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湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

4/19 湘南地元のディスコミ/被災地との情報網の作り直しをどうするか…

2013-04-20 05:54:26 | 引きこもり
2013/04/19 記
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父の兄の入院する病院に行く準備をしていると、母から面会謝絶との話で従兄弟のところに連絡を取る。丁寧に見舞いを遠慮するようにと断られた。昔、父が信じる宗教をゴリ押しした経過が今もなお響いている。

JR相模原の塾の方に、到着が夜になると連絡をしてしまっていたために時間が空いて、返却日が迫っていた寒川町立図書館に出かけ、書籍の更新をしておいた。

通信の寄稿依頼の応答がなく、大船渡の元看護師さんが震災後、仮設生活のスナップを撮っていたので、依頼をかけたが力作という写真が、背景のわからない家族写真だった。息子さんは陸前高田にいて助かった。家族揃っての写真には、万感の思いがあるのはわかる。私が人の営みの写真をと言ったのがいけないのだが、第三者がこの写真を見ても、意味が通じない。恐縮しつつ、転載は遠慮させてもらった。

私は民宿の親父さんや、学校の先生に情報ルートを作って帰ってきたが、地元感覚とのずれに悩んでいる。ひとつは着眼点の差、もうひとつは地元の、外部のない視点だ。そんなことは誰でも知っているということが、湘南にいる私にはわからない。ずいぶんと日が経って、雑誌の記事の1行に疑問を持ち、問いかけたところ、話は既に完結していたという歯がゆさだ。陸前高田市のオンデマンド・バスの話などがその例だろう。

私は次の訪問の際、地元タクシー協会に、高齢者と障がい者の通院・遠隔地入院移送の交通費見積もりを打診してこようとしていた。これは医療費控除の対象になるが、早急の資金立ては自己負担となる。当座この部分について、基金的活動ができないものかと考えていたからだ。しかし、オンデマンド・バスの実施は、車を提供した**君のメルマガからも、民宿の親父さんからも全く情報がなかった。親父さんと話をしてみると、特定の地域に運行されるのであって、自分の地域ではないこと、その話はみんなが知っていることではないかというのだった。この情報網の粗さでは、活動をたちあげることはできない。私たち非被災地の人間が欲している情報という発想自体が異星人の言動のように響いてしまう。これは閉じたコミュニティに生きる者の特徴なのだが、私は被災地を往復しないと、関係が閉じてしまうという焦りのなかにいる。

私が作りたいと考えている「私的民間交流の育成」につながる民泊活動と家族付き合いの種まきも、私が陸前高田で準備すれば、それは南三陸でも可能なことであって、お膳立ては常に木っ端舟の状態にある。誰をで合わせたらいいのだろうかと考える。可能性の残っている者は、相模原の塾の成人クラスの面々だろう。難しい。方法はないかとあがいている。

しかしなあ、いまどきVサインはないだろうと、元看護師さんのスナップを眺めて、柏手を打って消去した。ごめん。

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日本リハビリテーション協会の冊子「ノーマライゼーション」の中に出てくる仮設生活者の方と連絡がとれないか打診をしている。仲介依頼は難しいので、対象者をしぼって、湘南に招待できないか探っている。特に発達障がいや、精神障がいの困難がつかめる情報はないかと思っているが、招待する湘南側が連携できない状況にあるから、懇談の場へのセットをどうしていくか、私のやり方は「歩きながら考える」だから、すくむ足を踏み出している。

<気になる記事>
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●「津波被災の9学校 ストレス症状顕著 仙台市教委調査」
●「NPOが無償貸与 移動診療車到着 岩手県立高田病院」

非被災地からの医療・保健支援は、結局は寄付なのだろうか。手立てを考えねば…。

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夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

p.s.山田町++さんと話す。


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4/18 皆がつながれる活動と必要な活動/生き埋め脱出の器具開発他

2013-04-19 05:35:32 | 引きこもり
2013/04/18 記
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S君と久々に会った。自分に合った職場探しは時間がかかる。S君、道探し根気がいるけれど、行き詰まったら来るべし。たいしたことはできないが、ひとりで行くよりは、ましだろうと思う。

昨日、サポチガの全体会に遅刻してすべりこんだ。中間支援者(企画仕掛人&つなぎ屋)として、発展の見通しのある企画を紹介する立場から、「やさしいハンカチ展in湘南」の芽を紹介した。20日に横浜展を下見にいくが、被災救援の時期から、避難生活見守り支援期へと移行する時期の企画だから、投げ捨て寄付のような寄付ではなく、共感交流を基礎にしていくべきで、その意味で、ハンカチ・デザインは、可能性が大きい。その企画に可能性を感じるなら、横浜に見に行こうと声をかけた。

今日はその関係で、某私学の教頭さんと会っていた。土日以外は下見に参加出来ないが、今度の土日は無理。だれか行けないか声をかけてみるとのこと。教頭さん、感謝。

しかし暗雲も立ち込めている。父の兄が肺がん末期。ここ数日と知らされた。先日の法事の重苦しい雰囲気は、それが背後にあったことがわかった。20日と24日が不安定になった。20日は、葬儀が被ったときは後日の展示会に、24日は動かさずに調整することにした。どうして春先・年末はこうしたことが多いのだろう。

通信寄稿の件、大船渡の被災写真を撮っていた元看護師の@さん(地元)に、人中心の写真があったら載せさせてもらえまいかとメールした。私だけの記事では、あまりに寂しい。

父の施設移転が近い。老健から特養に移るのだが、朝、現在の老健からTELが入って、父が車椅子からずり落ちたとの話。怪我はしていないようだが、様子をみるとのこと。入所させていても、いろいろな事件が起きて、待ったなしで生活が中断させられることが多い。専業主婦のような立場の者がいないと、問題が残るような状態は、なんとかならないかと思う。今「アロマザリングの島の子どもたち」という多良間島の地縁血縁子育ての研究書をつまみ読みしているが、子育てと異なり、高齢者の場合、地域の力はほとんど期待できない。疾病発症・寝たきりの場合、介護負担はその家族の担当者の双肩にかかってしまう。これは、被災者の生活支援の場面でも、同じような断層に出会うことになる。

しかし、ここを放置すれば、問題の氷山は、孤独死という状態になる。田舎のお年寄りは足腰元気だ。しかし、一度寝たきりになると、災害ボランティアの領域から消えてしまう。長期にわたる避難生活は、福島のような親子別居や、進学諦め、失業、家計破綻、心身症発症というような高ストレスの問題がにじみだしてくる。浪江町が復興支援員を6月から3人増強するというが、専門職の公的援助も人員不足で事態を支えきれる状態ではないとしたら、どう支援したらいいのだろう。

被災3県はドクターヘリの共同利用を決めたが、私が支援すべき地域として、陸前高田市の広田半島を考えていたが、地元タクシー協会の協力のもとで、週2回のオンデマンドバスの運行が決まった。通院・買い物・遠方の知人との出会い・入湯などの補助が始まった。ぐずぐずしていると、準備していたものが陳腐化してしまう。

淡路島・三宅島・小値賀半島沖の最近活発化している地震は、東日本大震災と無関係であるはずがない。同じ轍を踏まない発想がないのが悲しい。定形を踏むこととは別に、ケアの支援の流れをどう生み出すか。

通信創刊号を出したい。その背後に生み出すものは、ケア関係者の横断的検討会の平常時下運用(アイデアの井戸掘削)と、私的民間交流推進企画の実施に向けた活動だ。

ハンカチ展と懇談型講演会実施蓄積を手がけたい。

<注文書籍>
●「救急医学 2013年1月号」
●「東日本大震災における保健医療救護活動の記録と教訓」


夜間傾聴>ひとり

p.s.圧電素子入荷。長時間発振モデル作成は電池ボックス作成に課題移動か。発振素子は、湿気に弱いがロッシェル塩クリスタルも実験の棚に。災害救助犬なら、発見可能。微弱波ならセンサー探査も可能だが。


(校正1回目済み)

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4/17 「やさしいハンカチ展」と「障がい者の避難生活」ドキュメント試写について

2013-04-18 06:03:05 | 引きこもり
ここ数日、文書作りの量が多く、メールボックスを覗いていなかったら、S君からのメールが届いていた。返信遅れて申し訳ない。

ふたつの呼びかけをお知らせする。ひとつは、「やさしいハンカチ横浜展」(日本グラフィックデザイナー協会主催)のお知らせと、被災地の障がい者の現状を描く映像作品の吟味試写のお知らせです。以下にその文書を転載します。

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障がい者団体・支援団体関係者の皆様へ


お騒がせします。災害ボラ支援の2つのご案内です。

ひとつ目は、東北被災地で避難生活している被災障がい者の実情についての映像が2本入りました。被災地の成人障がい者の方の困り感がよくわかるドキュメントです。東北の被災障がい者支援と、地域防災の公開映画会や講演会を生み出すために、下準備の試写を行います。

もうひとつは、日本グラフィックデザイナー協会が、被災地の小学校と結んで、「やさしいハンカチ展」を全国で行い、展示即売の収益を被災地小学校に贈る活動に接点を求める件です。今までの製作物交換と異なるのは、プロデザイナーの援助指導が入っていることです。

茅ヶ崎でも、茅ヶ崎養護学校の生徒さんや、卒業生のみなさんと、図案の交流とハンカチ交換、展示即売を兼ねた湘南展示会を企画できないかと思いました。

幸い4月20~26日、馬車道のヨコハマ創造都市センター3Fで展示会があります。特に20日は企画者が参加しています。私は20日に参加しますが、ご一緒しませんか。先々膨らむ企画と思います。構想を練ってみませんか。参考資料を添付します。

以上、2点のお知らせでした。

以上

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4/24 13:30~15:30 茅ヶ崎サポセンにて試写
(文書略)


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4/20~29 20日午後。馬車道・ヨコハマ創造都市センター3Fにて下見。

日本グラフィックデザイナー協会・主催

問い合わせは同協会(03・5770・7509)へ。


(参考資料)
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●「(2013年1月28日 読売新聞)」
●「385枚のしあわせのハンカチ展 PART 2」
●「日本グラフィックデザイナー協会」



夜間傾聴:自由が丘夫妻(傾聴にあらず)


(校正3回目済み)


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4/16 東日本大震災被災障がい者の現状を語る映画会を(チラシ原稿)

2013-04-17 06:20:05 | 引きこもり
**「わーく」編集部から試写会のお知らせ
  ~被災障がい者の避難生活のドキュメント映画会を
   企画しませんか、中身を検討して下さい、話合いましょう。**


試写予定:2013年4月**日(*)
     **:**~**:** 茅ヶ崎サポセンにて
所要時間:2時間位
費用:無料
問い合わせ先:飛田まで


東日本大震災以降、日本列島は日々群発地震に襲われています。
最近も4月16日、淡路島で震度6弱の大きな地震がありました。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130416-OYT1T01232.htm?from=ylist

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130415-OYO1T00569.htm

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130416-OYO1T00333.htm

私たちの日常は、地震・津波に、いつ被災してもおかしくない状態が続いています。政治の貧困から東北の被災者の生活再建は遅々として進みません。私たちの湘南も、いつ同じ道を歩むかわからない状態があります。

東日本大震災の被害を増幅した「平常性バイアス(偏り)」のことをご存知のことと思います。地震が起きたら起きた時のこと、そんなに頻繁に地震は起きない、ここまで津波は来なかったら、日々自分らは忙しい、対策は行政が等々。そして災害が起き、つい先ほどまで談笑していた人々が津波に飲まれ帰らぬ人となりました。死亡した方々の多くは「災害時要援護者」といわれる高齢者・障がい者などの方でした。

災害が起きてから2年余を経て、被災当時から情報が途絶えていた被災地の障がい者の様子が伝わってきました。東北の被災障がい者の日々の姿は、いつ私たちの様子に重なるかわかりません。そこから東北のケアと生活支援のことや、湘南の要援護者の支援の活動を見いだせるかもしれません。

注目する作品は3点。このうち2点を、公開上映の前に、検討しませんか。私は次のような取組みを考えています。


== 枠組み ==


1)ETV「バリバラ テーマ『震災』 東日本大震災から2年~被災地の障害者はいま」(30分)

2)「逃げ遅れる人々~東日本大震災と障害者~」(74分 東北関東大震災障害者救援本部)

3)「生命のことづて ~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」(30分 日本障害フォーラム JDF)

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1)・2)>「わーく」編集部よびかけ 上映実行委」

3)>講演と組みで上映(災害弱者援護茅ヶ崎懇談会 取組み 上映実行委)


●日本障害フォーラム(JDF)
http://www.normanet.ne.jp/~jdf/
●「命のことづて」
http://www.normanet.ne.jp/~jdf/movie/20130321.html
●「逃げ遅れる人々」
http://www.j-il.jp/movie/
●バリバラ「東日本大震災から2年~被災地の障害者はいま」
http://www.nhk.or.jp/baribara/lineup/130308.html


以上

----- ご連絡、お待ちしています。


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4/15 まずは避難生活の障がい者の現状紹介映画会企画から

2013-04-16 06:25:51 | 引きこもり
2013/04/15 記
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生業の後始末で東京に出た。とにかく電話で進めた話は、ことごとくいい加減になる。呼んでもいない弁護士があらわれて焦ったが、仲立ちの担当者が別件と混乱したことが発覚、お粗末な。

処理が終わって、予定より2時間早く終わったので、今回の懇談型講演会のスポンサーになる可能性のある学生時代の友人の営業所に立ち寄った。食品素材販売の中小企業の所長をしている。有珠山噴火災害救援活動に、ミニバン2台を無料貸出して、物資搬入支援をやっていた。年齢が違うが私が子どもの頃住んでいた場所のご近所さんだった。

仕事を中断して、私に時間を割いてくれた。現地に中古車を提供する活動は、彼のミニバン提供が参考になっている。

生活支援と医療看護・介護のケアの持続支援と防災経験交流の懇談会運営の一部助成をお願いできないかと、経過を含んで頼み込んだ。彼は難しいと応答。「なぜ茅ヶ崎支援なのか」が説明できないからだという。私にしてみれば、「茅ヶ崎の活動」は、「全国、特に関西に拡がる普遍性を持っている」ということなのだが、彼は当時のボランティアたちに、呼びかけてくれることになった。東京の某中小企業経営者団体の一部会の有志ということだ。価値が通じるといいのだが。

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私が変人だからか、私の周辺には、やはり変人がいる。昔、私のところに、タラコが山ほど送られてきた。この方は、直径1m余のお化けカボチャを送ってきた。このご婦人から、夫の徘徊対策相談があって、一段落がついたので、丸の内の某喫茶で会った。兄弟が都立墨東病院の医師をしている。救急医療の取材をさせてくれないかと、時間の空いた時でいいから、仲介を頼んだ。

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横浜の県サポに立ち寄って、帰りにビッグイシューを仕込んで、横浜線で町田経由で相模大野校に出てお仕事。帰宅は自然薯を抱え、長ネギを持って玄関を開ける。嫌な予感。母は汁粉を食べてしまい、もう腹いっぱいだという。このすれ違いの繰り返しの日々。高齢者はいうことを聴かない。身にしみる。

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「逃げ遅れる人々」と「バリバラ」JDF映画の試写会を行う。数名集まれば成功。呼び掛け文を作成中。


夜間傾聴:**子

(校正1回目済み)

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4/15 映画「逃げ遅れる人々」を入手し

2013-04-15 06:23:45 | 引きこもり
2013/04/14 記
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映画「逃げ遅れる人々」(飯田基晴・監督 74分)を入手した。発達障がい・精神障がい当事者家族の言及が少ないのは、プライバシーの問題が、いまいちすっきりしていないからだろうか。

内容をチェックしたが、●「JDF(
日本障がい者フォーラム)」
の「ドキュメンタリー映画『生命のことづけ~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~』」と比較して、質が高い。問題点がはっきりと伝わってくる。

しかし気がついた。NHK「バリバラ」の被災2年目特集の障がい者の出演者が重なっていたのだ。これで、湘南上映ができる。

通信にはJDF「生命のことづけ」を、「わーく」編集部で「逃げ遅れた人々」をそれぞれ上映する。通信(交流懇談会)の方では「高齢者の現在」をめぐる企画と組み合わせる。

被災地からの寄稿が、このままできなくても、悔しくはあるが、上映活動紹介の記事を差し込む。

10時東京。まずはお知らせまで。


夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)

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4/13 私的なことですが、私の生き方です

2013-04-14 05:43:57 | 引きこもり
2013/04/13 記
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ここ二日間、私事で振り回されていた。月曜日も出かけるのだが、時間の流れが加速しているようで、急がばまわれを唱えつつ、母を連れ、父方の法事に参加してきた。

家族を営むとき、それは平坦な道ではなく、様々な体験の中に、誰もが個別的な体験を経るものだ。最終的に当事者が一番近い近似認識を抱えていく。近似認識とは、私たちは、手がかりから事態を解釈しているから、今の意味合いは時を経ると意味合いが転じることがいくらでもあるからなのだが、それは逆に言うと、その時の私という井戸の底に、押しやられているような関係性の中の個別性・独自性という主観的事実がある。

とにかく父と曾祖母は規格外の人間だった。今から考えると自閉症スペクトラムに酷似している。私は病弱で何回か死にかけている。父は父権を縦に家族を泣かせた。曾祖母はとにかく身勝手で、私を溺愛したかと思うと、私を崖淵に何回となく立たせた。その谷間の中に私がいたのだが、そのストレスフルな家庭から距離を置ける学校生活や塾通いの時間は、私が私のままいられる時間のはずだった。しかし、私の臨死体験は、私と同世代の子たちをじわりと、かつ深く引き裂いていた。それが、「死の自覚」だった。私の生きている時間は有限であり、そのゴールが定められた道を私たちは歩んでいるという、死の境界の体験から得た、語ることのできない自覚を6歳児が持っていたという事実だ。

同調しかねる虫の引きちぎり・踏み潰しや、魚調理の素材放棄等があり、私の悲しみは誰にも通じなかった。喜びという光の近くの深い影の発見をたびたび抱え込んでいた。父や曾祖母は、それを我を貫くために踏み潰すような事態を繰り返していた。今起きていることの意味付けを私は欲し、制度・慣習をなおさらに金科玉条のように振りかざす者や、こともなげにそれに追従する者たちとの溝を自覚させられてきたように思う。

年を経て、私は中学を卒業するころ私は団塊の世代が受けた社会活動の洗礼受ける。しかしそこでさえ、死という問いは共有できなかったし、宗教はそれを語りつつ生身の人間をエピソードで窒息させていく誤りを踏んでいた。感動という思考停止の麻薬を平然と使うやり口に私は納得がいかなかった。私は、いま・ここに生きている。死に逆照射されつつも、それをはみ出している実在という体感を抱え、それは言葉の通じない異邦人の思いのように胸の異物を抱え込んできた。

そんな古くからの私の思いのかさぶたを剥ぐように、生まれ、親に育てられ、独立して仕事に就き、妻を帯び、子を設け家を継ぐという基準から、はぐれた者として、直接利害のない遠い親戚たちが異端を裁く場になる。私は父の代わりに曾祖母・叔父・祖父母の介護を支えてきた。今は父を支えている。学生結婚と死別、再婚の放棄というところを、己に及ばぬ差異を突くいじめの構造そのままに、毎回絞られる。家を継ぐということのためにだけ生きる者たちの狭さを噛み締めて帰ってくる。

有名人の隣に住んでいたことが誇りになり、交通事故の過失者の隣にいることが、抗議の理由となる絆はいらない。ひとの尊厳の片鱗すら無縁なつながりのなかに私は生きない。

この歳になると、先方の家族生活がコラージュのように垣間見えてくる。人に隠す家族の失敗を多重に隠し、しまいこみ、法事に顔を出せない家族の存在や、別居・離婚した者、失業中の者を隠すために、援護射撃している実態がわかってしまう。

とにかく、私は家を断絶させる大馬鹿者であり、社会運動という散財にうつつをぬかす与太者であるそうだ。私が屈せず、ちょっかいかけるから、場が燃え盛るのだが。

私の出会った、ある自閉症の子を持つ母親は、今の時代になってさえ、しつけの悪さと母親を断罪する親戚に泣かされていた。無知のなせる技だが、おかげで地縁・血縁の陰画が感じ取れるようになった。私が教育活動や教育カウンセリングに身を置いてきたのは、知が拓く世界の意味を伝えることだけではなく、こうした不条理の中に、耳を傾け続ける者の存在に価値を感じているからなのだ。

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淡路島で早朝震度6弱の地震があった。野島断層の近くだそうだ。南海トラフ地震の予兆に思えてならない。

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セミナーの講師選択、追求中。


夜間傾聴:仮眠確保で開始二時から
     ひとり

(校正2回目済み)





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4/12 土曜日に法事があり、書き込みを休みます

2013-04-13 04:06:58 | 引きこもり
13日分から再開します。すみません。
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4/11カンファ型セミナー通信記事を書き始めた/他

2013-04-12 06:29:56 | 引きこもり
2013/04/11 記
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通信創刊号を書き始めた。A4裏表だ。不定期で隔月刊をめざす。
被災地からの寄稿を企画したが、悲しいかな、依頼全滅。1年間被災地訪問していないことが祟っている。

本誌「『災害医療と被災者の保健』茅ヶ崎懇話会ニュース」は、

●長期避難生活当事者の生活孤立緩和と保健援護を、民間活動サイドから寄り添えるケアの標準形を求めること。

●仮設生活を基準にした被災要援護者とその家族の方々の声と、非被災地の支援者との接点作りと交流を心がけること。

●被災地・湘南のケア専門職の方々と民間活動の連携、特に要援護者の保護防災活動と、避難生活の支援の仕事の切り出しと実現

●避難生活期の支援と、災害弱者防災救護関係の深い情報の提案(懇談型講演)と、民間連携のためのカンファレンス活動。

というような短く言うと頭の痛くなるような、災害弱者のための主導者懇談紹介通信なのだ。実際の活動は、それぞれの団体・組織が行えばいい。ケア支援者の意見交流の場を実現していく。(いわゆる審議会のような「決定」を行わない、緩い交流の場である。)そのための通信。

通信は本ブログのように大上段振りかぶらない記事を書いていく。

また飛田かいと言われるが、やむをえない。現状からすれば、現地滞在ボラを除いて、非被災地の生活支援活動ボラは、活動が個別に生き残っている状態まで後退している。この時期に必要なのは、避難生活期における民間支援のあり方、防災のあり方であって、被災当時の経験紹介に留まる活動から脱皮の方向を探る必要がある。これは一般公開型の活動からでは絞りきれないだろう。濃い議論が必要だと考える。「孤立させるなよ、情けない…」というサブタイトルは、まだ出番がない。

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S君から連絡があった。就労活動は本人の粘り強い活動がないと支援できない。相談相手や、情報収集以上はできない。だから、私なりにアンテナを貼り続けては、いる。感謝、実は嬉しい。

明日は通信と、カンファ(セミナー)の新年度予定表作りを行っている。土曜日は、プレジョブ企画と重なったが、父方の法事。爺ぃになっても四面楚歌なので、母の付き添いと割り切ることに。

夜間傾聴>綾瀬の小学生の母親から連絡有り、断る。
     キャパを超えている。

(校正1回目済み)

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4/10 陸前高田への仲介者と会いつつ/保健師さんとの連携を

2013-04-11 06:09:25 | 引きこもり
2013/04/10 記
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糖尿病検査の日。地元主治医のところにいくと、看護師が増えていた。食事療法が基本だが、胃を切除した母の食事管理をしている関係で、母の拒絶やタイミングのずれで余った食材を、捨てるのも何だと思って口にしてしまう。これが原因で私の食事療法が乱れ、結局は私の状態は横ばいを続けている。バツ1の私には、主夫の顔も持っていることを、医者は酔狂としか思っていない。いつも不愉快な思いをして帰ってくる。

母が東京の同窓会に出かけるというので、めまいの応急薬を持たせて送り出した。だから医者から帰るときは、昼食は外食となる。まずは日が来ている平塚の図書館の書籍を更新してから、横国大の事務の友人と短時間だが会う事にし、和田町で遅い昼食を取った。講堂で3月に陸前高田の現地ボラの支援の会を開いた件で、生活支援関係者との仲介を頼んでいた。

確かに生活支援だが、結局は地場産業復興支援の方向を向いている。医療とかケアという方向がなかなか理解されないことに、歯がゆさを感じてしまうが、苛だてば彼岸はますます遠くなる。

陸前高田市議会の**氏なら、接点が取れると言われたが、私が昨年市議会を訪ねたとき、いい印象ではなかった。障がい者への微妙な差別を感じ取れたのだ。私は実質のある方なら、政党は関係ないのだが、災害弱者を束ねて処理しようとする方は信用しない。また隣接領域の課題に全く無関心な方もつまらないので距離を取る。相手が縄張り感覚のような感覚なのだ。

だから、地元保健師さんや、訪問看護師さんを仲介してくれるなら、会いたいと応答した。さらに別ルートでコンタクトを図っている山田町のケア関係者の現地活動情報を聞かないか聞いてみた。彼はもっぱら福島支援なので、山田町の位置すらしらなかった。

私は彼に会う前に平塚の図書館に立ち寄ったが、神奈川県平塚庁舎裏の工場で大きな火災があって、有珠山噴火以来、久々に大火をみてしまった。その話をちょっと口にしたものだから、もっぱら火事の話に彼の関心が移ってしまい、時間切れになってしまった。

八王子に連絡をしたが、明日ならとのことで、DVDは日送り。

気仙のスーパー「マイヤ」の買い物巡回バスの資料を送って欲しいと彼に手配を頼み、彼の紹介議員は私が陸前高田に行ったときに会ってくださいとメールを彼の携帯に送り、転送してもらった。

通信寄稿依頼難航中。

<入手した書籍>

●「命と絆は守れるか-震災・貧困・DVまで」

●「明日にかかる虹-「東日本大震災」「発達障がい」と子どもたちの現実(子どもの明日)」


(校正1回目済み)

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4/9 父の老健の花見に参加、花はいずこ/他

2013-04-10 05:44:53 | 引きこもり
2013/04/09 記
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父の入所している老健の花見に出かけた。まもなく特養に移動するので、ここでは最期の花見となる。昨年は小雨の花見だった。4月も初旬を過ぎると、花に嵐の時期に入ってしまう。今年も曇り空。花は例年になく早咲きで、八重桜以外はすっかり葉桜になっていた。しかし企画はむしろ「外出散歩」に重点が置かれており、実際花が咲いていようがいまいが、当人たちは無関心なのだった。

近くに保育園があり、園児たちのお散歩の時間と重なった。園児たちは慣れたもので、老健入所者の面々に挨拶したり、ハイ・タッチ(ロー・タッチ?)したりとサービスしてくれるが、男性は無骨に黙っているのは、可笑しいというか、侘しいというか、「どこの子だ」と、職員に質問しているのだった。関心の持ちよう、感じ方が違うのだった。

入所者10名ほどのグループ単位で企画が組まれていた。近所の公園をぐるりとまわってくるだけだが、私は9時半集合を10時集合と勘違いしていて、大幅遅刻で合流した。我が家からは、乗り換えも多く、1時間半はかかるので、8時には家を出る必要があった。夜間傾聴が5時に終わる。日誌をつけて眠る準備をしていると就寝時刻は6時になる。だから午前中用事が続くと徹夜連続は辛い。

帰りに図書館で仮眠をとっていたが、たちどころに起こされた。大いびきだったらしい。やむなく某病院の救急外来の端のソファーで仮眠。ここは見逃してくれるのだ。我が家は母が昼間眠るのを許さない。祖父母の介護のときからだから、15年はこの調子で切り抜けてきた。

私が父の入所待ちに申し込んでいた数箇所のうちのひとつに、私がYMCA経由で検査を受けさせ、不登校だった子が大人になって、福祉職員として就労しているところがある。**子と同じ高校を出てから資格を取ったのだが、その子から携帯に電話が入った。駅前で見かけたからだという。

ひとは、他者に必要とされることが、深いところからひとを脱皮させる。ADHDの傾向は残っているが、うまい身の振り方を身につける。大船渡中で出会った子たちもしっかりしていた。被災からの家族の生活再建に役割を見出している感じで、特に女子は、いじめられっ子だった子が、行政職員なみの動きをしており、被災者の若者の全てではないが、ここにも災害ユートピアが影響を広げていた。

先方の終業時間まで待ってから会うという具合にもならず、日は改めて会う事になった。相模大野校の仕事がその時間には始まってしまうからだった。

仮眠後の寝ぼけ顔で、藤沢有隣堂書店でホワイトボードとマーカーセットを新調した。対面指導の時はこれが一番なのだ。しかし、金を支払って商品を置いてきてしまった。慌てて小田急改札に理由を述べて、有隣堂で商品を回収。恥ずかしい。寝ぼけているのだ。思い返すと、また見えない右目の側のいたずらだった。

約束通り、母に中華丼をテイクアウトして買って帰る。母は、にぎり寿司を数個食べて夕食にしようとしていた。食べたから中華丼はいらないという。「食べた」の中身を注意していないと、この前は玉子サンドひとかけらで済ませていた。食事管理をしていると、母の約束の撤回には何度となく振り回されている。私の糖尿病カロリー管理とともに、必要だからなんとか続いている。

気仙地方の生協からメール応答が来ていた。紋切り型の断りメールだった。通信へのケアの視点からの活動寄稿をお願いしたのだったが、なかなかうまくいかない。被災地はいかないと、ことが動かない。某経営者団体経由で、JAの婦人部につなぐ依頼もなしのつぶて。

13日の土曜日、プレジョブの講演会で浅野史郎氏が茅ヶ崎に来る。ここで通信配布をと考えていたが、父側の法事がみごとに重なった。寄稿依頼の不調もあり、それでなくとも間に合わないが、とどめが刺さってしまった。

「やさしいハンカチ展」各地で好評とのこと、これはこれで紹介していこうと思っている。

明日は糖尿病の検査の後、八王子に行ってくる。帰りにJR相模原の塾だ。


夜間傾聴>結局断りきれず…ふたり
    (当人が済んだあと、内緒で母親から)

(校正1回目済み)

p,s, ●「東日本大震災 医療と介護に何が起こったのか-震災関連死を減らすために」を購入。某政党系だが、的を射ている。
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4/8 JR事故影響下、東京巡回をしてきました

2013-04-09 04:39:19 | 引きこもり
2013/04/08 記
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昨日の茅ヶ崎踏切で起きた衝突脱線事故の余波が、朝、出かける時点で、まだ残っていた。茅ヶ崎駅からは、東京方面の乗客は、一度平塚に出て、貨物線を利用して藤沢に出るというものだった。平塚についたとき、隣のホームから上り線は出発しているところであり、次の上り線はいつになるかわからないというガイドだった。最大1時間の遅れという駅員もいて、私は使い慣れた相模線で厚木経由で代々木上原にまわることも考えていたが、平塚からでは、1時間バス待ちならば伊勢原にでることにした。

伊勢原で昼食を取り、目的地には1時間遅れで到着した。先方には事情を説明していたが、忙しい方、私の到着の遅れの間に一件用事をこなされていたため、今度は私が20分待ち。生業の方の用件は半分しか済ませることできず、残りは来週となった。

神保町に出て、次の用事を済ませたが、小川町の出版社までまわる時間はなく、外来受付締め切り間際の慈恵医大眼科に滑り込んだ。私の目は両眼ともに、異様な明滅を繰り返しており、先月の視野検査では左目の左上方部が弱ってきていることがわかっていたので、次の診察予約の来年3月(!)までは待てないので、診察をうけたのだった。しかし、予約なしの場合の担当医は、医者になりたての若い子が見るために、網膜色素変性症の診察体験がなく、私の担当医に仲介して聞いておくという不安な結果となり、視野の明滅という異様な事態は常備薬を続けて様子を見て欲しいということになってしまった。

私が失明したらどうなるのかを考えると気が塞ぐ。社会活動のタイムリミットが設定されている気分が頭をもたげる。読み上げソフトや音声入力の練習の計画も考えているが、外出や段取り調整は、大きな制約をうけるだろう。網膜色素変性症の患者の会との交流も始めているが、遺伝型ではない私の症状は会の中でも非標準型で、症状**経験の細部がだいぶ異なっていた。

最後に**子と会う件が18時になっていたが、先方の親御さんが夜の外出を禁じていたため、**子と会う事ができなかった。親御さんの説得をできなかったことが悲しい。しばらくお寺の清掃のアルバイトで考える時間を与えられていた子だから、親御さんの心配はなおさらのことだ。

八王子には立ち寄れなかった。障がい者の緊急避難、避難生活の両方とも話し合いに適した映像がある。そこに加えるドキュメント画像を加えたかった。このDVD持ち腐れになるなと思いつつも、後日事務局にお邪魔して購入する旨を伝えておいた。

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おもわぬ時間が空いたので、ビックカメラ有楽町店に立ち寄り、新規購入したスマホ用・乾電池型充電器を買った。笑わないで欲しいが、私はジョン・ケージのフアンだ。沈黙すら饒舌な環境音に聞き耳をたてる。だから歩行中の音楽で、環境音を消し去ったり、すれ違うひとの五感サインを感じ取ることを、自ら封じてしまうことは考えられなかった。だから、イヤホン等は必要なかった。

こうして私の外出はいちおう一段落ついたのだが、帰宅後、相模大野校、JR相模原の教室の双方から宿題が飛び込んでいた。明日は、遅ればせの父の老健の花見。10時からだから9時前に家を出る。あさっては糖尿病外来。これも検査の関係で10時。睡眠時間が取れない。朝型社会ゆえ仕方ないとしても、続くはずがないので、明日の夜間傾聴は中止する。

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三省堂書店で買い物。

・教科書補充(個人持ち分)&相模原の教室使用分
・旺文社高校受験案内&入試問題正解&大学入試分
「東日本大震災と被災者支援活動」愛知東邦大地域創造研
「災害復興」日弁連

夜間傾聴>ひとり


(校正2回目済み)

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4/7 大型低気圧一過・「やさしいハンカチ展」湘南展の可能性を広げる

2013-04-08 05:54:06 | 引きこもり
2013/04/07 記
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日本列島が東西すっぽりと入ってしまうほどの大きさの低気圧が抜けた。我が家の庭は砂地なので、浸水はしなかったが、家の前の道路のあちこちに大きな水たまりができていた。

茅ヶ崎も浜竹で浸水があったようだ。平塚では伊勢原側中心に避難勧告が1万5441世帯に出された。しかし避難者は69名だったとか。片方は「世帯」、もう一方は「人」であることに注意してみていただきたい。1世帯を3人と仮定すると、約23世帯、積極的に避難した家族は0.1%、つまり千世帯に1世帯程度ということことになる。様子見・夜だから等理由はあろうが、正常性バイアスの実態である。

我が家の庭は、どこから飛来したか、ビニール袋の山。

橋本からの帰り道、茅ヶ崎駅は大混雑だった。これは巨大低気圧とは関係なく、茅ヶ崎駅近くの踏切りの車との衝突事故だった。ほぼ8時間以上、藤沢<>小田原間の運行が中止となった。

この規模になると、東京との通勤客は小田急江ノ島線に出て、藤沢から辻堂・茅ヶ崎間を路線バスでかわしていく。茅ヶ崎駅からは相模線で厚木経由または海老名経由で、小田急線や相鉄線に乗り換えていく。しかしこれは、津波で相模湾沿岸が被災したとき、東海道線が使えなくなったとき、物資輸送の重要なライフラインとなる。相模線のディーゼル車両が残っていれば、架線の電気が停電したとき、重要な役を果たす。

ただ大震災と津波のとき、傷病者は近隣入院先のパンクに、南北をつなぐ小田急線・相模線はライフラインとなる。しかし、この線上の大きな病院は地元の患者さんを考えると、対策が打たれているとは、とてもいえない。

それを思うと背筋が寒くなるのだが、たとえば津波に生き残った自家用車を利用して分散移動したとして、どこにつれていけばいいのだろう。救急車不足ということについても、トリアージ以降の傷病者の移動について、発想の切り替えがいるように思う。それは津波に生き残った自家用車の積極利用ということだ。携帯電話も宛にできないので、家族の責任のもとで、可能性のある地域への移送指示だけ行うのだ。すごろく方式とでもいうか(結局は、たらいまわしと大差ないのだが)次のセンターで、その次を教えれば次へと移動という、圧倒的に不足する救急車・医療関係者の補佐を、トリアージ軽症~要入院治療の患者さん移動を容認するという案、というよりリスクが大きな必要悪の案なのだ。

ここには、綿密なシュミレーションが必要だし、県央・県北の病院の増床政策がないと無理。被災地の治療を被災地で行うのは無理がある。だから、この辺は県の医療政策にかかるところが大きい。

また、被災地のトリアージを行うセンターが掴むべき情報は、ケア関連施設の車椅子・ストレッチャー付き移送マイクロバスや、介護タクシー車両の活用等の課題があるし、藤沢の元看護師の会ではないが、大災害時の協力契約などを広げておけば、一般者を使った移送に同伴してもらうことができれば、クオリティは上がる。こういう協力者リストを作っておくことが被災時には、大事なことになるだろう。

今日目撃したことは、駅員窓口に整然とならび、乗車券の変更を求める乗客の列であったし、ラッシュアワー並みの混雑のひとの足元のベビーカーを蹴飛ばすひと、乗車を諦め階段に移動しようとするひとの前にたちはだかって、スマホゲームを続ける若者たちだった。一触即発、危うい場面が続いていた。

今日は生業調整で昼前に家をでて東京に行く。帰りに慈恵医大に行き、夕方**子に会う。八王子の団体がOKを出せば「映画・逃げ遅れる人々」を買い求めてくる。JR相模原の塾に事務用があるので立ち寄り、夜に帰宅する。

火曜日は父の老健の花見なり。

夜間傾聴>なし

p.s.日本グラフィックデザイナー協会の「やさしいハンカチ展」を調べていて、本の装丁の関係者に辿りついた。別ルートで包装紙デザインの関係者もあって、古書配達活動をしている**さんたちに、メッセージつき古書プレゼントを組んで、ハンカチ同梱で配送するような仕組みで、メッセージと寄付金を動かせないかと考えた。ハンカチ展便乗企画ではあるが。東北被災者とつなぐために。

(校正1回目済み)

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4/6 嵐対策に振り回されつつ

2013-04-07 05:42:27 | 引きこもり
2013/04/06 記
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発達した低気圧が日本海側にあって、太平洋側に抜ける。短時間に記録的大雨とのことで、古い日本家屋の我が家に補修をやらされるはめになった。雨樋に枯葉がつまって、樋を伝って泥混じりの雨水が、瓦の隙間から染み込んでくる。

脚立はあるが、私の足は2000年12月に交通事故に遭い、度重なるやり直しの手術の結果、片足がわずかに短い。階段昇降や,特にはしご後進は不安定になる。脚立も冷や汗をかくので敬遠してきた。

コーキング剤チューブを流し込むのだが、すでに雨が降りだし、効果も危ぶまれた。ブルーシートを貼るのも風が強まるなら無理だ。我が家には、故・祖母や父の介護に使った紙オムツが残っている。台風のとき、ときどきやっていたのだが、鴨居に紙オムツを詰め込んで、壁に雨水が染み込んできたときの歯止めに利用している。高齢者家族の家だと、家まで紙オムツをするのだと嘲りながら、修繕をせっつく母をなんとか説得して、この場を交わすことができた。

案の定、大雨はかすめて通り過ぎた。しかし、どうせ予報ははずれるという感覚、これを正常性バイアスというのかなと、納得しきり。

昼を食べてから、すぐに飛び出した。幸い相模大野校のほうだったので、無事個人添削と学習カウンセリングを済ませて、早々と帰ってきた。サポセンにビッグイシュー誌を持っていかねばと寄り道変更したところ、某行政職員と出会った。防災対策課の方だった。こういう日、休日出勤なのだなと思いつつ、言葉を交わしてすれ違ったら、もうサポセンのことを忘れていた。小田急の車内で、右側に置いた傘と岩波新書を置き忘れた。これは右目が見えないので、いつも右側のものは、たとえ彼女であっても忘れてしまう。とにかく路線バスに乗って、帰宅した。

●「千年災禍の海辺学」
●「災害FM、初の恒久化 岩手・大船渡、女性3人が担当」

が出版されたとのことで、リクエストしてきた。東北学院大教養学部の学生さんたちが、被災者インタビューをまとめたもの。

8日に東京に行くので、丸善に立ち寄ってさがしてみる。


保健師さんがメモした、寝たきりの方の介護の作業のメモ、OTさんのサイトからいただいたものとか。明日は休みなので冊子資料をとにかく読み通す。

夜間傾聴>なし


(校正2回目済み)
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4/5 授業が始まったが、まずは災害弱者支援活動の整理を(1)

2013-04-06 07:09:30 | 引きこもり
2013/04/05 記
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災害ボランティアの今後の生活支援、ケア専門職との連携ということを考えていくとき、喫緊の課題であるのが、精神保健・医療のサポート。長引く避難生活と、先の見えない仕事と、目減りしていく家計という高ストレスの状態から、保健・医療上に乗るほどの歪みが被災者から出始めていることだ。孤独死はその最たるものだ。

福島のように、みなし仮設の遠方分散生活をしているときは、なおさらに孤立化が深刻な状態にある。湘南近隣の被災者住宅への当事者の負担にならない範囲の支援は、もちろんなことだ。同時に宮城・岩手への現地滞在型ケア支援を膨らませていくことが、大きな支援構造になる。

ところが非被災地に在って、現地にでかけられない者は、何をしたらいいのだろう。

・ひとつは、連携企画を立て、推進すること。
・もうひとつは、湘南の場合は自分の地域の防災活動と連携させること。

この前者において、現地長期滞在型支援活動を篤志家の自由意思の形にして任せきり放置するのではなく、現地長期滞在活動を孤立化させずに、紹介支援を地元で行い、更なる支援者の登場の道をつくること。現在の支援者の活動支援を持続すること。

もうひとつは、高ストレス・災害弱者の困難へのサポートの道を企画化していくこと。

防災との関連についての言及は、後日に回わすこととして、東北の被災者を決して忘れない支援、ここでは、赤十字カンパのような形ではなく、個別具体的な目的を掲げた直接支援であることが基本になる。

それでは、立ち返って、30数万人の避難生活者に支援を限定したとしても、現地では規模に地域差があるが、被災者緊急雇用事業として、市町村に臨時雇用された仮設巡回相談員たちがいる。核としては、市町村の訪問看護師・保健師さんの地域保健医療活動があり、県と全国自治体からの、応援ケア関連職員のローテーション・サポートがある。しかし実態は、焼け石に水の状態が続いている。家屋・生活道路の修繕等と異なり、支援対象者は「人」であり、その心に立ち入ることになる。

民間の中でも、元看護師のような有資格者の活動ならば、それは全国行政のローテーションに組み込むこともできる。しかし、素人に何ができるだろうか。足湯ひとつとっても、健常者の感覚からは問題がないようにうつるが、高血圧などの持病がある方や、利用時間管理などの健康管理が伴わないと、実は危険。高齢者や体力のない方は注意が必要になる。看護師・保健師・マッサージ師等の有資格者と連携して実現することになる。

健康に余力があり、健康を維持していく活動には、民間支援者からの連携は取りやすい。しかし、昨年春の仮説巡回の場で見たものは、高齢化所帯の二重構造、食事会や共同手作業を集合して行っている企画の主力は、高齢化した嫁世代の集団だった。そこには、親世代が嫁姑の古典的家族問題を背景に、狭い仮設生活で顕在化した家事主導権をめぐる軋轢が、仮設周囲にぽつねんと佇む90代高齢者の存在だったし、その嫁中心集合の中にも入れない高齢者男性の姿。その高齢男性が見えない状況だった。ましてやそこには、単身者・障がい者・傷病者の姿はなく、一見和気藹々の談話の外側に沈黙するひとびとの、隠れた疾病・精神疾患が際立ってきている。まさに外からは、関わりの難しい領域だ。また相対的若手夫婦が抱える二重ローンと安定就労困難と親の介護等、家計と立場の八方塞がり情況は厳としてあることから、ここに向かい合う訪問看護・介護者との連携と言っても、支援者は対話に直接入っていくことではあるまい。子どもの保育環境の課題も然りだ。

中長期的には「過疎化」・「高齢化」・「無医化」という生活環境の問題に立ち向かっていかねばならないが、今は「高ストレス」避難生活の、綱渡り的心身情況に直接・間接連携支援の形を敷いていくことだ。

非被災地からは、大事なキーワードが「民間個別交流」の推進だ。これからの論は、まず「現地長期滞在型ケア支援活動」の紹介・支援活動の件と、専門職連携をまさぐるロビー活動の形成(経験と場面の交流が動き出せば、内実が膨らむ)、民泊を中心にした家族交流の推進活動という多元的なアプローチを徹することだ。

(つづく)


夜間傾聴>**子(8日に会うことに)
     橋本3君(母親)
     ひとり

(校正2回目済み)

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