2013/04/04 記
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嵐が去った。藤沢の看護学校のアポの確認で念の為に電話を入れると、その場に事務長さんはおらず、伝言で取り次いでもらう。時期が忙しいので、来週以降にして欲しいと伝言が返ってきた。断られるよりはいいと判断、来週末に電話を入れる旨の再伝言を頼む。OKの応答。胸をなでおろす。
昨日の淵野辺君宅は、駅から1時間に1~2本しかないバスに乗り、途中下車する。機嫌の悪いときは、そのままバスを待って帰ることもある。幸い今回は、彼に必要もあって、不機嫌ながら落ち着かなく立ち歩きながら、私に「怒っているか」と聞く。「いいや、煮詰まっているんだろう?」と応答すると、返事が無くなって、また部屋の中を歩き始めた。
「ノート借りるぞ」と私は自習帳を添削していく。そのうちに、カーテンの開け閉めが始まったので、自習帳を預かり、代わりのノートを置いて、彼に散歩を促した。「怒っているか」という言葉は、私を思いやってる。状況変化をつかむキーワードなので、彼の成長の片鱗を見た思いがした。
散歩しながら、時間の浪費だと彼が道端の枯れ草を踏みつける彼に、浪費か充電期間か、それは日が経って見ないとわからないと応答。バス停まで散歩して、私は「送られて」帰宅した。
一日日程が遅れたことも影響しているのがわかる。次回は橋本で会うことに。(助かる!)もともと塾長担当の若者だが、塾長はジャワから帰って、在日の若者たちに関心が移っている。私の担当のつもりでいく。元々私が関わってきた若者だからだ。
塾長に様子を伝え、直帰。
突然の睡魔に襲われて、かながわエースに立ち寄ることを断念。相模線で睡眠通勤。
食材を買い足して、辻堂に移動。駅前の図書館でビッグイシューを寄付して、バスで我が家に。近所にも数冊配るところがあって、バス停降りてから、何やら、頭が落ち武者状態になって配布。
洗濯・食器洗いを済ませて、いつの間にか茶の間にうずくまって寝ていた。朝、庭師と生協が入ったのが効いたのかと思うが、以前のように、夜の授業に出ていくパワーがなくなっているのを感じた。母が、地元医の薬局だけ行って帰る間の1時間ぐらい寝ていたらしい。
ただ感じるのだ。淵野辺君もそうだが、根気合戦というより、生き下手の若者とは、彼主体に私は、彼との間の細い糸を見つめていく。訪問先の若者だけではなく、就労相談や、夜間傾聴をしてきた若者とも、大したことはできないが、連れそう、いわば雑巾になればいいと考える。
通信サブタイトルは、非被災地災害ボラ向けに「孤立させんなよ、情けない!」に決めた。専門職向けにも配るが、防災やっていればいいというものではない。被災地との絆をどう作るか。ひとつは茅ヶ崎に避難してきている福島の方たちをどう見守るかということがある。同時に、ケアの世界・地域医療介護の世界の壁をどう穿つかということだ。保健師・看護師向けの冊子を読んでいて、支援者の足場がますます希薄に見えてくる。
12日、父のいる老健の花見があって、午前中老健に行く。しかし、この日はスペアちがさきの情報交換会の日だ。9日は認知症フロア以外の方中心の日。この日は障害者リハビリテーション協会の**さんとアポが取れた日。両日とも重なるが、父の花見は昨年、小雨の中、近所の公園の葉桜を見る1時間弱のイベント。マーキーテントの中で、こぶ茶と小さなアンコ玉を口にして、雨が小降りになったのを見計らって帰ってきただけだった。家族と外出に意味があるのだろうが、予定の重なりを前に、ため息の出る自分がいる。**さんとは、5月に別企画で会うが、アポをキャンセルするのは痛い。招かざる客だがスペアちがさきには、防災も含んで災害ボランティアへの誘いを出す必要がある。特養に移る前の父の企画、断らず、9日を追求することにした。根拠はない。ただ、孤立させてはならないのだ。百万の理屈も通らない。
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冊子を読みつつ、東北中心部を除く被災地の「過疎・高齢化・無医化」の中の「訪問診療」の評価をどうする。寄付と人材派遣以外、東北との連携はありえないのか考えている。
今年の1月、福島から東京・江東区の東雲住宅に避難していた40代男性が、死後1ヶ月の孤独死状態で発見された件を見ていると、火事場の思案の気がするが、この粘り思案、関係者と話したいと考える。相手にされないだろうが、岩手日報とボランティア・ナースの会に行ってみようかと思っている。JDFとは、月末にお邪魔の予定。
八王子に出て、上映権のない安い方のビデオ「逃げ遅れる人々」を買うことにした。道探しのひとつである。
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なかなかサポセンに行けない。どうしたものかと思っている。ビッグイシュー配達がてら、4/20横浜ハンカチデートしないかと++さんを誘う予定。動けるのが余芸ばかりとは。
S君どうしたか…。
夜間傾聴>なし
(校正1回目済み)
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嵐が去った。藤沢の看護学校のアポの確認で念の為に電話を入れると、その場に事務長さんはおらず、伝言で取り次いでもらう。時期が忙しいので、来週以降にして欲しいと伝言が返ってきた。断られるよりはいいと判断、来週末に電話を入れる旨の再伝言を頼む。OKの応答。胸をなでおろす。
昨日の淵野辺君宅は、駅から1時間に1~2本しかないバスに乗り、途中下車する。機嫌の悪いときは、そのままバスを待って帰ることもある。幸い今回は、彼に必要もあって、不機嫌ながら落ち着かなく立ち歩きながら、私に「怒っているか」と聞く。「いいや、煮詰まっているんだろう?」と応答すると、返事が無くなって、また部屋の中を歩き始めた。
「ノート借りるぞ」と私は自習帳を添削していく。そのうちに、カーテンの開け閉めが始まったので、自習帳を預かり、代わりのノートを置いて、彼に散歩を促した。「怒っているか」という言葉は、私を思いやってる。状況変化をつかむキーワードなので、彼の成長の片鱗を見た思いがした。
散歩しながら、時間の浪費だと彼が道端の枯れ草を踏みつける彼に、浪費か充電期間か、それは日が経って見ないとわからないと応答。バス停まで散歩して、私は「送られて」帰宅した。
一日日程が遅れたことも影響しているのがわかる。次回は橋本で会うことに。(助かる!)もともと塾長担当の若者だが、塾長はジャワから帰って、在日の若者たちに関心が移っている。私の担当のつもりでいく。元々私が関わってきた若者だからだ。
塾長に様子を伝え、直帰。
突然の睡魔に襲われて、かながわエースに立ち寄ることを断念。相模線で睡眠通勤。
食材を買い足して、辻堂に移動。駅前の図書館でビッグイシューを寄付して、バスで我が家に。近所にも数冊配るところがあって、バス停降りてから、何やら、頭が落ち武者状態になって配布。
洗濯・食器洗いを済ませて、いつの間にか茶の間にうずくまって寝ていた。朝、庭師と生協が入ったのが効いたのかと思うが、以前のように、夜の授業に出ていくパワーがなくなっているのを感じた。母が、地元医の薬局だけ行って帰る間の1時間ぐらい寝ていたらしい。
ただ感じるのだ。淵野辺君もそうだが、根気合戦というより、生き下手の若者とは、彼主体に私は、彼との間の細い糸を見つめていく。訪問先の若者だけではなく、就労相談や、夜間傾聴をしてきた若者とも、大したことはできないが、連れそう、いわば雑巾になればいいと考える。
通信サブタイトルは、非被災地災害ボラ向けに「孤立させんなよ、情けない!」に決めた。専門職向けにも配るが、防災やっていればいいというものではない。被災地との絆をどう作るか。ひとつは茅ヶ崎に避難してきている福島の方たちをどう見守るかということがある。同時に、ケアの世界・地域医療介護の世界の壁をどう穿つかということだ。保健師・看護師向けの冊子を読んでいて、支援者の足場がますます希薄に見えてくる。
12日、父のいる老健の花見があって、午前中老健に行く。しかし、この日はスペアちがさきの情報交換会の日だ。9日は認知症フロア以外の方中心の日。この日は障害者リハビリテーション協会の**さんとアポが取れた日。両日とも重なるが、父の花見は昨年、小雨の中、近所の公園の葉桜を見る1時間弱のイベント。マーキーテントの中で、こぶ茶と小さなアンコ玉を口にして、雨が小降りになったのを見計らって帰ってきただけだった。家族と外出に意味があるのだろうが、予定の重なりを前に、ため息の出る自分がいる。**さんとは、5月に別企画で会うが、アポをキャンセルするのは痛い。招かざる客だがスペアちがさきには、防災も含んで災害ボランティアへの誘いを出す必要がある。特養に移る前の父の企画、断らず、9日を追求することにした。根拠はない。ただ、孤立させてはならないのだ。百万の理屈も通らない。
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冊子を読みつつ、東北中心部を除く被災地の「過疎・高齢化・無医化」の中の「訪問診療」の評価をどうする。寄付と人材派遣以外、東北との連携はありえないのか考えている。
今年の1月、福島から東京・江東区の東雲住宅に避難していた40代男性が、死後1ヶ月の孤独死状態で発見された件を見ていると、火事場の思案の気がするが、この粘り思案、関係者と話したいと考える。相手にされないだろうが、岩手日報とボランティア・ナースの会に行ってみようかと思っている。JDFとは、月末にお邪魔の予定。
八王子に出て、上映権のない安い方のビデオ「逃げ遅れる人々」を買うことにした。道探しのひとつである。
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なかなかサポセンに行けない。どうしたものかと思っている。ビッグイシュー配達がてら、4/20横浜ハンカチデートしないかと++さんを誘う予定。動けるのが余芸ばかりとは。
S君どうしたか…。
夜間傾聴>なし
(校正1回目済み)