みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神を覚える町

2021年03月09日 | 民数記

民数記 35章1−15節

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 ここには、イスラエルの民に割り当てされた相続地の中に、48のレビ人の町を置くこと、そのうちの6つを「逃れの町」とすることが命じられています。「逃れの町」とは何かについては、この章の後半に詳しく述べられていますが、15節には概略があります。誤って人を打ち殺してしまった者がその町に逃れることによって、私怨による殺害から守られ、正しいさばきを受けるためのものでした。

 誤ってであっても、人のいのちを奪ってしまうというのは重大なこと。殺された人の遺族にとっては、理由はどうあれ、大切な人を殺した人への憤りは簡単に収まることはありません。しかし、イスラエルの民の間で神は、犯したあやまちをあるべきかたちで収めることができるようになさったのです。殺人者も、その被害者家族も逃れの町があることで、神を覚えることができるのです。

 レビ部族は約束の地に相続地を持つことはできませんでした。主が彼らの相続地だからです。それゆえ彼らは、各部族の中に散在して住むことになっていました。それはおそらく、ヨルダン川の東に住む部族も、西に住む部族も、レビ人の町が近くにあることによって主を忘れずに覚え続けるということもあったことでしょう。

 神はご自分の民が、さまざまなことによってご自分を覚えるようになさった、レビ人の町もその一つだったと考えられます。さて、私は何によって神を覚え続けるのだろうか、…。


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