みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

変装

2020年05月22日 | 列王記第一

列王記第一 14章1−20節

「さあ、変装し、ヤロブアムの妻だと分からないようにしてシロに行ってくれ。」 列王記第一 14章2節

 きのうは「キリスト昇天日」で祝日。6月からの礼拝再開に向けて、3月15日以降久しぶりにお借りしている教会を訪ねました。もちろん礼拝堂は、そこにありました。礼拝の場所は最後の礼拝を終えて施錠した時のまま。再開のためには、守らなければならない厳しい決まりがあります。

 14章前半はヤロブアム王が後継者と考えていた息子が病気になり、預言者によって語られたことばどおりに死んでしまうという出来事が描かれています。

 ヤロブアムは病気になったわが子がどうなるのかを知ろうとして、かつて自分が王になると神のことばを届けてくれた預言者アヒヤのもとに、妻を変装させて向かわせます。変装させたのは、自分の窮状を知られたくなかったのかもしれません。王としての強がりと弱さとが混ざり合っての変装でした。

 変装は人の目には効果がある場合もあるのでしょう。しかし神の目の前にはすべてがお見通し。預言者アヒヤは神のことばどおりに、夫の罪とそれゆえ子どもが死んでしまうという厳しいことばを伝えます。そして、ここでも神のことばは実現するのです。

 ヤロブアムの王としての22年の歩みの中で、彼は神に自分の罪を悔い改める機会を何度か与えられました。しかし彼は、その都度神に行き着くことはありませんでした。神の人がベテルの祭壇に向かって預言したときにも、神の人に贈り物をするということで納めようとしました。そしてこの時も、息子の病に瀕して彼自らが神に罪を悔い改めてあわれみを乞う機会を得たのですが、勝手に自分の後ろ盾だと思い違いをし、人間アヒヤにしか行き着くことがなかったのです。

 時に変装することで、時に人にすがることで、神にたどりつくことなく「お茶を濁して」はいないか…と、問われます。


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