日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

かすていら

2019年02月14日 | 町かど

 岩国は藩の発展に伴い城下町が整備されていった。中心は錦帯橋正面の大名小路、城下の大手通りとして中級武士の屋敷の並ぶ侍町であった。その西側に岩国七町と呼ばれる町人が居住する町が作られた。七町は「玖珂町、柳井町、米屋町、塩町、材木町、魚町、豆腐町」の七つの町でなっていた(岩国検定テキスト参照)。

 この七町は昭和40年代半ばまでは商店街として大変な賑わいだった。郊外型店舗の増加や車社会の到来など、城下町風の商店街では変化に追いつけず、次第にさびれ人通りも激減した。そんな通りの或る横町に書店2軒、肉、菓子、帽子、家具、傘、薬、衣料などが軒を連ねていた時代がある。今は2軒だけになった。そんな一軒の「かすていら」の看板は小学校通学で見たままが残っている。

 それは1931(昭和6)年操業の老舗「風月堂」。風月堂の「錦帯橋かすていら」は超有名な一品で、贈答や見舞の品として何度も利用してきたし頂きもしている。初代が考案されたという最中の「毛利公」」は天皇陛下献上菓子と知られている。ある取材記事によると菓子作りへの挑戦に留まる事はないという。

 カステラは室町末期にポルトガル人によって伝えられた南蛮菓子、これを元に日本で独自に発展した和菓子という。風月堂のそれは、きめ細かいがふわっとした黄身色の生地、しっとりとした食感と和風の美味さは優れた一品で「かすていら」の標記にふさわしい。いつかご賞味ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする