みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主の目に悪であること

2020年05月27日 | 列王記第一

列王記第一 16章21−34節

オムリは主の目に悪であることを行い、彼以前の誰よりも悪いことをした。」列王記第一 16章25節

 昨日は午後から街中へ。いつも使う駐車場の入口で駐車券を受け取るはずなのですが、ボタンを押しても出てきません。係のお兄さんが「いいから、そのまま進め」と言います。どういうシステムなのかいぶかりながらの帰り、料金を払う器械が新品になっていました。そして、自分の車のナンバープレートの番号を入力すると料金が表示されるではありませんか。これまでは清算済の駐車券を入れるとゲートが開いたのですが、昨日はゲートが自動的に上がりました。「ペーパーレス」になった、ということです。これまで慣れてきたことがガラッと変わると、慌てますね。自分の車のナンバーを覚えていないと…。

 この箇所には続けて、北王国イスラエルの王たちの変遷が綴られます。オムニ王は初めの6年間は対抗勢力のトップがいたために一部の民の王でしたが、ライバルの死によって北王国全体の王になりました。そして12年間王位に就いた後、その子アハブが王になりました。

 オムニは都をサマリアに遷し、アハブはサマリアにバアルの神殿を建て、北王国でバアル崇拝を進めました。ですから、オムニやアハブの頃、北のイスラエルは経済的に繁栄し、安定していたということがうかがえるのです。王として彼らの人気は高かったのではないかと想像できます。

 この二人の描写で共通なのは、「主の目に悪を行い、彼以前の誰よりも悪いことをした」です。オムリについては25節で、アハブについては30節にそのように言われています。

 ここを読むと、誰が王になるのか、誰を王にするのかという最も大きな目安は力が強いことにあるのでは、と思わされます。そこには「主の目」「主のみこころ」は働きません。力が強くて前の王をひっくり返すほど力の強い者がもてはやされるような社会なのです。しかし、列王記の著者は二人を「主の目に悪を行った」として一刀両断にします。

 「主の目に」を心に留めよう。

*レンブラント「目をえぐられたサムソン」シュテーデル美術館


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