みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

引き受ける人がいて

2021年06月14日 | 創世記

使徒の働き 9章19節後半ー31節

 礼拝でお借りしている教会堂の近くに、「近日開店」の知らせが貼り出されていたのですが、それが「寿司店」だと分かりました。持ち帰り、あるいはデリバリー主体のお店のようです。味はどうなのでしょうか?

 サウロがダマスコに来たのは、もともとはイエスをメシア(キリスト)と信じる人々を脅かして殺すためでした。しかし、彼がこの町で最初に行ったのは、イエスについて「この方こそ神の子です」と宣べ伝えたことです。劇的な方向転換です。それまで仲間だと思っていた人々は、サウロのこの「変心」を裏切りだと捕えます。立場を変えればそうですね。以来サウロ(パウロ)は決して大げさではなく、自分のいのちを懸けて福音を宣べ伝えるのです。

 22-23節の間にはかなりの時間的経過があります。

 この間、サウロへの憎悪は殺意へと高まります。このような時、サウルを助け引き受ける人々が出てきます。サウロの弟子たちです。サウロの働きによってイエスを信じた人々のことでしょう。彼らがサウロを脱出させます。エルサレムでも、問題がサウロを待ち受けていました。サウロの「悪い」評判を聞いたエルサレムの教会は彼を恐れていました。そのために、サウロは教会の交わりに加わることができませんでした。この時にサウロを引き受けたのはバルナバ。しかしエルサレムでもサウロのいのちが狙われます。この時も兄弟たち(イエスを信じている仲間)がサウロをカイサリア経由で彼の故郷タルソへと送り出します。

 「一人だけで大きくなったと思うな!」とは、よく言われることば。ある時、ある場所で、そしてある局面で自分のような者を引き受けてくれる人がいたので今の私があると、誰もが言えるのではないだろうか…。


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