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19才で嫁いだ方が40才ころに投稿された一文を目にした。「ラジオの言葉にしなさい」と結婚前に母親からよく言われた。それを受け「方言はよくない」と思い気をつけた。結婚してからはラジオの表現とはほど遠い山奥の暮らしになった。ある日、客を送りだした義母が「輿送りをせにゃあ」とつぶやき「見えなくなるまで見送ること」と教えられた。その時、「方言ていいなあ」と思いなおした、という。
高校を卒業して3年目だった。ある用件で、3人連れの一人として生まれて初めて東京へ行った。偶然だが、同郷の知人に出会い話し込んだ。私らの話を聞いていた東京の人が「何を話しているのかわからなかった」と笑いながらいう。それまで方言をそれほど意識したことはないが、「本州の西の端から上京したもんで」と笑い返した。集団就職で上京した人らが方言に悩んだことを理解するきっかけだった。
4月になって風邪を引き上旬は摂生で過ごした。私より早く風邪に罹っているいる人がまだマスクを掛けている。症状を聞くと「ぼちぼち良くなりよる」という答え、「ゆっくり快復しているな」というこがわかる。「ぼちぼち」は日ごろよく使うが何となく方言ぽい、これは辞書にあるだろうか、ひょいと思い開くと載っていた。
「標準語を使え」とはよくいうが、はじめに載せた投稿では「ラジオの言葉にしなさい」という母親の注意の仕方は面白い発想だと感じた。標準語を話せと言われても周囲にそれが出来る人がいなければ誰に頼ればいいか分からない。母親は当時の文化の先端をゆくラジオを教材に示したが、投稿からはラジオ言葉も方言も大切にされたようだ。