列王記第一 16章1−20節
「……主のことばがあった。」 列王記第一16章1節
以前の働きの場の一つ、「行田のぞみ園」のブログを訪ねたら、「5月のクリスマス」というタイトルが…。思い出しました! ローラ・インガルスワイルダーの「長い冬」を…。あまり紹介すると「ネタバレ」になりますので、興味のある方は、左側のブックマークをクリックしてみてください。
16章前半は、北王国のイスラエルの王たちのことが綴られています。そろそろ北か南か、誰がどちらかなどこんがらかってきそうなので、整理してみました。()内は在位年数。
北王国イスラエルの王たち 1.ヤロブアム(22) ⇒ 2.ナダブ(2) ⇒ 3.バアシャ(24) ⇒ 4.エラ(2) ⇒ 5.ジムリ(7日間) ⇒ 6.オムリ(12)
どの王にも、神の目の前に罪を犯したという共通点があります。そして、バアシャがヤロブアム家を根絶やしにしたように、ジムリはバアシャの一族を根絶やしにするという共通点もあります。
南王国ユダはダビデのともしびを灯し続ける言わば正系であるのに対し、北王国イスラエルは傍系だと言えます。だから、神の目に悪を行うようになっているのだと考えやすいのですが、そうではありません。
神はヤロブアムを王に立てる際に、神に聴き従い、ダビデのように歩むならば一緒におられると約束されました。⇒11章38節 ですから、イスラエルの王たちが主の目に悪い者たちだったというのは、どうしようもない運命のようなものではないのです。
イスラエルに神が預言者を送り、厳しく罪を指摘しさばきをなさると言うのは、別の見方をすれば、彼らを見捨ててはおられないということもできます。