民数記 31章1−24節
2月最後の日は日曜日。午前に日本との祈りの会、午後に礼拝、そのあとの総会と、オンラインによる大切な集いが続きましたが、さすがに疲れました。毎日在宅での仕事をし、オンラインでの打合せを重ねている方々や、授業を受けている子どもたちのストレスはどれほどのものだろうかと、思います。
31章の前半には、主がモーセに命じた最後のミッションが書かれています。ミディアン人への復讐を果たすようにとの命令です。ミディアン人は遊牧の民族で、モーセの妻ツィポラはミディアン人の祭司の娘でした。
しかし主は、モーセの血縁云々ではなくて、イスラエルの人々がバアル・ペオルを拝み、誘惑された事件を企んだのがあのバラムとミディアン人だったので、彼らを打てと命じておられるのです。
この時のイスラエルの攻撃によって、ミディアン人の男子は殺され、そそのかした張本人バラムもこの時に殺されます。不思議なのはバラム。彼は占い師としてモアブ王バラクからイスラエルを呪うように頼まれましたが、一度だけでなく三度もイスラエルを祝福してしまいます。しかしそれはバラムが高潔な人物だったことの証明にはなりません。
彼はまるで別人のように今度は、イスラエルを偶像に引き込むために画策しました。いや、別人なのではなく、ここにこそバラムの本当の姿があったのです。報酬を目当に…。神はバラムを、その前にはイスラエルを祝福したからここでは大目に見ようなどということはなさいません。神の民を偶像に引きずり込んだ悪事に、正しいさばきを下されたのです。
ここを読んでおぼえた聖書、それは、「復讐と報復はわたしのもの」という申命記32章35節です。このことばを、パウロはローマ人への手紙で引用しています。このような厳しい復讐の出来事を通して、われわれも復讐してもよいなどという結論は出しえません。神が必ず厳しい復讐、報復を与えると言っておられるですから、私たちが手を下すことではない、のです。