出エジプト記 24章
「みことばの光」8月号の編集作業を、日本との間で行いました。今は時差が7時間ですので、終了したのは日本時間で日付が変わる頃。3時間の作業でしたが、さまざまな気づきがありました。
この章は、神とイスラエルとの間の契約の調印式のようなものです。
この契約は、神が提案し民が同意したものです。そのためにモーセは民を聖別し、次に十戒を基本とする契約の内容が明らかにされました。そしてここで、民は契約に同意し、契約が批准されるのです。契約とは、二人、あるいは二つ以上のグループの間で交わされる同意です。それぞれが相手のために何を行うかという条件が明記されています。契約を履行することによって双方の間の関係が保たれますが、破棄すればペナルティを課せられます。
批准(ひじゅん)のための手続きには興味深いものがあります。
一方の当事者である神は、まずモーセとアロン、そしてアロンの子ナダブとアビフ、70人の長老たちを招きます。しかし、彼らは山の頂上には登りません。それから、モーセ一人が神のみもとに登ります。そのあとでモーセは主のことば(契約の内容)を民に告げました。3節に「来て」とありますので、山から降りて来たのです。4節の「書き記した」ということばが心に留まります。
翌日、モーセは契約批准のためにいくつかのことを次々とします。祭壇にいけにえの血が注がれたこと、そして書き写した「契約の書」をモーセが民に読み聞かせ、それを聞いた民が「主の言われたことはすべて行います。聞き従います」と言ったことで、契約が結ばれたのです。
そのあとで、驚くべきことが書かれています。なんと、イスラエルの指導者たちが「神を見た」のです。それにもかかわらず、彼らは死ぬことなく、それどころか、食べたり飲んだりしたのです。10節に目が留まります。彼らがその時に見た神の御姿でした。ここを読んで、聖餐式の時に読まれることの多い、イエス・キリストのことばを思いました。マタイの福音書26章29節
「わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」
古(いにしえ)のイスラエルの民が特別に見せていただいたまばゆいばかりの光景が私たちにも約束されていると考えるなら、心が踊ります!