日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

孫が撮った遺影

2020年07月05日 | エッセイサロン
2020年7月5日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載

 ひといき欄で的場信江さんの「遺影の準備」を拝読した。「何かあった時には自分の遺影に使ってくれ」と、父から写真を手渡される場面から書かれていた。私は読み進むうち、母が遺影にと自分の写真を選んだ昔のことを思い出した。
 あれは息子が高校に入学して間もない春たった。写真部に入ると話すので、高校生向きの写真機を購入して贈った。
 私も写真撮影が趣味の一つである。息子は日頃から私の撮り方を見ており、多少の感覚が育っていたようだ。絞りやシャッター速度などを変え、ファインダーをのぞいて空シャッターを切るなど、写す感覚を確かめるように練習した。
 しばらくして「最初におばあちゃんを写す」と言った。突然の孫の声掛けに、母は驚きながらもよそ行きに着かえ、髪を整えた。息子は母に注文を出しながら何枚か撮った。
 プリントは写真店に依頼した。母は出来上がった何枚かを満足そうに見て「これを遺影にして」と1枚を選んだ。確かによく撮れていた。ただ、私は「遺影」の言葉を奇異に感じた。
 ところが2年後、母は1カ月の入院で旅立った。息子が写真を撮ってから、これほど早くこの日が来るとは想像もしていなかった。息子は祭壇の遺影を見つめ何を思ったろう。
 遺影はかもいに飾った。もう三十数年になる。「孫が最初に写してくれた記念の写真」と話した母は、笑顔で帰省する息子一家を眺めている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする