出エジプト記 35章20−35節
「みことばの光」の編集は、現在8月号を印刷会社に送るための最終段階にあるとともに、9月号の原稿を編集しています。8月号で6月号から読み始めるサムエル記が終わり、9月号ではエペソ人への手紙とイザヤ書を読みます。編集に取り組んでいる時と実際その日に読んでいる時とで、文章の届き方が違うということに、いつも驚いています。
この箇所には、幕屋とそれに関係のある一つ一つのものを製作するために、イスラエルの民が「主への奉納物」として持参したことが書かれています。
ここを読んで心に留めたのは、「満たされる」ということです。「みな」「あらゆる」「すべての」「満たされた」などという言葉が何度も用いられます。ここには「やりたい人がやればいい」とか「自分には関係がない」などというような態度は見られません。さらにここには、「進んで」という言葉も目に留まります。「心から進んで」とあります。義務感からではなく、強制されてではないのです。
主が自分たちとともにお住まいになるところを製作するというのは、すべての民にとっての大きな喜びだったことがこれらのことばから想像できます。
さて、冒頭に「みことばの光」の編集について書きましたが、幕屋を製作するために奉納物を主に持参する民のような心で取り組んでいるのだろうかと、自問しています。