日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

学び学ぶ

2020年07月04日 | 生活・ニュース

 ある待合室。設置のTVでは、九州の熊本・鹿児島に出された大雨特別警報に関する被害の様子や避難を促す報道が休むことなく繰り返し流される。急流・球磨川の複数個所の決壊による冠水で茶色化した街並み、屋上で救助を待つ人らを映し出す。毎年のように映し出される洪水の光景に「またもか」と歯ぎしりしたくなる。

 これは東京都で新型コロナウイルスの新規感染者が3桁台で続いた翌日。この待合室は先日まで表示のあった「間隔をあけて座る」表示が除かれていたが、手の消毒、マスクはご使用くださいになっている。前席の並んで座る年配の女性同士の話が聞こえる。洪水被害者に「気の毒じゃねえ」といい、続けて「毎年毎年同じことを繰り返してばかり、国は災害が起きて何にも学ばんのかねえ」と厳しい指摘に、耳を傾けた。

 しばらくしてコロナに変わった。「都会の人は遊ぶことが好きじゃねえ」と県境往来自由になり人出増の映像を見ながら話す。皆が遊んでいるわけではないが、地方から見れば行き来する姿にそう思う。「いま動いたらうつるなあ分かっとるのに」と手厳しい話。往来自由になって新規感染者増の現状は会話の通りだ。

 そうか、「学び学ぶ」は学校の勉強だけに限ることではない、就学年齢を過ぎたら生活の中でそれを習得するしかない。読んだり見たりして「学んだ、参考にする」と口にするし書きもする。それを実践につなげないとその場限りだったことになる。この反省をどう実践していくか、何か大きな課題をもらった待合室で聞こえて来た会話だった。
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