日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

娘と石人形

2012年05月22日 | しっちょる岩国
           

 錦帯橋のたもとに石人形を展示した博物館がある。博物館といえば入館するには一息入れて、そんなことなく入れる親しみやすいところ。展示はすべて石人形にまつわるもの。石人形とは、ここでは硬い話でなく、世界遺産へ登録、そんな活動がされている名勝・錦帯橋にまつわる子どものころに聞いた昔のお話。

 いくら架けても大水で流されてしまう岩国と横山をつなぐ橋、不便でなりませんでした。それならと、両岸に綱をぴーんと張り、これを命綱として舟で渡ることもやってみましたが不便で仕方ありませんでした。流れない橋をなんとか架けたい、吉川藩の願い、住む人の願い、それが錦帯橋という姿になりました。

 古くから伝わる橋を作るには水神様にいけにえ、橋脚に人柱を埋めなければいけないと誰もがおもっておりました。さて誰が良いかと人々が集まって相談しますが、良い知恵は浮かびません。そのとき1人の貧しい武士が立ち上がり「こうしたらどうでしょう。袴に継ぎあてのある者が人柱になっては」と言いました。誰も反対するものはいませんでした。

 袴に継ぎのある者は誰か、捜したところほかならぬ発言をした武士その人でした。「覚悟しての発言」多くの人はそう感じました。その名もない武士の姿は神か仏に見えたということです。

 その武士には親思いで心優しい2人の娘がいました。娘たちは父を失うことを悲しみ、父に代わって人柱となることを決め、白装束に身をかため橋脚に身を没しのでした。そのとき、錦川の流れが一瞬止まったとも伝えられるています。

 人柱となって姉と妹は化して清流錦川の石人形となりました。錦帯橋下で見つかる人形石は親孝行な娘の変わった尊い姿なのだといわれ、今に伝わっております。

(写真:錦帯橋の模型をわたる石人形で作られた大名行列、岩国駅待合室で)
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