日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

見守りか見張りか

2021年04月19日 | 地域

 「よう気がつく人じゃけえ」。3人掛けのベンチ式の椅子、コロナ感染対策で中央に大きな✕印が記されていて両端に座っての会話、自然に声が大きくなるもののお互いマスクを着けているからだろう向き合って話す年配のご婦人は二人とも私より年上に感じる。内容はお世話になったというご近所の方への感謝がにじみ出ている話。

 聞いている方の人が「それじゃあ、見張られているようじゃあ」と心配そうに尋ねる。聞こえてくる内容から、そうかもしれないと感じるが話す人の次の言葉に納得した。「私は見張られているのではのうて、高齢の一人暮らしじゃけえ見守られていると思っとる」、そこには有難いという思いが感じられた。

 「見張られる」と「見守られる」では違いがある。それは、前者は「私は監視されている」感じだが、後者は「私が無事であるように気をつけてもらっている」ということではなかろうか。そう思うと、よく気がつく人へ感謝の念が自然に湧くのだろう。

 今朝の朝刊に「仏さまは見ていらっしゃる いつも一緒私のそばに」という記事があった。子どものころに「悪いことをしたらいけんでよ、まんまんさんが見ている」と大人集から言われた。今思えば、それは、まんまんさんに代わって常に地域の誰かに見守られているという環境の中で育てられ育ったのだと思う。年配女性二人の話から何かを授かったようないい日だったことを思い出した。
コメント (1)
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