの説明は、被災時の住民のガードに携わる方の話にシフトしていった。防災構想の大局の中で、どの組織がどのように対処し連携していくのかという点に概括的に触れ、セルフチェックの手法を使って、「あなたは的確な行動をとれるように準備していますか」と問う。この部分の話はさらりと流れたのだが、この論法は基準となる構想をバイブル(真理)としているので、社会活動(市民活動)畑からみると硬直化しているように見える。

社会活動は基本は「探り当てていく活動」、「ひとや現象と対話しながら解決に導く活動」だから、実践と企画更新は一体のもの「過ちを活かしていく活動」ともいえる。いわば「過ち組み込み済み」論、臨機応変性が、組織の遂行論を超える命のようなところでもある。

ところが災害の場合は過ちは命に関わることであって、やり直しは無い。被災後、企画は企画で見直しをされていくが、更新のスパンは長く、固有名詞は消し去られ一般化される。

日常的に災害対処法を啓蒙し、訓練を受けた者が迷える子羊を領導するという基本線に沿って、防災活動は展開されている。

ところがそこに、はまることができない事情を抱えた方たちが「要援護者」なのであって、それを無視して有効性のなたに「ひと」を整形すれば、「ひと」の全体性は失われ、削ぎ落とされた体幹がただ残るだけということになりかねないのだ。「要援護者の保護・支援」とはそういう「ひとの多様性に寄り添う」ということだ。

抜け落ちていくひとたちを保護するために「地域トリアージ」が行われる。そこに「自助・共助・公助」という論が日常待機の枠組みとして登場してくるが、この「自助・共助」が難しいひとたちの防災論、自分らなりの「自助・共助」論が成長しうる防災論はないかと考える。

発想は被災前・被災時・避難生活時・生活再建時という時間軸を意識しないと、ひとを丸抱えした防災論はありえなくなってしまうと思う。災害が去った「避難生活時」について考える場合、救急医療の観点は退き、治療と保健の福祉に近づいた視点が重要性を増してくる。

黒田さんの話は、この後、避難所生活と看護の話へとシフトしていく。茅ヶ崎の避難所は現在8箇所、福祉避難所は3カ所だとの市行政担当者から話が出て、避難所の数について黒田さんから比較的進んでいる地域という評価があり、それでもまだ被災者を収容しきれないだろうという行政担当者の悩みのコメントが入った。

阪神淡路大震災のとき、この「地域サポート」と「地域トリアージ」が行われていなかったために、単身者の孤独死は一千名に及んだ。自殺者も増えるが、生活破綻・病死によるものが主だった。そのことについて、私は意見をはさみ、東日本大震災の被災者の中から既に「孤独死」が始まっているが、阪神淡路大震災のときと同様、「孤独死」が際立ってくるのは被災後数年経ってから、つまり二年目の現在の課題ではないかと黒田さんに問いかけた。

「孤独死」は「地域の絆の問題」だと応答する黒田さんのその視野には、どのような人々が写っていたのだろう。田舎の集落の場合、地縁・血縁の結びつきは濃い。日常生活のプライベートな部分まで、互いに明け透けに見えている。一方、分譲地やマンションのように、広域から集まった「ひと」で地域ができている場合は、隣人を知らないことが珍しくない地域である。一般に後者の地域は否定的に扱われ、「田舎モデル」の地域の絆作りが必要という論のもとに、防災活動が空転する。それは住民の公共意識の浅さなのだろうか。

黒田さんの応答は、教科書通りの「防災・防犯の必要性に基く地域コミュニティ作り」だった。ある家庭は高齢者の介護を抱え、ある家族は週半分は仕事の関係で家を留守にし、ある家族は三交代勤務で夜勤がある。ある家庭は水終売を営み、ある家族は宗教に夢中である。またある家は事情があって単身生活を行い、ある家族は10人家族である。ある家族は、せん妄を伴う若年性認知症の方がいる…という具合に、多様であり、そこには噂や差別による傷つけあいや無理解が潜んでいる。早起きはいいことだ式に、防災コミュニティを当てはめていくのだろうか。民生委員や地域自治会役員によるプライバシーの集中管理おこなわれても、それは相互理解・相互扶助というひとりひとりの自覚的行動育成には直結しないだろう。

この従来型の防災シフトは現在の防災構想が、都市型の特徴である「外出時被災」の、いわば地域コミュニティの手の届かぬところの防災というシステム的な穴を持っていることも、新たな防災ネット論が検討されるべきなのだ。集落の地域コミュニティは、農漁業の社会的生産の背景や、地域が同一職種に属するというような歴史が生み出したものだ。それを安全避難の都合でコミュニティ像を社会にかぶせていくことに、疑問を感じないだろうか。

被災直後、黒田さんはそのコミュニティから独立した職業として、人命救助や安全確保にあたる。避難が済んだ時点からの看護ケアと避難所運営スタッフつぃて、災害コミュニティを立ち上げる。見ず知らずの家族も混じった仮想コミュニティである。

「外出時被災」については、誰も研究経過を語るひとがいない。見知らぬ他者に囲まれた時の被災は、要援護者には過酷な状況となる。

指示が聞こえない聴覚障がい者や、私のような見かけからは健常者に見える網膜色素変性症の視覚障がい者、指示が理解困難な知的障がいや、発達障がい、精神障がい、外国人、指示通り動くことに困難のある妊婦さんや乳幼児連れの親子、高齢者や身体障がい・病人の方なども、集団にシャッフルされてしまう。こうした方を安全避難させ、次に家族と再会させる活動が方法論を持っていないことがあるにも関わらず、みごとにこの「外出時被災」については、論じられることもなく、無視されていくのだった。

災害看護の立場からは、急性期(被災直後)、地域に派遣され地域住民の命を守るという立場からすれば、「外出時被災」は守備エリア外にはみ出してしまう。その意味で、今回の会で数回「外出時被災」について、私は黒田さんに水を向けたのだが、すべて空振りに終わってしまった。

結局、講演は、被災時の「救急医療と災害看護」「避難生活管理の留意点」を紹介することで、災害時の看護師の活動の重要性は語られたが、それは関係者向けの会という意味では、全体像を語るには、漠然と全体のシステムを語るのではなく、逆にピンポイントのテーマの立て直しが不可欠だった。黒田さんには、研修型の語りから経験紹介の語りへの誘いが必要だった。

参加された方を満足させる内容であったかと問われれば、いささか心もとないのだが、「要援護者の保護・支援」が喫緊の課題として、今問われているという感触は感じ取ってもらえたのではないかと思う。

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私は黒田さんの講演と以下のような(すれ違ったが)バックアップを行った。

以下の資料の「河北新報」の記事は、会員登録をしなければ読めないものがある。無料会員登録をすれば読み取ることができる。状況を読み取る大事な記事「☆」である。注目すべき記事は「★」をつけた。是非「☆」の記事は読んでいただきたい。



●「郡山から避難の男性 都内の宿舎で孤独死 死後約1ヵ月」(2/1)
●「被災50代男性2人、雇用促進住宅で昨年暮れに孤独死 八戸

☆「被災地の75歳以上の女性、仮設でこもりがち 厚労省調査」(2/10)
☆「仮設暮らし一層厳しく 仙台の入居世帯、不安くっきり」(1/21)
☆「震災後、けいれん増加 気仙沼市立病院患者」(1/29)
★「要援護者対策に遅れ 災害時全体計画、策定54.3%(宮城)」
★「震災時の周産期医療の実例を報告 岩手・遠野でフォーラム」(2/4)
★「障害者働く場、念願の再建 被災地女川町のNPO、4月にも」(1/23)
●「福島へ介護支援 参加を 府中の有志PR」(2/3)
★「陸前高田市 デマンド交通スタート 広田・小友気仙町対象 自宅と病院・商業地結ぶ」(2/2 過去記事検索で2/2を)
★「「陸前高田の在宅療養を支える会」震災1年11カ月、念願の発足
ケア充実へ連携強化」(2/11)

●「「避難の手助け受けた」は48% 陸前高田の障害者ら」(1/12)
☆「被災地支援センター 岩手県陸前高田市における障害者訪問調査 第一次報告(速報)について」
●「東日本大震災二年目の検証と インクルーシブな復興」


夜間傾聴>**子(父親)

(校正1回目済み)
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