みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

祈る所、祈ること

2020年05月12日 | 列王記第一

列王記第一 8章27−53節

 日本は真夏日だと報じられていましたが、当地は肌寒い月曜日でした。気がついてみたら、ガソリン代がずいぶんと安くなっています。利用する側にとってはありがたいですが、経済を回す人々には厳しい日が続きます。

 ここには、神殿奉献式でのソロモンの祈りが記されています。

 神が示した設計図どおりに神殿は建て上げられました。前にも書きましたが、神殿の大きさは、いにしえの巨大な建造物や現在の超高層ビルなどとは比べにならないほどのものであることに気づかされます。事実ソロモンは祈りの中でそのことに触れ、「実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません」と祈ります。ここに、神の謙遜を見ることもできます。

 そして、この神殿は祈る所だともソロモンは祈ります。31節以降では、ここで人が何を祈るのかが連ねられます。ここに出てくる祈りの内容は、人生において私たちが途方に暮れ、行き詰まることがらのほとんどです。このような時に、天地の創造主であり、造られたものを慈しんでおられるお方が祈りに耳を傾け、それに答えてくださるというのは、心強い限り。

 もちろん今、ソロモンの神殿はありません。それではどこで祈るのでしょう。イエス・キリストの御名のゆえに、私たちはどこからでも祈ることができるのです。ありがたいことです。


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