日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ひより

2007年06月09日 | 自然 季節


梅雨入りが遅れている。
各地ダムの貯水量最低値、今夏は節水必至、稲作にも影響など少雨の状況が、温暖化とも関連付けされ大きく報道されている。本格的な夏到来前から気の重い情報ばかりだ。
それでも、苗の植付けられた水田を見るとホットする。

水不足の一方、局地的な豪雨や雹などの被害情報も多い。貴重な雨、せめてダムの周囲で、と願いたい。

「いいひよりですのう」「ひよりが続きますのう」。朝のウォークで「お早うございます」に続いて交わす挨拶。これは天気の良いとき。「ひよりはどうなでしょうかのう」これは雲行きの怪しいとき。「ひよりにならんといけませんのう」これは日差しの少ない日が続くとき。天気についての言葉、立派な挨拶用語になっている。

雲の移動予測や気象予報士、テレビの気象情報はドラマ仕立てのように構成され、見る側もその気になっている。雨具や重ね着の支度も準備できなるなど、この情報は生活情報として切離せない。

子供のころはラジオからの天気予報。「晴るでしょー」「雨でしょー」終わりを少し粘っこく伸ばす、そん放送だった。「山口県東部より、広島県西部の予報が当たる」、祖父の口癖だった。

そんな祖父が「あっちの山に雲がある。今日は傘がいるぞ」、登校前に教えてくれていた。経験とラジオの予報を合わせた祖父流天気予報だった。孫が雨に濡れないように、そんな思いがあったのだろう。そのころの傘は番傘、雨降りでもないのに持ってはいけなかった。
50年近くまえ彼岸へ旅立った祖父、どんな天気予報を見ているのだろうか。

朝曇りの日、頭髪の薄くなった人は暑さにご用心、こんな天気予報も記憶にある。それを実感したことは何度もある。この夜明け前の空、雲の多い日は数分単位で空模様が大きく変わることがある。晴れるのか降るのか、そんなことを考えながらのウォーク、その日の予定によっては雲は東へ動け、と思いながら腕を振る。
(写真は夜明け前の東方の空。この日は夜明けと共に雲は消え暑い1日だった。AM4:30ころ)
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刈込み

2007年06月08日 | 生活・ニュース


庭の植木、この時期になると枝が伸びすぎうっとうしくなる。毎年梅雨入り前に切り落としている。

今年もその時期到来、所帯主の出番だ。何年も繰返している作業、手馴れたとまではいかないが、手順は頭へインプット済。歳を考え、けがをしないよう、脚立も剪定鋏も、安全の指差確認をしながら使う。時どき、形はどんなかと気にし全体を見回している。

日差しを良くするため長めに枝を切り落す。下から見ると空が透けて見える。下から切り具合を確認するとき、思い出すことがある。

幼稚園年中組の親戚の女の子、私の背中へ寄りかかり、薄くなった頭部をなぜながら「髪はどうしたの」と聞いた。「髪は今から生える」と答えたら怪訝そうな顔をし、「えっ」と言ったまま背中から離れた。その女の子は中学生になった。背中へ寄りかかってくれることは無くなった。

樹齢を無視して伸びる枝、年齢とともに頭髪の少なくなる所帯主、補いあうところは無いのだろうか・・・。

定年後、憧れの庭師のところへ弟子入りした同期がいる。1度話しを聞いた。「悪いけど、会社勤めの楽しさ面白さとは比べられない」という。「樹も花も生き物。平凡だが、生かすも枯らすも腕次第」だからともいう。素敵な生きがいに、日焼けした顔が花を添えていた。

隣の庭は本職の鋏が入る。
剪定、辞書によると「果樹・茶・庭木などの生育や結実を均一にし、樹形を整えるため、枝の1部を切り取ること」とある。

我家の「うっとうしい枝を切り落とす」作業は何になるのか。無用の枝を切り捨てて形を整える、これを「刈込み」というそうだ。感覚として「ドンピシャ」だ。日誌には「刈込み作業」と記入しておこう。
(写真は、剪定ならぬ刈込まれた庭木の1本)
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前と後

2007年06月06日 | 生活・ニュース
  

「パソコンの講師はどんなだ」。在職中のパソコンの実力を知っている同期からの質問。学習しながら講師を続けている話をした。「思いもよらない」と不信な様子。現役時、パソコンはお互い素人、壊れたらが先走り操作の冒険は出来なかった。パソコンは重宝だが貴重な文具だった。

どの仲間でも集まると、今と昔を比べることが円滑な会話になっている。それは評論に近いときもあった。共通しているのは、少し自己自慢が織りまざっていることだ。度が過ぎなければ悪くはない。

「話が前後する」順序が逆になることを言い表す。前後不覚、前後を忘れるなどあまりいい意味合いを持っていない前後。
文章を書いたとき、前後の節をに入れ替える、夢の広がる生き生きとした文章となる。生きた前後に変わる。そんな前後をつかみたい。

昨日の今日、平凡な人間には身近なところの変化を、見逃さないで夢につないで行きたい。ひとつ戻らない前後がえる。額の前が後ろへ移動している。とめる効能が知りたい。
(写真2年前にした部屋の改造前後)
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2ヵ月講座

2007年06月05日 | パソコン講座


定年退職して大きな患いもなくすごしている。家内の作った食事は余さず食べ、早起きして1時間あまりのウォーキング、TVを観ない早寝、仲間との楽しい集い、たまの晩酌など特別のことは何もない。悪く言えば型にはまった生活習慣。いまさら脱け出せない、そんな感じだ。

そのお蔭か、健康を理由に、約束を違えたり迷惑をかけないで今日までこれた。

これまでは半日、長くても1日で終わった講師たが、6、7月と連続するパソコン講座の講師を担当することになった。しかも初めての夜間講座となる。そこで休講しない健康第一の生活が大切になる。さわやかな季節からうっとうしい時期への変わり目、心しないと、と思っている。

健康食品、サプリメントと食事以外からのエネルギー補給のCMがすごい。そんなに健康増進に役立つなら、医療へ使えないのだろうか、時々思うことがある。使用しない者の誤解かもしれない。

2ヵ月の講座を向かえ、改めて身の回りを思うのは、何か不安を感じるのかもしれない…。それを考えるよりも講座準備が先だろう。
(写真は、講座資料を入力するFD、綺麗なラベル作成は事務局担当者)
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2007年06月04日 | 自然 季節


薬九層倍は、薬の売価は原価に比べて非常に高く、暴利をむさぼっている、として言われている。薬価が決められた今はないこと、と信じたい。

安価な薬としてジェネリック医薬品がPRされている。
新薬を開発したメーカーが特許期間中は独占的に製造・販売できる(先発医薬品)。特許の有効期間(20~25年)が過ぎると有効成分や製法の情報が開示され、同じ効き目の薬を他のメーカーで製造・販売出来る(後発医薬品)。これがジェネリック医薬品と解説されている。そして効き目や安全性は先発と同じ医療用医薬品という。

西洋医学と合成された薬、切離せない関係にある。
一方、薬草の発見とそれの処方を、国の政策として進めている開発途上国のあることを報道で見た。多くの薬草とその効能が伝えられていた。虫歯を予防する薬草を使っている人の健康的な真っ白な歯、自然はホスピタルです、というCMを思い出した。

知っている薬草に「どくだみ草」がある。
夏に抜き取り、水洗いし軒下で乾燥させる、そんな光景が記憶にある。乾燥した葉を火でやわらかくし、腫物に貼ったことがある。胃腸の調子がよくないとき煎じて飲まされた。健康茶にどくだみ草が加えられている商品がある。

どくだみ草、聞こえはよくないが毒を矯める働きがあるそうだ。いまころ、雑草の中に30cmほどの茎の高さで、4枚の白い苞と淡黄色の小花が咲いている。花は匂わないが、葉を手でもむと悪臭を放つ。生薬の匂いだろう。見かけたら体験して欲しい。

梅雨入り前の側溝清掃で、刈取られたどくだみ草をあちこちで見た。草刈機を使った作業ではそれを残すなんてできない。医薬品への不安が知らされるなか、薬草の効能を思い直すことも技ありとならないだろうか。
(写真は石の隙間を縫うように顔を出したどくだみ草)
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視点

2007年06月02日 | エッセイサロン


岩国エッセイサロンの「第1回エッセイ教室」。講師は毎日新聞山口支局長 岩松 城氏。氏は「はがき随筆」の選者もされる。はがき随筆は、思いを255字の文章にまとめ投稿、紙面へ掲載される。掲載されると実にうれしい。

教室は、事前に提出したエッセイの1編ことに文字の使い方、句読点の位置、読みやすさ、分かりやすさ、簡潔な表現方法などご指導を受けた。

冗長な文章は、読みづらく理解しづらいことは知っている。しかし、書いていると、気づかぬまま終わっている。繰返し読みなおすことを改めて学んだ。短いセンテンスでも、前後を入れ替えることで思いつかなかった表現に出会えた。

人の心を動かす文章は、「視点を相手側におく。すると相手にこだまする内容、相手の心に重ねあわさる力を持つ内容」になると話された。行間に読ませるのは、声高でなく、哀歓を感じさせる文章、それが人の心を動かす文章になる。印象に残った講話だった。

タイトルも文章の1つとして完結させる、と講話された。難しい。

素人が文章を書くという挑戦、今日の講話をこれからに生かしていく。
(写真は講評をメモした自作のエッセイ)
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衣更え

2007年06月01日 | 自然 季節


今日は衣更え。在職中は冬用から夏用の少し薄手の作業着に変えていた。化学工場では、夏でも半袖や袖口をまくりあげて腕を出すことは禁止されていた。けが防止、自分を守るため必要な防災策だった。懐かしい思い出だ。

公園の花も桜からボタン、藤から皐月、そして菖蒲へと代わり、7変化する紫陽花も咲き始めると梅雨入りも遠くない。自然は教えられることなく変わっている。

近所の垣根に南天の花が風に揺れている。米粒状のその真っ白な花、冬の到来にあわせ緑からやがて丸い真っ赤な実になる。花とは似つかない形へ変化させる自然には、どんな暦が隠されているのか。

国会の大臣席は申し合わせた夏姿、山積する難問を庶民に分かるような姿へ「衣更え」して欲しい。年金生活では、古い皮をいつまでも身に着けない、無理をしない程度に世の変化へ追従できる、そんな脱皮に気をつけたい。
(写真は南天の花、日に当たるとその白さは眩しい)
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