みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

金(かね)で買えない

2021年06月11日 | 使徒の働き

使徒の働き 8章14−25節

 自動車のエアコンが効かず、夏に向けて厳しいので修理をお願いしました。圧力センサーが壊れていたとのことでした。朝預けて、午後には修理が完了していました。思ったよりも安く済んでホッとしています。

 サマリアでの宣教の結果多くの人々が福音を信じ、魔術師シモンもイエスを信じてバプテスマを受けたことは、きのうの箇所にありました。ここには、そのシモンの願いが何をもたらしたのかが書いてあります。

 シモンはエルサレムから来た使徒たちがしたことを見て、自分も同じようにしたいという願いを持ったのでしょう。使徒たちが手を置いて祈った人に子門の目で見て変化を見たのかもしれません。魔術を行って人々を驚かせていた彼は、自分もペテロやヨハネのような権威がほしいと思いました。

 そこで彼は、金(かね)で使徒たちの権威を手に入れようとしました。しかし、ペテロが言うように、金で神の賜物を手に入れようとするのはとんでもない罪です。この時ペテロは、シモンに大切なことを伝えています。それは、何ができるかできないか以前に、心が神の前に正しくあるということです。23節に「おまえが苦い悪意(胆汁)と、不義の束縛の中にいることが、私には見える」というペテロのことばに目が留まります。シモンががんじがらめになっていたのは、金で何でもできるということだったのかと考えます。

 金さえあれば…、と今も多くの人は考えます。神の賜物は金で求めることのできるような物ではないほどの価値あるもの。しかし、いつの間にかこの真理を脇において、キリスト者も「金さえあれば…」という思いに縛られてしまっているのではないのだろうかと、わが身を省みつつ考える箇所です。


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