日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

進化した車の陰で

2020年07月24日 | 社会 政治

 片側複数車線、真っ白なセンターラインや区分線が引かれた車道を最新の車が走るCM、各メーカー似たようなパターンで新車の紹介がされる。自動化された車は、気持ちよく疾走する。そんな車、道端の伸びた雑草が路側帯の白線を隠し、センターラインは剥げて用をなさない地方道では、安全装置満載の車でも自動では走れないと冷ややかに見る。

 ふと、JAF8と9月の合併号に載っていた「車のある風景」というエッセイを思い出した。「悪夢」と題したその中の「コンピュータートラブルは厄介」「ECUが壊れたんですね」「なぜ壊れたか原因不明」そんな短い一節を思い出した。私の汎用車でも装置はあるが、それに全幅の信頼を寄せず五感をプラスして運転している。

 車の運転や装置にコンピューターが普通に使われ始めて、やむなく1級整備士の仕事を失った人を知っている。故障車のエンジンを駆け、ハンマーで各所点検すれは故障個所と大方の原因を判断できる整備士だった。コンピュータ化では疑わしい部分の部品をそっくり取り変えることが修理方式になり、なぜ故障したかの判断は不要となり職場におりづらくなった。

 CMで見る整備された道路を、世界に誇る技術の粋を集めた高速で走る車は必要だ。一方で高齢化・過疎化の進む地域では公共交通機関の利便性は下がりっぱなしだ。また、運転免許返納で通院や買い物など日々の生活に支障を来している。こうした地域で安全に走れる高齢者用の車開発も進めてほしい。そうすれば遠くに住む子どもたちも少しは安心できる。日本の若者の車離れが言われて久しい、車の活路は輸出頼みか。
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