goo blog サービス終了のお知らせ 

日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ホタルの里で

2008年06月20日 | 生活・ニュース
               

朝から気を痛めていた雨は出発のころに小雨となる。パソコン仲間が車5台に分乗しホタル見物へ。ホタルは数十年ぶりという人もあり遠足気分。

「午後8時に舞台へ出るように打ち合わせしてあります」とホタルの里にブログでは自称「山小屋」を持つHさんの言葉。リクエストに応じたホタルについての解説は素人離れしている。ビックリ。

8時、ホタルが飛びはじめる。湧き出るようにその数を増す。歳に不足ない仲間の歓声は飾り気のない無邪気さで闇に広がり消えていく。

Hさんお薦めの観賞ポイントを上流からまわる。雨で増水している小川の音にも負けない河鹿の声が聞こえる。この季節ならではの風情が凝縮されている。

ホタルの光は求愛のこコミュニケーションという。そんな熱いものは見る目に感じさせず、人に優しい癒しの感じをくれる。そういえば、ホタルの光を人工的に再現し治療に使う、その様な記事があった。

光の中を進むと宇宙遊泳している錯覚もおきそうだ。そんなに楽しませてくれた光の演舞は音もなく幕が降りる。ひとまとまりして高い闇の中に見えなくなった。せせらぎの音がまた聞こえ始めた。

♪ホタルの宿は川端やなぎ、川のメダカが夢見るころ、蛍の光窓の雪など蛍にまつわる歌は多い。ホタルは日本人の心のふるさとのひとつかも知れない。

(写真:手の中でも求愛を続ける1匹)
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イカは高値か高嶺か

2008年06月19日 | 生活・ニュース
      

♪ 舟唄  阿久 悠:作詞  浜 圭介:作曲

    お酒はぬるめの燗がいい  肴はあぶった イカでいい
     女は無口な 人がいい    灯りはぼんやり 灯りゃいい
      しみじみ飲めば しみじみと  想いでだけが 行き過ぎる
       涙がポロリと こぼれたら    歌い出すのさ 舟歌を

続いて八代亜紀独特の哀調を帯びた節回しが続く。聞きもし歌いもした艶歌のひとつだ。

レコードが発売された1979(昭和54)年は第2次石油危機のさなか「灯りはぼんやり 灯りゃいい」に当時の通産省が目をつけ、省の推薦歌にしたいと打診した、と報道されている。

今は第3次石油危機と表す識者もいる。国の原油価格安定と庶民生活安心への施策が目に見えない。もう一度「舟歌」を経済産業省の推薦歌にして国民に節約を求めてみたら。

好みの「肴は あぶったイカでいい」の1節はこれからどうなる、と心配する。原油高騰・燃料高騰にたまらず全国一斉に小型のイカ釣り漁船が休業すると言う。

報道で、1航海で12万円の売上、7万円の燃料費や賃金諸経費を差し引くと赤字になる。魚価は漁師の希望が全く汲まれていないとも嘆かれた。意欲の薄れることがよく分かる。

遠洋マグロ魚もイカと同じ状況になっている。日本人好みのこれらの水揚減少は供給減となりやがて家庭にも響いてこよう。市内にもいけすのイカを食べさせる店がある。心配だろう。

イカ釣り魚の漁火が「ぼんやり」も灯らなくなるのではと気づかう。スーパーで気安く求めていたイカの加工品、高嶺の花にならぬよう願いながら、買い置きの「柔らかイカ」のふうを切る。

(写真:呼子の生き造り、昨年の6月)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迷い道で

2008年06月18日 | 生活・ニュース
               

先日、元上司の元気な姿を見てある雨の夜のことを思い出した。

その上司の家に不幸があり通夜葬儀の打ち合わせを終えて帰路についた。昼過ぎからの雨は小止みなく続いておりあすの天気を気にしながら車を動かした。小高い丘の団地の下り坂はとっぷりと暮れ街灯の明かりが頼りだった。

さして時間のたたないうちに、団地内の幹線道路への道順が分からなくなっていることに気づく。右左とハンドルを切り暗い道を進むが同じような道筋が出口を阻む。迷路に入ったようだ。無駄な走りは止め、高い位置から方向を確認しようと団地の上の方へ向かうと決めた。

上方への道だろうと考えながらハンドルを切ては曲がった。数回目にこれまでとは違う明るい道が少し先に見えた。幹線道路だった。迷った時に出口が見つかった嬉しさを初めて体験した。

葬儀の日は快晴だった。道に迷ったことは誰も知らない。雨の夜道が「迷ったときには1つの方向を決めて進め」と教えてくれた解決方法、ひと昔前のある1日を思い出しながらその背中を見送った。

(写真:市内に幾つもある団地のひとつ)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学ぶこと

2008年06月17日 | エッセイサロン
               

岩国エッセイサロン主催の「第2回エッセイ教室」は14日、月例会と同じ中央公民館講座室で開催された。当日は会員とほぼ同数の一般の方を含むおよそ30名が参加した。3時間の熱い勉強会になったが、手作りの教室は終始和やかに進行した。

講師は毎日新聞山口支局長:勝野昭龍氏、同紙の「はがき随筆」の選者もされている。村田喜代子の「名文を書かない文章講座」を参考にエセイの書き方の講演を聞いた。続いて会員の創作エッセイ20数編について講評を受けた。その前に自作のエッセイを声を出して人前で読むという初めての経験に緊張する。

「興味を持たせる書き出しが非常に良い」と好評し「エッセイの内容から柔らかい感じがするタイトル例えば『丸投げ』、最後の2行の表現が平凡なので工夫を」
「この3行は独自の感覚を表現していてよい」

1作ごと講師の口から簡潔に延べられる講評に頷きながらメモする。

作品から「末尾の1字を変えることで大人の作品になる」と添削、「誰でも書ける平凡な内容は書かない」「概念的な表現はしない」など文中のその箇所を指摘される。思うこともなく見過ごしていることと気づく。

自身の弱点をさらけ出す、方言を織り込んだ会話、引用文への感動、テーマの絞込み、日記風にしないなど「読まれる、読んでもらえるエッセイ」を書くための指南が続く。

今回の教室から自己反省として「自分自身の言葉で人には書けない表現や見方」「書いたものは声を出して読み聞いてもらう」ことと受取った。先ずは書き続けることが上達に繋がると思いなおしてやって行こう。

(写真:教室の和やかさに不似合いな次第)
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外見

2008年06月16日 | 生活・ニュース
               

「女は優しく・男は逞しく」「女は愛嬌・男は度胸」、これは男女の美徳を示した意味が含まれているのだが、今はゆるされないかも知れない。大昔の時代劇の宣伝文句はこんな風だった。

愛嬌も度胸も本当は接してから解かるものと思う。少ない数ではあるが、最近はネットというモンスターが愛嬌も度胸もわからせず、その姿を見せぬままに仲立ちし悪戯や犯罪を犯す。外見も外観も分からぬままに。

その外見。ある席で「もしかして公務員でしたか」と質問を受けた。何度も経験している問いなので驚きはしなかった。現役の会社員時代、具体的な役所名をあげて「お勤めですか」と聞かれたこともある。

どこが公務員に似ているのか分からないでいる。融通が効かないように見えるのか。杓子定規でなく仕事はそれなりに柔軟にやったつもり、それで評価が下がったこともある。間違ったことだけはしていない。

気になることはある。「書くことが硬い」と言われたことがある。意識して書くわけではないが頭が硬いか、易しい言葉を知らないか、人間が強直なのか等など思い当たる。

いまさらこの身の改革は無理。人に迷惑をかけないという信条は守りながら、元公務員でも会社員でもかまわない、外見で嫌われないよう気配りしながら年金生活を送ろう。

(写真:外観はマンション風、実は市内にある女子刑務所)
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父の日のプレゼント

2008年06月15日 | 生活・ニュース
               

14日の8時43分ころ発生した「岩手・宮城内陸地震」については時間の経過とともに被害の状況が拡大している。1ヵ月前の四川大地震にも似た山間地に残した被害、人力の到底およばない自然の力を改めて思い知らされる。

亡くなられた方のご冥福を祈るとともに行方不明者の早期発見を遠くから願うほかない。また、父の日がなくなった被災者への速やかな支援策を行政へ期待する。

と言いながら、嫁の名前で父の日のプレゼントが届いた。素直に喜ぶ。
今年は京都のお酒。解説を読むとぐいぐいと飲むお酒ではないようだ。たまに飲む晩酌、その時はよく味わって飲もう。家内は下戸、全部この体に納めることになる。

包みに「おじいちゃんへ」という孫からの便りが入っていた。新学期から始業前に1キロほどのランニングが始まった。汗をかくが楽しいと書き、終りに「おじいちゃんもいい汗をかいて元気でいてください」と結んである。汗を流しながら走る絵が添えられている。気づかいも嬉しいが字も文も絵も上達していることも嬉しい。

北海道では父を乳にかけ牛乳をプレゼントする働きかけもあるそうだ。川柳欄に「父の日を忘れないのは百貨店」と載っていた。幾歳になってもいただき物は嬉しい。

(写真:京都から届いたプレゼント)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

せんてい

2008年06月14日 | 生活・ニュース
               

パチパチというリズミカルで心地よい鋏の音。近所で庭木の剪定をされている家から聞こえてくる。大きく高いくろがねもちは、この間まで赤い実をついばむ小鳥で賑やかだったが今は伺い知れない。

さつきの花がが終り近くなると狭い我家の植木も剪定を待っているように見える。脚立にあがって鋏を動かす。剪定と言うより伸びたところを切るだけの作業だ。高齢が高所で切れ物を使う作業、怪我のないようにと指差呼称し安全を確かめている。

切り落とした枝や葉の後始末をするとサッパリ感はある。植木も心なしか喜んでいるように見える。梅雨の晴間を見つけてこの作業をこなす時期になった。

近所の公民館に高さ数m㍍ほどでピンクの花をつける花水木が1本植えられている。春先から沢山の花を付け近所の人も訪れる人をも楽しませている。

その花水木に異変が起きた。数本の枝を残して丸裸にされた。職人さんの仕事と聞いた。剪定の理由は近所の方も知らない、という。これで育つの、来春花は見れるのと心配になる。

長く生きてきたら高貴ならぬ後期への選定が待っている。戦後の復興を成し遂げ今日の繁栄の礎を築いた人は安心安定の選択が出来なくなる。その説明が出来ぬままに進む政治、ここには思い切った剪定が必要だ。

(写真:剪定で丸裸にされた花水木)

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田植えのあと

2008年06月13日 | 生活・ニュース
               

昔の農村では最も重要な農作業であった田植え、その経験は無いが田植えの済んだ稲田を見るとなぜかほっとする。主食として長い長いあいだ崇められた米は時代の流れで苦境に落ちている。

早苗取りに早乙女、田植え歌に田植笠などの姿は何かの行事として観光事業化されたとこでしか見かけられない。その伝統的姿には多くの人が集まりカメラの放列もこれまたすごい。何処かに郷愁を誘うものがあるのだろう。

水周りされていた農家の方が「長いこと米で生きてきたわしらは今の農政はわけが分からん」と言いながら導水用の止水板を抜かれた。勢いよく流れ込む透明な水を追いながら畦道を進まれた。

小川沿いに歩いて気づいた。稲田の1部が刷毛で緑色を塗ったように見える。晴れているから雲の影ではない。向こうの端まで平らな稲田だから何でだろう、と思いながら立止まった。悪い癖が出たと思ったが写真だけは撮った。

分かってみれば何の事は無い。向こうに見える家が水面に映りそこが濃い緑色に見えた、それだけのことだが難しい試験問題が解けたような感じがした。

先ほどの農家の方は隣の稲田で水の流れを見られている。

(写真:刷毛で緑色を塗ったような稲田)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あかり

2008年06月12日 | 生活・ニュース
     

痛ましい事件が相次ぐ 何故だろう
教育が、政治が、社会が、地域が、家庭が、学校がとその因果が報道される

報道されるが類似の犯行が続く 報道は抑止力になっていない
逆にそこまでするかと思う犯行の細部報道 模倣しないかといらだつ

被害者側の人権がようやく認められ始めた 良いことだ

子どものころにも今のような事件が多発したのだろうか
いまのような虐めや不登校などの覚えがない

裕福な社会ではなかったが子どもは外で遊んだ
喧嘩もしたが一緒に野山も駆けた

日暮になると家に帰る 電気傘の下の白熱灯が明るかった
静かになった野山で小動物はホッとした

人を犯罪からそらせるように導く灯りはないのか
子ども高齢者も含めた安全な日々のために

(写真:錦帯橋近くに立っている行灯形の街灯)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨に入ったもよう

2008年06月11日 | 自然 季節
               

山口県は10日、平年より5日遅く昨年より3日早く梅雨入りした。山口県を除く中国地方の梅雨入りは今日11日と発表された。

梅雨の入も明けも山口県は北九州地方と同じで、中国地方のそれと1日くらい早い。熊本県が梅雨入りすると熊本北部の九州地区と山口県は自動的にそうなる、と気象予報士の説明を聞いたが、理由については説明ない。

山口県と北九州は50年前トンネルで陸続きに、その後自動車道でもつながり、狭い海峡ひとまたぎとなった。県東部に住むと九州はそれなりの距離になる。唯一の繋がりは三大新聞は北九州で印刷され届けられている、そんな事くらいしか思いつかない。

昨日は夏日の気温を記録し暑い1日を過ごした。今日は早朝の小雨はいったん止み、お昼前から梅雨らしいしとしと雨が降り始めた。大方の田植えは終わっているそうだが、米と水の間がら梅雨は梅雨らしくあって欲しい。

これからしばらくは、雨が止んでわずかの陽射し「梅雨の晴間」が貴重になる。冷え冷えとする「梅雨冷」も季節感をもたらすがこちらは願い下げしたい。

梅雨入りと断定的に言わず「梅雨に入ったもよう」と言う、ぼかしたというか逃げ道のあるというか、この表現が正しい言い方と教えられた。いかにもお役所的な発想から出たと思う。

予報で使う「晴れでしょう」「雨でしょう」の「でしょう」調は「だろう」の丁寧な言い方。「入ったもよう」もそうした流れのひとつでとやかく言うほどのものではない。

(写真:今日の天気は中国新聞より)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする