日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

沿線を背負って

2013年11月10日 | 地域


 JR九州の「すごい旅行専用列車」が話題になった。驚く仕掛けは数多くあるが、最も目を引いたそれは「夫婦で利用すると110万円」という、私には考えられない運賃だが、九州のいいとこ巡りと豪華なおもてなしなどで半年先まで予約が一杯とか。乗客数より剰員のほうが多いと聞く、豪華な造りと合わせ納得する。

 現役のころ九州各地へもよく出張した。山陽新幹線を九州東岸なら小倉で、西岸なら博多で在来線に乗り換える。在来線はJR九州の特急列車を利用する。種類も便数も多くて便利、そのうえ乗り心地も良かった。そんなことで列車利用は苦にならず楽しめた。

 行きはあれに、返りはこちらで、と乗り比べがながらの出張スケジュールを組んだこともある。熊本くらいなら日帰り、そのために手際よく用件を済ます。観光地めぐりで美味い物を食べる時間はなかった。その代り、地元の駅弁はいろいろ食べた。特急乗務員の応対のよかったことを思い出す。住居地のJR西日本の山陽本線にはこうした列車はない。

 家の近くを走る第三セクターのローカル線。ピンク色の車体には沿線のサクラ、ブルーの車体にはアユとヤマメ、イエローの車体には群舞するホタル、グリーンの車体にはカワセミと、沿線の色合いと見どころが描かれている。踏切で待ちながらどの色が通過するか思いながら待っていると、イライラも起きない。しかし、のんびりといえばそうかもしれないが、窓越に見える乗客の少ないのは気になる。 
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大工になった元同僚

2013年11月09日 | エッセイサロン
2013年11月09日 毎日新聞「男の気持ち」掲載



 近くで棟上げがあった。棟梁は、大工仕事に魅了されて脱サラしたかつての同僚。建築を1から学ぶため大工に弟子入りし、学校にも通うこと6年。1級建築士の資格を得て、一人親方として独立した。

 家が寿命を迎えて解体された時、材料が土に返れる木の家を作ることに彼はこだわっている。そのため完成には手間も時間もかかるという。

 材木市場へ足を運び、納得した木材を購入し、自然乾燥させて使用する。準備した木に墨付けをし、ノコやノミ、カンナなど昔ながらの大工道具を使う。プレカットの普及にともない、最近は墨付け、刻みの仕事が少ない。これができて大工は一人前というこだわりも彼は持っている。

 今回手がけた家も「軸組模型」を作り、刻んだ材を仮に組む「地組」をし、墨付けや刻みに齟齬のないことを確認したという。また、古民家から出た松などの古材丸太を使っている。その質感、あめ色の艶と重量感は白い新材を引きまとめる力強さがある。

 棟梁こだわりの家を見学した時のこと。玄関を入ったとき、新建材を使わない家に違和感を感じた。しかし玄関を出る時に、室内の空気の柔らかさからか、穏やかな気分になっていた。

 奥さんも元同僚。「よくここまでやってこれました」と棟の主人を見上げながら感慨深げに語る。二人の今日までを知っているだけに心からエールを送った。
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ありがとう

2013年11月08日 | 地域


 錦帯橋近くの吉香公園で菊花展が開かれている。秋の花を語るとき菊の花は欠かせない。そんな中で菊花展、赤、白、黄などの大小の花が1年間の集大成と並び秋の陽を受けている。そんな花の前に立ち、上から下から、もちろん横からも覗き込むようにして見る人に出会った。菊に造詣の深い人なのだろう、単に綺麗を見る目とは違う。

 この菊花展は年に1度開かれている。作り方のイロハも知らないが毎年出向いている。しかし、今年が最後の開催になると聞いた。秋の風物詩として定着し、市民はもとより観光で訪れた人も楽しんだ展示は今年で58回目、それが終わるという。メンバーの高齢化で退会者が増え出展数の減少、展示準備の大変さなど運営が難しく継続は困難とのこと。終わると知って観賞すると、美しさが一段と映えている。

 花火や金魚売は夏の、稲刈りや運動会は秋の、というように四季それぞれで人の気持ちに訴えてくれる風物詩が街からひとつ消える。明治44(1911)年に初めて歌われたという菊の花という唱歌に「日本の秋を かざる花 きよいかおりの 菊の花」という一節がある。古くから日本では菊への思いがあったことを知る。

 母が庭の片隅で小菊を作り始めたのは亡くなる数年前だった。咲き終わった茎を切っては挿すなどして増やしていたが、簡単ではなかったように記憶してる。そこは隣家との境界で、ブロックを築くことになり小菊畑は消えた。これまで仏壇には花やしきびを絶えすことなく供え日々感謝、おかげで平穏に暮らしている。
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異常でまとめる

2013年11月07日 | 自然 季節


 10月なのに朝顔が咲いている、視聴者からの写真がローカル放送で流れたのは先月の終わり。夏場に見ると同じように綺麗に咲いている。「10月なのに、あちこちで朝顔が咲いています」というコメント付きだった。我が家の朝顔は夏の終わりを待っていたかのような早い引退だった。長寿朝顔は今夏の異常による長寿としておけば、その理由を考えなくていい。

 段畑の法面に大きなアジサイの花が1輪ほど咲いている。誰かの悪戯で造花ではと手を触れてみると思い違いだった。盛りのころの鮮やかさや艶やかさはないが、大きな1輪が秋の日を浴びている。どうしてこの1輪だけが、今咲いているのだろう。これは暑さが禍していると独り合点する。

 異常は「この夏は異常に暑かった」というように好ましくないという意味を込めても使う。異常を引き起こした要因はいろいろだろうが、その基は人様の生活に起因する。それは現在の文化的、科学的は日常生活を営むために作り出す過程で生み出したもので、自然界からすれば異常な物を多く作り出してくれた、ことになる。

 PM2.5、今冬はこれまで以上の注意と対策が必要とか。長期気象予報では寒い冬という。そこで、かの大陸で暖房用石炭の消費が増えるからという。交通も途絶えるほどの汚染が西風に流されてやってくる。その時は外出しないことが対策という。応急的にはわかるが、元から絶つ対策を願いたい。今日から立冬、油断して体調を崩さないようにしなければ。
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厳しい経営、身近に感じる

2013年11月06日 | エッセイサロン
2013年11月06日 朝日新聞「声」掲載

 円安以降、ガソリン価格は高止まりしている。そんな中、行きつけのガソリンスタンド(GS )に「スタッフ給油を廃止します」という掲示が出た。給油機周りに従業員の姿はなく、元気なあいさつの声が消えた。

 アベノミクスで「デフレ脱却、経済が上向いた」といわれるが、地方に住む年金生活ではその実感が伝わるものはまだない。逆に食品を中心に日用品の値上がりに不安を感じている。

 一方、中小企業の厳しい経営状況は報道で知る。行きつけのGS で、顧客へのサービス低下、さらに顧客減につながりかねない策をとる経営者の苦悩は、はたから推し量る以上に厳しい決断だったろう。低燃費車の普及、若者の車離れなど、GS業界への追い風は見当たらない。 

 サービスポイントの入力に事務所へ入った。これまでと変わらぬ気持ち良い応対にほっとして、店を後にした。
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のんびりと歩く

2013年11月05日 | 地域


 川沿いの散歩も風が吹くと肌寒さを感じるようになったこの頃。中洲に茂るススキは風の吹くままにその穂を休むことなくなびかせている。咲き遅れたのか、いや強さがずば抜けているのか数少なくなったコスモが晩秋の陽を受けているが、なんとなく哀れを感じさせる。

 柿が収穫されなくなってずいぶんな年月が過ぎた。生りは聞いていた通りの豊作だが収穫された様子はない。富有柿がなまったのか子どものころには「ふゆがき」と呼んでいた甘みが強く少し扁平で大振りな柿が生りっぱなし。

 「歯が悪うなって柿が食べんようになりました」医院待合室での会話を思い出した。こんなことも少子化などと合わせ収穫減の原因のひとつかと思いながら見上げる。このままではもったいないと思いながらも黙って持ち帰るわけにはいかない。熟して土に還るか鳥の餌になるか、富有柿の先の定めはわからない。

 柔らかい秋の陽が川面の波に反射して光る。その光と冬鳥が戯れている。この川で冬を越すのか、先日は数羽だったが数十羽に増えた。中洲の茂みは深く、外敵から身を守る隠れ場所としては恰好の環境だと知っているようだ。

 下りのディゼルカーがローカル線の鉄橋を渡る。小春日和に遠慮するかのようにカターンカターンと単調な音を静かに響かせて。のどかな川沿い、歩いているのは私だけ。
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青空の効果

2013年11月04日 | 自然 季節


 散歩の途中で「おはようございます」「いいお天気で」「こんにちわ」と見知らぬ人とでも挨拶を交わす。ある日の昼過ぎ、「こんな青空を見ていると文句を言いたいことがあっても言えなくなります」と言葉をかけてきたのは初対面の年配男性。

 どんな文句を言いたいのか分らぬままに空を見上げる。すると真っ青な空に筆で薄く描いたような白い雲の筋が走っている。すぐれぬ気持ちを真っ青な秋空はほどいた、自然の目に見えないパワーだろうか。

 文句を言いたいのにそれを抑えた青空、その青色の効果についていろいろ載っている。「知性と精神に関する重要な色彩。冷静に必要とそうでないものを取捨選択することを助ける。創造性、心のコントロール、頭の回転などを高める。興奮をおさえる」など、優れぬ気持ちを静める、初対面の人の言葉を裏付けような効果が続く。

 子ども新聞で「空はなぜ青いのか、 夕方空はなぜ赤くなるのか?」という子供向けの科学記事を読んだ。空は昼間は青くて夕方はなぜ赤い。子どものころ持ったであろう疑問は、いつの間にか彼方へというより消えていた。なんとなく知っているつもりでいたが、記事で復習できた。

 空が明るいのは太陽からの光のおかげ。その色はたくさんの色が混ざり合ている。色の違いによって性質が異なり、大気を通過することで青や赤に見える。大気を通過するとき、太陽の光は四方八方へ散らばる。その時、青っぽい光が最も散らばりやすい特徴を持ち、赤は散らばりにくい。そのため、空に青っぽい光が散らばるので青く見える。夕方は散らばりにくい赤っぽい色の光を見るので夕焼けは赤く見える。

 これが自然からもらった癒しの証とまだ気づいたことはない。これからも気づかせずに癒されるのだろう、雨あがりの後の青空を見ながら思う。始まった紅葉の色が映える。
 
 
 
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基本は一汁三菜

2013年11月03日 | 生活・ニュース

 
 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とは憲法第25条第1項にある中学校で学習する文言。続く2項で「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。これは国民の生存権と国の社会的使命について規定されたもの。

 文言からは生存権についても国の使命についても、具体的なイメージは浮かんでこない。いづれも時代の変化につれて変わってくるのだろう。特に文化については技術進歩で生活が便利になっているといわれるが、年とともに進歩を吸収できず、文字や映像で「そうなのか」と思うことはしばしば。

 そうは言っても健康については毎日の食が担うことになる。和食がユネスコの無形文化遺産に登録される見込みとなり、改めて和食の良さが見直されることになった。和食は、新鮮な食材そのものの味を生かした料理、と定義されている。その基本はごはん、みそ汁などの汁物と焼き魚、野菜の煮物、酢の物などを使ったおかず3品の「一汁三菜」を基本とする、そうだ。毎日、栄養バランスに優れた和食の基本を摂ることは難しい。

 夕方、玄関に大根やホウレンソウ、小松菜や豆などの野菜と旬の柿などが一山ほど置いてあった。黙って置いていかれたのは誰か、荷姿ですぐにわかった。その方の作るよく育っている菜園の写真を先日みたばかりだった。こうしていただいた野菜は、近所にもお裾分けしたが、新鮮なうちにいただく。食材偽装のない地元の野菜、その新鮮な味は贅沢品だと感謝していただく。
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ドライフルーツ

2013年11月02日 | エッセイサロン
2013年11月02日 毎日新聞「はがき随筆」掲載

 「よいしょ」。年配の女性が軒下につるし柿を掛けようと、脚立に上がるところに出くわす。ざるには2締め残っている。出しゃばりかと思いながら、手渡した。「どうもありがとうございました」と言いながら、なれた様子で脚立から下りる。

 皮むき跡の美しさに驚き秘訣を聞くと、結婚から50年以上の経験という。渋みが抜け、手作りの思いがこもったトロリとした中身、それは家族を喜ばせてきたのだろう。

 「孫が、私の作ったのはただの柿ではなく日本一のドライフルーツ、と喜んでくれます」。話すその笑顔が秋の日に染まる。
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根気よく続ける

2013年11月01日 | 生活・ニュース


 家を建て18年半。手直しやちょっとした改装などをした。最大の出費は、年齢から考えておそらく最初で最後になるだろう外壁の塗装だった。外見上は新築のころの色合いになり、大仕事をこなした気分になった。しかし、もっとも風雨にさらされる車庫には特段のことはしていない。

 そんな車庫だが、時にはコンクリートの床面をデッキブラシを使って掃除をする。その床面の屋根下とそれを外れるところのコンクリート床面の違いに気づいた。屋根下の床面は完成したときと同じ平滑な状態、色は経年の積み重ねを感じるが白い。屋根を外れたところは汚れている。デッキブラシでも染み込んだような汚れは完全には抜け落ちることはない。雨ざらしだからと気にしなかった。

 しかし、汚れや色合いだけでなく、雨ざらしの床はわずかだが凹凸がある。素手で撫ぜてみると凹凸がはっきりわかる。これまでの掃除では気づかなかった。雨ざらしだから汚れる、という先入観で済ませていたが、床面の凹凸が汚れに加担していたのだろう。同じ床面、雨がその源としかいえない。

 「雨だれ石をも穿つ」という諺を思い出した。コンクリートの質が良くなかった、そんな声も聞こえそうだが、ここは素直に諺の言わんとする「わずかな力でも、根気よく続けることによって事が成就する」ということを学んでおこう。10月の県内の雨量は平年の2倍から3倍という。一晩で200ミリ近くの雨に打たれるコンクリートは辛かっただろう。

 今年も残り2カ月、勢いのいい歳暮商戦に混じって、理解に苦しむ冬物大バーゲンのCMも。物事の成りゆきにおっつけないでいるが、転ばぬようにしっかり踏みしめて進む。
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