列王記第一 15章25−34節
「彼は主の目に悪であることを行い、ヤロブアムの道に歩み、ヤロブアムがイスラエルに犯させた罪の道に歩んだ。」 列王記第一 15章34節
日曜日のインターネットを介しての礼拝も昨日で十回を数えました。集まっての礼拝の準備も始めていますが、前のめりにならずに慎重に…が大切な時期かと思います。
列王記では、書名のとおりに北王国イスラエルと南王国ユダの王たちが登場しますが、南の後は北、その後は南に…というように紹介されるので、少々読みにくいかもしれません。15章前半は南王国の王アサのこと、そして後半には北王国のナダブ、そしてナダブを殺して王となったバアシャが登場します。
ここを読み目を留めたのは「道」ということば。ナダブについての記述の中には「父の道」、「罪の道」とあり、バアシャについての記述では「ヤロブアムの道」、「罪の道」とあります。二人とも、「罪の道」をたどったという共通点があります。
バアシャは、北王国イスラエル初代の王ヤロブアムの一族を根絶やしにします。そして、彼のこの残忍な行為によって、神がかつてヤロブアムに語ったことばが実現することになります。バアシャは、ヤロブアムの家を断ち切ることはできましたが、ヤロブアムの道を断ち切ることはしませんでした。
「道」というと、日本語では特別な意味があります。「柔道」「剣道」「合気道」というと、単に闘技、スポーツということだけでなく、精神や心構え、人としての在り方ということも含まれます。「道」は、その人の生き方なのだと言えます。
信仰者はイエスに倣う者。それはつまり「イエスの道」を歩む者ということです。自分はどうなのだろう…。どの道を歩いているのだろうと立ち止まって考えさせてくれる箇所です。