使徒の働き 16章11−24節
きのうから日曜日まで、年に一度の「ヨーロッパキリスト者の集い」が南ドイツ、シュバルトバルト(黒い森)の中で開かれています。きのうは涼風が心地よい晴天。しかし、フィンランドやノルウェーから参加した方は「暑い」と言っておられました。
海を渡って、マケドニヤに足を踏み入れたパウロたち。ピリピで彼は出会った人たちにキリストを語りました。ルデアは、神を敬う女性。テアテラ市とは、現在のトルコ西部のアクヒサルです。ですから、彼女は商売をして海を渡ってピリピに来ていたとも考えられます。祈り場のある川岸でパウロの話を聞いたのはルデヤひとりではありませんでしたが、主はルデヤの心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされたとあります。
この一言に、福音がどのようにして人の心に届くのかを考えます。主が心を開いてくださるのかどうかにかかっているのです。聖霊によらなければ、だれもイエスを主と信じることはないとのことばが聖書にあります。神のことばの力に信頼して語るようにとの励ましを、私は個人的にいただきました。
二人目は、占いの霊につかれた女性。名も記されていない彼女は、パウロが霊を追い出してからは失職したものと考えられます。この女性についてはそれからどうなったかは名にも記されていませんが、キリストにあって新しい出発をしたことでしょう。
そして三人目は牢の看守。彼も、パウロとシラスの牢番をすることによって人生が大きく変わるのです。
*写真はバッハの家(アイゼナハ)でいただいた木の実のタルト