日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

鬼やらい

2019年02月03日 | 自然 季節

 鬼はたたりをもたらすものとして想像してつくりあげられた。鬼を追い払う行事を追儺(ついな)や鬼やらいといい、立春の前夜である節分の日に「鬼は外福は内」と言いながら家の内外に豆を撒く。柊(ひいらぎ)を玄関にさしたが、鰯の頭を置いた記憶は無い。恵方巻を食べるというのは関西の商人のアイディアで鬼とのいわれはないそうだが、廃棄という大きな問題を巻き込んで店頭には並んでいた。

 豆で追い払われる鬼だが、人とのかかわりも深いようで鬼を頭にした諺がある。「鬼が出るか蛇が出るか、鬼に金棒、鬼の居ぬ間に洗濯、鬼の霍乱、鬼の首を取ったよう、鬼の目にも涙、鬼も十八番茶も出花」、いずれも人の内心にある怖さや弱さの源を鬼におきかえているようで面白い。鬼も頼めば人喰わずというのに、我が子あやめる事件の多さに驚く。「番茶も出花」は他人は決して使わないことです。

 豆まきには鬼の面をかぶって楽しく騒ぐと思っていたが、最近は面を「かぶらないで」と注意されるという。見たことは無いが市販の面に「顔にかぶると視野・視界が狭くなり危険」などと記されているそうだ。その訳は面をつけると視野や視界が狭くなり危険だということで、おでこに着けるらしい。面をかぶらないのは節分の鬼だけでなく、ほかの面でも同じという。

 鬼やらいの豆を歳の数だけ食べる慣わしは高齢者にはきつい。また、鬼やらいの豆を紙に包み、人に見られないように辻に置き、振り返らずに立ち去る、すると願いがかなうという言い伝えがある。我が家の前の辻では途切れることもあるが豆の包みが置かれている。明日の朝はどうだろう、ちょっと早めに起きて見てみよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする