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ある会話。
「ふみきり」の意味を説明出来るかという。ばかにされたようで「線路と道路が交わるところ」と答える。「そこではどうする」。「電車が来たら止まる」。「それだけか」。「ほかに何がある」。「思い切って飛び越えられないか」と、途方もないことを言う。「ふみきり」にはそんな意味もあるんだ、と先の人は笑った。
帰宅途中、N駅近くの踏切で一旦停車し、発車しようとしたら警報機がなり始めた。サイドブレーキを引き停車した。ここは、列車がN駅へ停車する前から警報機が作動する。遮断機を潜り抜ける人を見たこともある。忙しいのだろう。列車の通過を待ちながら、踏切に飛び越す意味があるのか、会話のことを思い出していた。
辞書を開いた。線路と道路の交差する場所に続いて、次のように載っていた。1つは、跳躍競技において、強く足を踏み切ること、またはその場所。2つ目は、思い切ること、ふんぎりとある。相撲で足を土俵外に出すこともいう(広辞苑)。
禅問答ではないんだ。「ふみきり」は「踏切」で、「線路と道路の交差するところ」で「列車が来たら止まる」これが普通の答えと思う。が、辞書を見たら、踏切を飛び越える、そんな解釈も成り立ちそうだ、そう感じたことに驚いた。
ふみきりと聞かれ、最初の会話のように答えた。それしか頭に浮かばない固定された言葉だった。突飛な解釈を聞き辞書を開くと、突飛な解釈も理解出来そうになった。が、3段飛や走り幅跳び、棒高跳びなどの踏切と、線路を飛び越える解釈には無理がある。話としては愉快で楽しいが。
先入観を捨てなさいは先人の言葉。やわらかい頭になりたいと思いながらも踏切の先入観には拘っている。
(写真はN駅近くの踏切を通過する列車)