民数記 11章1−15節
「この寒さが好きだ」と何人かの方がおっしゃっているように、この時期、寒さに縮こまらずに外に出るといろいろな発見があります。公園を歩くとたくさんの鳥のさえずりが聞こえてきます。iPhoneのカメラではこのぐらいが限度でしょうが、バードウォッチングが趣味の人にはたまらない環境だと思いました。
イスラエルの民が動き出しました。その途端次々に起こる問題の中で、指導者モーセはすっかり行き詰まってしまいます。それにしても、「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも」とはすごいことばだと思います。つぶやく民はエジプトで彼らが奴隷としてどんなにつらい目に遭っていたのかはどこかに行ってしまい、目の前の空腹に耐えられずに、大声で不満をぶつけているのです。主が彼らに賜わったマナでは飽きてしまったとでも言いたいのでしょうか。
こんなことを書きながらも、自分にもこんな思いに駆られることがあるのだと気づかされます。満たされていても、あれがないこれが必要だと、欲望には限りがありません。たくさんのモノにあふれているのに、なお必要だとして、テレビにはコマーシャルが流れ、ネット広告が飛び込んで来ます。
さて、モーセは「私には重すぎます」と、このような中で神に祈りました。「私にこのような仕打ちをなさるのなら、…殺してください」とまで言っています。この時にモーセがどれほど苦しみ、行き詰まっていたのかが伝わってきます。「自分にはもうできない」とさじを投げるようなときに、神に祈ることのできるさいわいを改めて覚えます。