みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

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2024年05月20日 | 出エジプト記

出エジプト記 30章22−38節

 日曜日は聖霊降臨日、ペンテコステの礼拝でした。ストラスブールからの若き音楽家たちによる賛美と証しを聞きながら、一人の人に神が為されることの大きさを覚えました。礼拝後にお茶の会を持ちましたが、私の赤色のネクタイを見て、「ペンテコステだからですか?」と 尋ねてこられました。聞くと、その方の教会では日曜日の礼拝では何か赤色のものを着けてくるようにということだったそうです。

 30章後半で命じられているのは、聖所の器具類や祭司を聖別するために注ぐ、「聖なる注ぎの油」を作ること、そして聖所で毎日焚く、香のささげ物で用いる「聖なる香」を作ることです。

 油も香も、新約聖書ではそれぞれ何かを象徴しています。祭司に油が注がれるのは、祭司が聖い神に仕えるためです。30節の「祭司としてわたしに仕えさせなければならない」ということばが心に残ります。

 それは、聖なる祭司とされたキリスト者たちに聖霊が注がれることを象徴しています。最初に書きましたが、昨日はペンテコステでした。復活し弟子たちを残して天に昇って行かれるイエスは、彼らに「聖霊によるバプテスマ」を授けられると約束されました。そして、イエスが天に昇って行かれて十日後に、弟子たちは聖霊に満たされたのです。

 それは、彼らが特別な人として高められるのが目的ではなく、福音を宣べ伝えるためでした。イエスが彼らに命じられたことを行うためでした。私にとって聖なる神に仕えるとは具体的にはどのようなことなのかと、立ち止まってみようと思います。


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