行政が合理化されるに従い歴史ある町名などが表から消えるていく。歴史町名はそこで何が営まれていたが知ることができ、郷土への認識を高めていた。かってを偲ばすそれらが杉の板に墨書きされて残されるが、墨の薄れてとともに記憶からも遠のいていく。
JR岩徳線の西岩国駅から錦川の鉄橋までの区間は旧城下町を貫いている。そこらは戦国のころの戦に備えた町のつくりで、馬も並んでは通れない狭さ。さらに、地元でも迷路と呼ばれるくらい込みいった曲がりや交差をしている。軽自動車の離合もままならないが、町並みには歴史を感じる。
そんな町中を通るJRの線路は盛り土された上に施設されている。そのため狭いけれども道を横切る時は鉄道橋にる。その鉄道橋には「けたに注意」という表示が取り付けられ、側にその位置を表す名称と、異常が発生した時のJRへのお願い文がセットになっている。
10年近く何度も通っているそのひとつに「蛤町(はまぐりちょう)架道橋」とあるの事に気づいた。その通りは吉川藩時代の七町名のうちのひとつに通じる。この町名がいつのころかあったのだろう、仲間内の勉強会でも出て来ていない。そういえば「琵琶町」と杉板に書かれた町名も目にした。それは七町名の中にある。
蛤町は海に近い場所ではない、ではそういう名がどうして残っているのだろう。琵琶町、そこには琵琶を教える名高い人が住んでいたのだろうか、など思いながら歩くと、冷たい風もしばし忘れる。
(写真:JR西日本が取り付けた蛤町を示す掲示)