日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

マイペースで

2013年06月10日 | エッセイサロン
           

 薬局の受付を済ませ、順番待ちで椅子に座ろうとしたとき、突然、「失礼ですが」と私の名前を口にして椅子から立ち上がられた人がいた。それは私より高齢に見える初対面の女性。私は不思議そうに「そうですが」と応えたが、いぶかしそうな顔をしたと思う。呼びかけの訳をこう話された。

 病院の待合室で看護師から呼ばれた私の名前に覚えがあった。それは「新聞投稿欄で見ている名前と同じ」だと分かった。掲載の投稿を読むとき市内の人だがどこに住まいだろう、と思っていたそうだ。投稿には氏名と住所が明示されているが、そこからでは詳しい住所は分からない。それにしても名前を覚えていてもらうとは光栄の至りだ。

 いつ書くのか、どんなときに書くのかなど、これまで繰り返し問われていた事から話が始まった。薬局のベンチ椅子で知らない人からのちょっとくすぐったい感じの感想をありがたく胸におさめる。

 また、「背伸びしていない文章に好感がもてます」という感想を貰った。投稿は思いついたり経験した題材に、思ったまま感じたままを普通の会話調で書くことがいつの間にか自分流になった。書くことののろさは自覚しているが、そうかといって抜きんでた文を書くことは無理と思っており、その気安さが無理せずに書けるのかもしれない。しかし、なにか見通されているような感想に驚いたが、気持ちのいい一日になった。
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何かへん

2013年06月09日 | 生活・ニュース
           

 何がどう、というのではないが、毎日の生活の中でふと「何か変だ、何かおかしい」、そんなことを思ったり感じたりする。そのことが、すぐにわが身に振りかかるかといえば、それはない。よーく考えたら思い違いかもしれない、がその時は気になるのだ。

 ある店の駐車場。ものすごいスピードで進入してきた1台の車。急ぎの買い物があるのだろう、と思いながらも、場所柄ちょっとスピードは出し過ぎだとおもった。バックで駐車したがその仕方が何かおかしい、そう思いながら店内に入った。

 店内から車に戻った。駐車が気になった1台はまだ止まっている。見ると運転手は眠っているようだ。眠気からの事故防止のため店の駐車場を一時拝借、なるほどと思う。そう思いながらも駐車が何かおかしいという思いは消えない。

 すっきりしなまま、発進しようとしたとき「すっきりしない」理由に気づいた。それこそ「どうでもいい」ことだった。原因は駐車スペースの車止めを避けて止まっている。バックしすぎている、というそれだけの単純な落ち、でけりがついた。運転手はどのくらい眠かったのか、見当がつく。

 くだらない気の使いようの中で改めて自分に言い聞かせた。「車の運転中、睡魔に気づいたら必ず休憩する、それは安全な場所で」。何かへん、という思い、役立つこともありそうだ。
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11万株の花菖蒲

2013年06月08日 | 地域
            

 錦帯橋の屏風のような城山、その麓に吉香公園がある。ここは旧岩国吉川家の居館跡で旧制岩国中学校その後の岩国高等学校として利用されていた。岩国高校が川西へ移転後に公園とそて整備された。

 園内には国指定の重要文化財など藩政時代の由緒ある建物、日本で2番目の長寿サクラ、天然記念物の古木など、錦帯橋を生んだ文化の香りに満ちている。四季を通して整備された園内には梅、サクラ、ツツジ、ボタン、フジなど心和ませる花が咲きそろう。日本歴史公園100選、日本さくら名所100選にも選ばれている。

 今、季節の花といえば花菖蒲。公園には2カ所の花菖蒲池があり、合わせて11万株が植えられているという。品種によって開花時期がことなるのか、池全体が花で覆われる様子を目にしたことはないが、それだけに長い期間楽しめる。花菖蒲を写生する生徒や子どもらが多く、描かれる花菖蒲が鮮やかに装っているように見える。

 公園のアジサイ、大きな蕾や花びらが色づき始めたものもあり、見ころもまじかでしょう。バラは名残惜しそうに何輪か頑張っていますが、もう終わりでしょう。ありがとう。そのバラ園を、真っ白で大きいな「タイサンボク」の花が見送るように見下ろしている。 
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ヒメジョオンの真実

2013年06月07日 | 自然 季節
            

 花の名にうとく、名前は知らないが「綺麗に咲いている」と思うくらいで道端の草花を見ていた。雑草の中に咲いているとなおさら関心を示すことは少ない。そんななかで白か薄紫の花で「小菊に似ている」と思っていた花がある。が、例によって名前は知らぬままにしていた。それでもその花を数日前の散歩で撮っていた。

 偶然その花の名は「ヒメジョオン」、漢字、和名では「姫女苑」と表すと知った。北アメリカ原産の帰化植物で様々な立地に生育するとある。花は初夏から夏にかけて咲くという。江戸の終わりに観葉植物として入って来たが、どうした訳か明治に入って雑草扱いとなる。そして、今では在来種の植物を邪魔する要注意外来生物に指定されているそうだ。ここに人のエゴが見える。

 ヒメジョオンはテツドウソウ(鉄道草)またはテツドウバナ(鉄道花)とも呼ばれるとある。これは明治に入って雑草扱いにされたが、鉄道の延伸と共に日本全国に広まったことからの呼び名という。この花は1個で5万個近い種子を作り、その寿命は35年という繁殖力を有するそうで、全国通津浦々に子孫を運び、もらった要注意外来種の肩書も不思議ではない。

 気にしていた小さな野花の名前と由来とその繁殖の強さを知った。観葉植物として迎えられながら、いつしかその住処は道端や法面など雑草の域に変わった。ヒメジョオンは、咲き始めの季節が草刈りのころとぶっつかり、可憐な花だが、思いをかけられられることもなく「あっさり刈り取られてしまう」運命にある。それでも絶えることなく子孫を残せるのは35年という種子の寿命から来ているのだろう。花言葉の「素朴で清楚」には似合わない強い生命力を持っている。
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えっ、間違い

2013年06月06日 | 自然 季節
           

 湿度は50%を超えたところだが、風が止むと蒸し暑さを感じる昼過ぎ、通りがかりに見るアジサイ、なんとなく勢いがない。人に例えると元気を感じない。アジサイには雨だが、梅雨入りから2、3日続いた雨の後、少し長めの梅雨の晴れ間を持続している。屋外作業の方は助かるだろうが、そうでない人もある。

 「稲に水が当てられない」「野菜が枯れる」、その原因が水不足にあるという。「梅雨なのに水不足とは」という小話のネタになりそうな話だ。水が不足、これが長く続くと家計にも影響する。雨の降らない原因はいろいろあるだろうが「梅雨に入ったもよう」という予測が早すぎた、という反省らしい声も関係者から出ているとか。

 反省しても雨は降らない。平年より10日近く早い発表は西日本から東日本へ駆けていった。それなのに期待の雨が降らない。野菜の枯れも困るが、苗を植え終わったばかりの稲田の水が枯れる、流域でいいアイディアを出して欲しい。

 竜巻、融雪による洪水、記録的な積雪、集中豪雨など世界中が異常気象に見舞われているようだ。そんな自然の気まぐれに、最新鋭といわれるコンピューターといえども追従出来ないのだろう。例年の梅雨入りは今月の上旬、予報では来週なかばには雨マークがついている。予報を信じて期待しよう。
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信念の人 広家

2013年06月05日 | しっちょる岩国
           

 吉川史料館(写真)では6月1日から新展示「吉川経幹とその息子の時代展」に変わった。展示解説の「吉川史料館たより」(第47号、6月1日付)が発行されている。これに私の投稿が掲載された。

 「うつけの采配」(中路啓太作 中央公論新社)、この本を読もう、そう思ったのは、「信念貫いた吉川広家」と紹介があったことによる。吉川広家は毛利元就の二男・吉川元春の三男で岩国藩の祖となる人だ。

 吉川広家は関ヶ原の戦いで西軍(総大将は毛利輝元、東軍は徳川家康)の指揮を執りながらも、最後まで兵を動かさなかったとされる。小早川秀秋の寝返り等もあり西軍は敗れた。毛利氏は広家の働きで改易は免れたが長門・周防の2カ国33万石に大幅に減封される。輝元は東の守りとして広家に岩国3万石を与えた。広家は1600(慶長5)年、14万石を領していた出雲国富田から国入りした。

 「うつけの采配」は関ヶ原の戦で広家が「ひたすら『宗家・毛利家』のため」に知略を凝らす姿が書かれている。それを裏付ける「吉川広家自筆書状」が吉川史料館で展示されている。原文は判読すらできないが、現代訳を読むと「うつけの采配」の原典となっている。関ヶ原におけるこの采配が「毛利家を救った英雄か、裏切りか」といわれる。毛利家としては後者にとらえ、冷たい処遇をとったことは知られている。

 物語の終わり、広家の起請文に家康が「やられた」と虚脱する場面がある。そして広家の武人としてずば抜けた力量を認める。そこに岩国藩の祖として誇れるものを感じた。今の日本に、こんな「信念の人」が政を担っていれば、国の姿が変わっていたかも知れない、と考え込む。

 藩主として広家は干拓や各種産業を興し、今のこの地域の原型を築かれたことは多くの人が知るところとなっている。「うつけ」とは、気が抜けてぼんやりしているような人、間抜けなど、いい意味では使われない。では広家は本当に「うつけ」であったのだろうか、読後の思いは我が藩の祖は「常識に縛られず深慮遠謀の広家」につきる。

 私は、3年前までは「岩国の藩主は吉川家」程度の知識しか持ち合わせていなかった。ところがある縁、それは、2010年1月、岩国検定実行委員会の発足に加わり、歴史音痴だった自分を恥じながら、検定の勉強会で岩国の成り立ちを学んだ。その中で特に吉川家について大きな興味を抱くようになった。そんな中で出会ったのが紹介した一冊。読み進むにつれ、「毛利両川」最後の武人といわれる広家に誇るものを感じたのは私だけではないだろう。

 作者は小説家として「経済が縮む中で、どう誇らしく美しく生きていくかが問われている。広家の目指したものは今の日本人に通じる」と述べている。そこには、来館されたおり貰った、優しいサインの書体からは想像つかない強い訴えが伝わる。

 検定を通して昌明館や仙鳥館に住まいされた経験のある方と知り合い、話を伺うなど思わぬ経験をした。もしや、吉川家の思し召し、そんな大それたことを思いながら「吉川史料館だより」46号の広家自筆書状の紹介を読んでいる。これからも四季ごとに開催される展示会へ足を運ぼう、とも思いながら。
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虫が作る美術品

2013年06月04日 | 自然 季節
            

 梅雨の晴れ間。夏を思わせるような青空からの日ざしをうけた草木はむせかえるような熱気を発しながら緑濃くしている。そんな樹木のひとつサクラも、緑濃い葉を茂らせ養分を幹内に蓄えつつある。落葉し冬の寒さを耐え花を咲かせるまで絶え間のない生命維持を続けている。

 そんな勢いある木に茂る葉には自然エネルギーが充満している。そんな葉が美味くないわけがない。それをよく知っている虫のお出ましも葉は知っているだろう。知っていても逃れる術のない葉、虫の思うがままに蝕まれ、その後はなるようにしかならない。

 蝕まれた葉は大小様々な形、同じ形を見つけることは出来ない切り抜き、いや、食い抜きにされている。食い抜きの形はハートであり小鳥のようであり、人の顔に似ていたりする。食い残された形が坐する大仏であったり熊らしく見えたりもする。コツコツ食べながら作るとはすごい奴だと感心して眺める。

 そんななかで発見したのは、人の顔に似ていて、大きな目だけくりぬいた仮面のように蝕まれた1枚の葉。こんな顔が突然目の前に現れたら驚くだろと感じる。撮っているとき、風に揺られると威圧感がある。もし正義の味方なら「リーフ・レンジャー」として森林を守るヒーローにしたい。こんなことを考えたり思いながら蝕まれた葉を眺めていると、作は芸術家ならぬ小さな芸術虫と気付く。これはエネルギー充満の葉をいただくことへの感謝のしるしかもしれない、とまたつまらぬことを連想していた。
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イタドリ

2013年06月03日 | 回想
           

 子どもころにはポキンと折り、皮をむいて肉厚の茎を食べて遊んだ。古いことでどんな味か思い出せないが、サッパリ系だったと思う。その頃は「ハイタナ」と呼んだ。ハイタナは今頃の時期、雑草の中で背を伸ばしている。

 背丈以上になると硬くる。それを刀に見たてチャンバラ遊びをした。あたると結構な痛さで、小さい子には無理強い出来なかった。その呼びを「イタドリ」と知ったのはいつ頃だろうか。最近、古くて硬くなったら杖として使える、と聞いた。イタドリは「虎杖」と書く、字づらから見ても強そうで、杖として使えることがわかる。散歩のときそんなイタドリを探してみよう。

 茎を10センチ余りの中空のパイプ状に切る。両側から中心へ向けて切れ目を入れる。切りこみ過ぎると割れるので注意しながらナイフや包丁を使う。茶筅ほどではないが、遊びとしては16分割くらいにはしたように思う。切り目を入れ終わったら、一晩、水に浸しておく。分割されたそれぞれは外側に向いて楕円状に反り返ろ。中空に小さな棒を通し、流れ落ちる水にかざすと水車になる。その回転速度は風車以上に早く回った。

 茎は竹に似ていることから笛作りを習ったと思うが、思い出せないので失敗したのだろう。杉花粉も知らず、いま恐れられているマダニも知らず遊びまわった。ただ、マムシだけは気を付けるよう繰り返し言われたことは強く記憶に残っている。一昨年の秋の入院中、マムシにかまれた男性が隣のベッドに2日間入院したとき、その怖さを改めて知った。野山で子どもらの遊ぶ姿を見かけなくなった。 
 

 

 
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子育て

2013年06月02日 | 社会 政治
            

 地上から数メートルにあるツバメの巣。そこから乗りだして鳴く子どもらに「落ちるなよ」という願い。そんな子どもの大きく開けた口に餌を運ぶ親ツバメ、その餌は必ず生きているというという文章を読んだ。おおよその内容はこうだった。羽のある虫を運んできた親ツバメ、巣の直前でせっかく捕えた虫を地面に落とした。もう一度くわえなおして地面に落とす。親ツバメは飛び去った。落とされた虫を確認すると、死んでいた。

 子どもの餓死した事件報道が続いている。ある女性が「自分は食べなくても子どもにだけは、これが母親の心情」と声を詰まらせてインタビューに応じていた。虐待や貧困などがその背景にあるといわれるが、そこに至った原因について知る由もない。しかし、日本社会の厳しい一つの現実であることを知る。親は子に食べさせる、この当たり前と思うことができない事情をどう解消するのか、社会問題として考えよう。

 戦後のある時期、給食のない日、弁当の時間になると「食べに帰ってきます」と教室を出ていくクラスメートがいた。家で食べてくるものと子どもなりに思っていた。偶然だが、そのクラスメートが運動場の大きなえの木の根本にしゃがみ込んで、地面に何かを書いているのを見た。昼休みが終わるころ教室へ帰ってきた。毎回そうだったのか確かなことはわからないが、その日、昼食抜きということは子どもなりに理解できた。

 巣作り中も含めそこには数個の巣が並んでいる。餌を運んできたことがどうして分かるのか、親ツバメの姿が現れる直前、大きく口を開けて立ち上がるようして巣から身を乗り出す。親は口を開けている子に餌を与える。親を見て口を開けたのでは餌が貰えないことがよく分かる。それは、生きること、餌を得るための生まれながらの習性だろう。年々、作付面積が減少する稲田に合わせ虫も減るだろう。縄張り争いせず日本での生活を繰り返してほしい。
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「無」は「の」

2013年06月01日 | 自然 季節
                       
 
 月の初め、手帳の月間予定欄を開く。「6月/JUNE/水無月(みなづき)」と欄外にある。6月とJUNEはわかるが「水無月」は雨の時期なのにと不思議に思う。ネットでは「水の無い月と書くが水が無いわけではない。水無月の『無』は、神無月の『な』と同じく『の』にあたる連体助詞『な』で、「水の月」月という意味である」と教えてくれる。陰暦を用いないこの時代、違いを深く問わなくてもいいだろう。

 梅雨入りした夜、市内の山間部では200ミリを超える雨量を記録した。「大雨土砂災害警報」が出され、三セクの路線は一時運転休止となるなど手荒い梅雨入りのご挨拶を受けた。その後の2、3日は梅雨の晴れ間、気象予報では洗濯日和を繰り返し流していた。

 今朝は所用で山越えをした。雨は降ったりやんだりしたが、雨足は運転に支障ない静かな降りで助かった。道すがらの稲田は、静かな雨にうたれた無数の波紋が生まれては消え、生まれては消えている。それは静かな雨を喜び語り合っているように見える。

 ピーマンの苗を植えて3週間ほど。今日は雨にぬれていい色つやをしている。朝に夕に観察しているが、それに応えてくれるようで初収穫までもう少しになった。その準備として、昨年と同じような収穫記録票を作成した。記入欄を越えて収穫できるか、それは夏場の育て方次第。水やり担当の自分へプレッシャーを課しておこう。
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