日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ベイリービーズ

2012年05月21日 | 生活・ニュース
          

 日本中の人が期待をこめて待っていた22年ぶりの金環食、各地で多くの人が観測しその瞬間に歓声をあげる姿が映し出された。驚きの喚声のようにも聞こえた。この時間の太陽の位置、我が家では隣家の樹木の向こうにあり観察はできないので、TVに頼ることと決めていた。

 金環食の説明の中で国立天文台の人が「ベイリービーズ」について説明があった。その話に興味がわき、カメラを構えて中継をしっかり見つめていた。NHKの中継で午前7時33分ころ、金環食となる直前、太陽の右下にその現象、小さなビーズが点になったり繋がったり、また切れたりとする変化が、はっきり見えた。その時間は数秒間かと思える短い間だったが、10枚くらい撮れた。天文台の人も初めて目にした映像から新しい発見があるかも、そんな期待のこもるコメントがあった。ハイビジョン高速カメラの成果という。

 ベイリービーズは、1836年5月15日の日食の際にこの現象を発見したフランシス・ビーズ氏にちなんで付けられたという。欠け際ぎりぎりに、月表面の凹凸の地形により光がとぎれとぎれに漏れているのを見つけ「輝くビーズの列のようだ」と表現したことに由来するという。今から180年近くも前、どのような観測機器を使われたのだろうか。

 通勤途上のひと、早く登校した児童ら、通勤電車の窓から、あるいは船や飛行機など、見上げる場所取りには苦労苦心が見えた。次は6月6日の明け方には太陽・金星・地球が一列に並び、金星が太陽を横断するショーが見られる。これは見逃すと次は105年以上も先になるという。こちらは6時間近く続くというからのんびりできる。

 金環食、目を傷めない方法で観測するうえでの注意点は早くから知らされていた。そんな中、絶対禁止のひとつにあったのが子どものころの主流だった手作りの観測器具。器具というほどではないが「透明ガラスを蝋燭の煤で真っ黒にした」ガラスの小片。使用禁止イラストでも大きな×印が付けられていた。あのころはいったいなんだったのだろうか。

(写真:正午のNHKニュースから)
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梅実る

2012年05月20日 | 生活・ニュース
           

 散歩の途中、大きく育った実がもぶれついている梅の木があった。まもなく収穫だろう。「今年は梅をつけたら」「ラッキョウを漬けたら」と専用の瓶だけが届いたことを思い出す。ここ何年か手作りを見送っていた。

 スーパーには梅とラッキョウが季節の顔として並んでいる。その両方とも洗い済みでポリ袋に詰められている。そして欠かせないラッキョウ酢も何種類か大小の瓶と並んでいる。梅用の塩も積んである。それらを買って持ち帰ればすぐに漬けられる。赤紫蘇も脇役のように置かれている。なんともいたりつくせりの品揃えに驚く。

 我が家は梅漬けだった。掘る、もぐ、洗う、乾かす、酢の準備など漬けるまでの工程のすべてをこなしていた祖母や母のことを思い出す。昔は専業主婦が担った伝統的な保存食作りだった。今は途中の工程抜きで漬けられる便利な時代になった。これだと家庭独特の味がうすれることは分かっているが、食生活の変化で、かってのように家庭で大量に作る必要がなくなった。

 弁当には欠かせない赤紫蘇漬けの梅。それが乗せられると日の丸弁当と呼んだ。子どものころは遠足の弁当の握り飯にも必ず入っていた。紫蘇には殺菌、解毒作用が高いので、弁当による食あたりを予防するためには梅は欠かせない健康食品だった。

 日の丸弁当は弁当箱のふたに穴を空ける、というアルミ製弁当箱時代の懐かしいお話。プラ弁ではそんな心配は要らないし、芸術的になった弁当、キャラ弁には梅は入らないか。若いお父さんお母さん、子どもさんにすっぱさを少しは味わっておかないと、大人社会のしごきに耐えれない子どもさんになるかも知れませんよ。



 
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諺で自己弁護

2012年05月19日 | 生活・ニュース


 プロでない方のいい文章、いい絵画、いい写真などを読んだり観たりすると「癒される」「気持が和む」「ほっとする」などと思う。そう思いながら「どうしてこんなに上手く創作できるのか」「どうして自分にはそれが備わっていないのか」、省みることなく勝手に腹立たしい気持が起きる事もある。

 こうしたとき「下手があるので上手が知れる」ということわざがある。これは「下手な者がいるからこそ、上手な者が目立つ」という下手な者が自己弁護するのに用いられる。同じような諺に「馬鹿があって利口が引き立つ」ともいう。

 それじゃあしっかり作って・創って世に問えば「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」かもしれない。それはまぐれ当たりでしかない。しかしその万に一つの当たりを生み出した努力を根気よく続けていれば、やがて成功が訪れるかもしれない、そうも解釈できる諺のように考える。これも自己弁護、自己納得へのいい訳だろうか。

 古希を過ぎ毎日が休日の歳とはいえ、名案が少しも浮かばないのに時間だけかけて考えるのは時間の無駄である。そう、生産性のない時間を過ごすのは「下手の思案は休むに同じ」とか「下手の考え休みに似たり」という。こんなことを書いているようでは「ばかばかしくて話にならない」と「臍で茶をわかす」ほど笑われる方も多かろう。古希奮闘ではないが「今に見ていろ」の精神で生き生きと作って創って生きたい。

 やる気を駆り立ててくれた数十点のパステル画展。知人の作品は優しいタッチの風景が描かれていた。風貌と比べその違いに虚をつかれたが、作品には作者の思想心底が現れるという。作者と作品を結びつけて観ると作品への思いがまた膨らむ。
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昼下がりの広場

2012年05月18日 | 地域
           

 近くに河川敷運動広場がある。面積は約2万6千平方メートルというから東京ドームのグラウンドの2倍ほどになる。立派な広さをもった運動場といえる。子どものソフトボールの試合が同時に4試合行われているのを見たことがある。

 この運動場、最近はゲートボールに変わってグランドゴルフ、ソフトボールに軟式野球などの練習や試合によく使われているのを見る。お母さんと一緒に小さな子どものかけっこ、長距離走の練習で外周を黙々と走る人もいる。早足のウオーキングをする人もよく利用されている。

 そんな運動広場と錦川にはさまれて、長さ1キロほどの整備された遊歩道ある。その遊歩道は散歩コースのひとつ。暑さを凌ぐ樹木などはないが川風が気持ちよい。そんな快適な場所も、年に何回かは大雨であふれた濁流が土砂を運んでくる。さらに豪雨になると運動広場も使用できなくなる。それがこれから秋の終わりまで心配される。

 先日、いつも誰かが使っている運動広場に1人も姿が見えない情景に出くわした。する見慣れない異常な姿の広場に映る。どうしたことかと思いやったが、いやいや、広場も時には休息がいるのだろうと勝手に思う。いつもは使わない休息中の広場を歩いた。コンクリートの遊歩道とは違い、ふわっとしたやわらかな土の感触がなんともいえない。外周を2周も回っていた。運動広場利用者の邪魔にならないよう、たまには広場を歩こう、手持ちぶたさのように立っているバックネットに話しかけみた。




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里親と里子

2012年05月17日 | 生活・ニュース
           

 私の育ての能力も知識もないことを承知の上で、ブログのハンドルネームをつけた「薔薇」を育ての親として私の知人に預けておいた、というメールを貰っていた。折々に気になりながらも「あの人なら大丈夫」と安心しきっているうちに薔薇の開花時期になった。

 そんな里子に出ていた薔薇が、里親に連れられ我が家へ帰ってきた。初対面のそれは私の身長近く育っており、大きなつぼみを幾つもつけ、すっかり成人した薔薇だった。美しくても棘があるので気安くは触れないが、里親の愛情をたっぷり貰ったことが一目でわかる。養育費は改めて打ちあわせることにした。

 里子でいた薔薇を見ながら「里親と里子」という報道特集を思い出した。特集は主に里親登録者がもっと増えて欲しいという内容だった。実の親の基で生活できない気の毒に思う子らの多いことも改めて知った。その子らの親代わりとなって養育する人を里親という。身近におられるのかも知れないが「里親・里子」という家族を知らないで過ごしている。

 特集の中で里親・里子について、世間では蔑視や差別も多いことが進まないひとつの要因と指摘されている。一方で、実子が学齢になたっところで里親を始められた方もあるという。この親権を持たないで子どもを育てる里親の仕組みは日本には古くからあった。

 児童擁護施設や乳児院などの言葉はニュースを知ったときに関心を持つが時間と共に薄れている。全国で何らかの事情で家庭で生活のできない子どもらが、約3万6千人という。里親と生活している子はこのうち1割にも満たないそうだ。いまさら里親になれる自信も力もないが、支援のできることがあれば手伝いたい。

 立派に育って帰ってきた薔薇を見ながら、子どもを育てることを放棄しない親教育もまた必要なのかと考える。それまでは、少ない施設従事者や里親をされる人らへの理解を深め感謝することだと感じる。

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緑のトンネル

2012年05月16日 | 自然 季節
           

 夏はもう少し先だが「外出は強い紫外線対策をしっかりして下さい」と気象予報士が朝から注意を呼びかけていた。予報にたがわず暑い日、最高気温は27度近くで夏日だった。日替わの大きな温度差に体がまだ慣れていない。 

 あれだけ賑わっていた桜のトンネル、あのときからひと月と少し、そこは緑一色に変わりまるで別の場所かと思わせる。日差しを避けてこの葉陰のトンネルに入る。吹きよせる川風は天然クーラーが迎えてくれたくれたようで、散歩の速度を少し下げる。ひんやりとした空気から緑のエネルギーが伝わる。寝ていた先客の猫が1匹、退屈そうにゆっくり場所を変えた。

 桜の葉が茂るとやって来るものがいる。あまり好かれることのない毛虫。すーと目の前にぶら下がってくることもある。花のあるころに姿を見せないのはせめもの幸い。それは人に遠慮しているのかそれとも怖いからかのどちらかだろう。丁寧に見てみたが見つけられなかった。小鳥たちにとっては貴重な餌になる。むやみに捕ってつぶしてはいけない気もする。

 そんな緑濃い桜の葉が茂る枝に、夜桜を演出したぼんぼりが風に揺れている。そのぎこちなさが「花は過ぎた、早く休ませてくれよ」と駄々っ子のように見えて面白い。トンネルを出たところで少し早足に。白いコンクリートの舗装道で暑さが戻った。
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今夏の節電

2012年05月15日 | 生活・ニュース
           

 日本に原発の灯りがともっておよそ40年、その原子力発電が全停止して10日。建設再開は勿論のこと、再稼動も含めこれからの電力見通しに何の道筋も見出せていない。原発の安全神話、今になって思い直せば「原発のいろはを深く理解しないまま、根拠の薄かった安全を絶対的なものとして信じらされた」と反省するしかない。

 そんな状況の中で今夏の節電は現実味を帯びてきた。原発再稼動に異を唱える側の声が大きく聞こえてくる。その異は理解できるが現実としての対応を如何にするかがいまひとつ分かりかねる。稼動推進の側は電力不足を補う必要を説くが、安全に不安があると厳しい指摘を受けている。そんな中、大飯原発の立地自治体の議会は再稼動を容認するとした。

 瀬戸内色と湘南色の通勤電車が4両編成で連結されている朝の通勤電車。向かい合った連結部分でお互いがライトを点し相手を照らしあっている。それは睨みあいっこでなく笑いあっているようで微笑ましく見えた。考えてみれば切り離されるまでは不要な点灯に思える。消灯すればどのくらいの節電になるのだろか、と貧乏神が頭を持ち上げる。

 この夏、我が家はどう節電したものか、と昨年を思い出す。これまでもエアコンより扇風機を良く使っていし、節電タイプを昨年購入したので扇風機主体は続く。故障で冷蔵庫に洗濯機、TVは一昨年買い換えた。こうした節約生活の中で電気製品の買い替えはできない。冷蔵庫の扉の開閉を回数を減らす、これなら出来そうだ。

大都会の灯り輝く夜の街の映像を見ながら小さな節電対策を考えている。

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緑のハス田

2012年05月14日 | 地域
           

 レンコンは蓮根と表しハスの地下茎が大きく成長したもので、食用として栽培されている。いくつかの節に分かれ、穴が多数空いている。ここ岩国の蓮根はほかの地域に比べその穴がひとつ多い九つ。これは岩国藩吉川家の家紋が九曜の紋で、藩主を喜ばせたと伝えられている。

 その蓮根の生産高は日本で数番目。子どものころからなじんでいるホクホクとしていながら粘り気があり、繭のような糸の延び方などの品質はほかの産地に勝る食感と自慢できる。この時期、その蓮根も大方堀尽くされ、次の収穫へ向けてハスの苗が植えられ、立ち枯れた山林のようだったハス田に青々とした活気が戻ってきた。

 ハスはスイレン科の多年草で、夏には太い花茎を伸ばし、紅・淡紅・白色などの大きな花が咲く。それは「ハスの花」として知られ、お盆のお供えとしてその出荷風景は風物詩的に放映される。その花は泥水が濃いほど大きくて美しい花を咲かせるという。人生に置き換えれば苦しいこと悲しいことの大きいほど実りあるものが得られる、そんな内容の法話を思い出す。

 蓮根は多数の穴があることから「先を見通す、先が見える」などから縁起の良い食材と言われる。そんな縁起物の基になるハス田が住宅用地に変わりつつある。先般も十数軒分ほどの宅地に変わった。200年前、岩国に蓮根栽培をもたらしたのは村本三五郎という篤農家とされている。現存されていたら、ハス田が減っていく様子を何と言われるだろうか。水草のはびこったハス田を眺めながらそんなことを思った。
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恵みの駐車場

2012年05月13日 | 生活・ニュース
           

 車で観光地などへ遠出するとき、特に始めて訪ねるとこでは下調べして出かけるが、駐車場の有無は心配のひとつ。すっと以前、町の観光協会のチラシの「駐車場あり」を見て安心して藤の花を見に出かけた。誘導にしたがって進入した。確かに駐車場として確保されてはいたが、なんとそこは畑で、作物が植わっていないだけなのに、当時としては高い料金を取られた経験がある。

 郊外型のスパーや道の駅などは比較的楽に止められるスペースが確保され、慣れないところでも気安く利用できる。もっとも駐車場があってこそ営業が続けられるのではあるが。高速道のSA入り口直前で、事故のための通行止めに出くわしたことがある。駐車場で2時間近く解除を待った。そのときはSAの通路のあふれるほどの車が並んだ。

 名勝・錦帯橋の四季を訪ねてこられる人は年間を通して最近は70万人くらい。その大方がバスや自家用車だと思う。それを受け入れる駐車場、錦帯橋下流には自然が作り出した広い川原があり、そこが駐車場になっている。それでも花見時分の錦帯橋周辺は駐車場の空き待ちなどで大渋滞になる。大雨に見舞われない限り使用でき恵まれているのではなかろうか。

 GWに続いて今日は母の日、川原は車で埋まっていた。桜の木の緑滴るような葉陰で弁当を広げて楽しむ親子連れやグループも多く、穏かな光景が印象に残った。
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「じゅうのう」を求めて

2012年05月12日 | 生活・ニュース
           

「じゅうのう、はどこにありますか」と言う声に振り返ると、私よりかなり年配に見える女性が若い若い男性店員に聞いている。「じゅうのう?それは何でしょうか」と実に丁寧に問い返している。その姿勢は好感の持てる応対だった。女性の説明で私にはそれが何か分かったものの店員には伝わ分からない。

「じゅうのう」は辞書で引くと「十能」とあり「炭火を盛って運ぶ道具。金属製で木の柄がついている。火掻」と説明されている。子どものころはどこの家でも薪を使ってかまどで煮焚きしたり風呂を沸かした。その後の灰や燃えかすを取り出したり運んだりした懐かしい道具の呼び名が十能で、火箸とコンビだった。

電気炊飯器、給湯器、オール電化、ガスなどと火を使わない生活で育った人らには到底想像がつかないだろう十能の話。この地方にLPガスの普及が始まったのは1960年の前後から、それまでは薪が家庭燃料の主軸だった。お節介と思ったがスコップの形から説明したら店員さんは理解し「申し訳ありません、私どものお店には置いておりません」とまたまた丁寧なお詫びに、つられて私も頭を下げていた。

十能を買われるとは不思議に思い「何に使われるのですか」と聞いてみた。「こんどの日曜は自治会の側溝掃除です。十能なら私でも溜まった土を少しくらいは掬いだせると思いまして」と話された。入梅前になると自治会単位で域内の側溝掃除が毎年ある。蝿や蚊の発生を予防したり、大雨のときのスムースな排水などが目的になっている。

それにしても、かなりの高齢に見えるこの方も、側溝に流れ込んだ土砂などの排出作業をされる。そう思うと、頭の下がる思いと一緒に、これが過疎高齢の現実なのだろうかとなにか割り切れない苛立ちを感じた。それでも若い百均の店員の真摯な姿勢に少し救われた。その女性は「ナフコに行ってみましょう」と店の出口に向かわれた。

(写真:我が家に残っている10の能力を秘めている何昔かまえの十能)
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