みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

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2020年05月01日 | 列王記第一

列王記第一 2章26−46節

こうして、王国はソロモンによって確立した。」列王記第一 2章46節

 久しぶりに雨の一日。カラカラだった森や畑にとってはまさに恵みの雨だったことでしょう。今日5月1日は世界中で「労働者の日」として覚えられており、当地では全国で祝日になっています。多くの人が今回のことで職を失う危機の中にあると報じられている中での「メーデー」です。

 この箇所に出てくるエブヤタル、ヨアブ、シムイの三人は、ダビデの近くにいました。それぞれがダビデへの複雑な思いを抱いていたという共通点があります。

 エブヤタルは、逃亡中のダビデたちに神にささげられたパンを与えたことがサウル王に知られて殺されたアヒメレクの子どもでした。父たちが殺されたと知らせに来た若きエブヤタルにダビデは、「私と一緒にいなさい。恐れることはない」とことばをかけます。ダビデは父たち祭司が殺されたのは自分のせいだとの負い目を覚え、以来祭司エブヤタルをそばに置き続けました。

 ヨアブはダビデの軍隊の責任者として、時には汚れ役も引き受け、王をいさめるなどして仕えてきました。しかし、彼はダビデの処遇に不満を感じることがあり、冷酷な仕打ちへとつながったのかもしれません。特に家族への情ゆえに躊躇するダビデに代わって反乱者アブサロムを殺すなどしました。

 シムイは、ダビデが窮地に陥っているときに、王であるダビデを呪いました。しかし、ダビデのあわれみによって生き長らえさせてもらいました。しかし、彼は自分が赦されていることへの重みを忘れて、軽率な行動をとりました。奴隷がペリシテのガテに逃げた時、彼自らが奴隷を連れも戻しに行ったことが直接の理由となって彼は殺されました。

 赦された者であることを忘れずに生きるとはどのようなことなのかを、三人の結末から思うのです。


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