社会を揺るがすような大きな事件や事故が起きると、その加害者や被害者、関連する人らの「卒業文集」を探し出し、当該者の書いた大昔の内容を公開する。そこから人物像や性格を推測し、それを裏付かのような内容を旧知の人の話として報道する。それは卒業文集本来の姿ではないと思う。
卒業文集は児童や生徒が、卒業に際して自由に書いた文章を装丁したものと思う。思うというのは私には作られたという思い出がないので想像になる。未成年の子らが自由に書いた文章、将来の夢やこれまでの反省、思い出等々だろう。誤字や思い違いもあるだろう、それらを事件の解明に用いる報道、特にTVにいつも疑問を持っている。
と言いながら、中国新聞へ投稿始めて12年、小学卒年次と同じと気づき、これまでに掲載された投稿をまとめ「卒業文集」としてみようと思いついた。小中高と卒業文集の経験がないこともその裏にある。個人的に多忙を極めたこともあり、思いついて大方2カ月になるがやっと出来上がった。今回も、編集、印刷、製本まで一人で仕上げた。製本は茅野さん考案の製本グッズを活用した。新聞の切り抜きファイルよりはちょっぴり格が上に見える。
今のところ、自作の文集で人物像や性格を想像されるような案件に巻き込まれていないので安心している。ひま暇に目を通せば自分を見返る材料になるかもしれないと思う。せっかく作った文集とするからにはそれ位の内容があって欲しいのだが、さてさてどう落ち着くのだろうか。文集は小中高の児童生徒のものいう、3年後中卒、その3年後高卒、その時々に自分はどうなっているだろうか。