民数記 11章16ー35節
きのうも午後、近くの別の公園に…。池ががちがちに凍っていました! けれども、鳥も人も元気。今日もすぐ近くに鳥がとまってくれたのですが、慌てているうちに飛んで行ってしまいました。
民の不満に限界を訴えたモーセに、主は圧倒的な力でお答えになります。モーセの上にある霊のいくらかを70人の長老たちに分け、彼らもまた預言します。このことで長老たちは、自分たちがモーセとともに重荷を負うことを自覚できたのではないでしょうか。
もう一つは、うずらを降らせられたこと。これでもか! というほどのうずらを…。そのうずらを集める民の浅ましさも印象的です。これは、欲望に駆られた民へのさばきでもあったのです。
「主の手は短いのだろうか」という主のおことばを目に留めました。ここでは肉が食べたいと不平をぶつける民に、食べて食べて吐き出すほどのうずらを降らせるということに現われましたが、もちろん、単に食べ物のことだけではありません。天地をお造りになったお方、罪人を滅ぼさずに贖い出して救い、いのちを与えるという不可能を可能にしてくださったお方だと聖書は語ります。
預言者エレミヤの祈りのことばを記します。「ああ、神、主よ。まことに、あなたは大きな力と、伸ばした御腕とをもって天と地を造られました。あなたには何一つできないことはありません。」エレミヤ書32章17節
[おわびと訂正]「みことばの光」1月21日本文(50頁)7、8、10行目にある「四部族」は、正しくは「三部族」です。おわびして訂正いたします。