日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

74年前の岩国駅

2019年08月14日 | しっちょる岩国

 74年前の8月15日は太平洋戦争の終わりが告げられた日。その前日、岩国駅前は米軍の空爆で大きな被害を被った。手元にその時の状況を描いた1枚の絵がある。その絵にそえられた説明の一部を転載する。第1波の攻撃時刻は午前11時5分で第3波まで続き11時45分終わった。投下された爆弾は500ポンド弾1446個。あたかも夕立の如くであり、地上に直径15㍍ほどの大穴が空いた。

 さらに続く。この絵は12時30分頃の風景であるが、戦争は二度と繰り返してはならないことを如実にも物語っている。メモとし続く。B29爆撃機数60機。死者517人、負傷者859人、行方不明者30人、全壊家屋543戸、半壊家屋343戸、罹災者5911人。この絵は爆撃から45分後の岩国駅ということになる。今年もサイレン吹鳴に合わせ黙祷した。

 夕立のごとく降り注いだ爆弾の大穴は、昭和30年代半ばころまで、駅を少し離れた地域では見られた。フナが良く釣れる、そんな話も聞かれた。大穴は駅周辺を「ハチの巣」状に変え、岩国爆撃の説明では必ず紹介されている。

 この絵は、昭和61年から同62年にかけて郷土紙に掲載された「岩国今昔」の原画のコピー所持者のご好意で複写さて貰った30枚ほどの1枚。当時は今と違い事件事故直後の映像が容易に残せる時代ではなかった。それだけにこのカラーの1枚は貴重だと思う。広島原爆被爆者の話を忠実に描いて伝え残す高校生の活動が報じられた。モノクロでしかない語りが色彩化されることで、インパクトのある伝承になることを期待する。
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