みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ペテロが立ち上がって

2016年07月23日 | 使徒の働き

使徒の働き 15章1−11節

木曜日の夕食後、久しぶりに公園で走りました。次々に追い抜かれていきますが、仕方がないと思えるのはやはり歳をとったこともあるのかもしれません。ゆっくりしたペースで走り良い汗をかきました。そして金曜日の夕食後、「きょうも!」と思っていましたが、夕立が降って中止。

 15章には、最初の教会会議の様子が描かれています。議題は「異邦人に割礼を受けさせ、モーセの律法を守らせるか否か」。伝道旅行から帰って来たパウロとバルナバは、「異邦人に信仰の門を開いてくださったこと」を送り出したアンテオケ教会に報告し、すでに異邦人にも福音を伝えており、いっしょに歩んでいた教会もその喜びを共有していたのですが、それに異を唱える人々がエルサレムからやって来ました。恐らく、アンテオケ教会ではユダヤ人も異邦人もいっしょに礼拝をし、生活をしているとの話がエルサレムに届いたからでしょうか。律法を重んじ割礼を受けるユダヤ人で構成するエルサレム教会には信じがたく、またその中のある人々にとっては許しがたいことだったのです。

 「それなら、私たちは自分たちの道を行く」とアンテオケの教会は突っ走らず、この問題をエルサレム教会と話し合うために、パウロとバルナバと幾人かの仲間たちがエルサレムに上りました。ここに、対立回避の大切な鍵があると思いました。意見が違う、考え方が違うからといって、別の土俵で相手をこき下ろして自分たちの正当性だけを主張するのではなくて、いっしょの話し合いの場所に立つことの意味を教えられます。

 もちろん互いに受け入れがたいことが議題ですので、激しい論争は予想されます。その後でペテロが口を開いて、自分自身が異邦人コルネリオの家に行って福音を伝えた経験を証しし、さらに、自分たちも行ないによってではなくて主イエスの恵みによって、つまり信仰によって救われたことを信じているではないかと話しました。考えてみますと、ペテロの前にパウロやバルナバが話をしたら、会議での対立はもっと激しいものになっていたのかもしれません。だれが立ち上がって話すかということの中にも、宣教の主であるお方の心遣いをおぼえるのですが、いかがでしょうか。

*写真はヴァルトブルグにあるルター聖書翻訳の部屋


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