みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主が仕向けられたこと

2020年05月18日 | 列王記第一

列王記第一 12章1−15節

…主がそう仕向けられたからである。」列王記第一 12章15節

 一緒に集まることができなくなり、インターネットを介しての礼拝を開始して9回目のきのう、ネット環境がそれほどよいとは言えない当地では、配信中に速度低下でドキドキすることが度々。この頃は会社も学校でも、あちこちでネットを介しての仕事や授業が盛んですが、これも「新しい生活様式」の一つかもしれませんね。

 ソロモン亡き後、その子レハブアムが王となるべくエルサレムではなくシェケムに出向きます。シェケムは、聖書では度々登場する地。カナンの地に入ったアブラハムに主が「この地を与える」と言われたのはここでした(創世記12章6節)。ヤコブと家族が住んだ場所でもあり、カナン定住後はエフライム部族の中心地となり、ヨシュアと民とが主に従うとの契約を交わしたのはシェケムでした。

 エフライム部族は十二部族の中では勢力が大きく、分裂後の北王国の首都であり、やがて北王国イスラエルはエフライムとも呼ばれるようになります。

 そこにユダ部族出身のレハブアムが出向いて行ったのですから、スポーツで言えば「アウェイ」ですね。案の定、ソロモンの姿勢に不満を持つ北の人々はヤロブアムを立て、レハブアムに北の負担を軽くしてほしいと願うのです。そして、ここにあるように、レハブアムは聞くべき助言を退けて愚かな対応をし、国は二つに割れていくのです。

 15節の「主がそう仕向けられたから」ということばに目が留まります。これは、レハブアムの意志とは違って、物事があらぬ方向に動いてしまったということではありません。レハブアムが愚かな答えを出したのは、あくまでも彼自身の判断。しかし、主はその判断を思いとどまらせることをせずに、そのままにされたということでしょう。主に従わない者の首根っこを捕まえて、無理やりに動かすようなことはなさらないのです。

 ですから、何を思い、誰に聞き、どのように決定するかは大切なのです。「あなたまかせ」ではありません。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki