みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

心定まらず

2016年07月06日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 12章

 この文章を書いているのは、当地の時刻で前日の夜であることが多いのですが、昨晩も夜の10時を過ぎてようやく空が暗くなってきました。近くの木の上からは、美しい鳥のさえずりが届いてきます。お休み前の神への賛美、祈りのように響き励まされます。夕食の後、近くの広い公園に散歩に出かけました。いつの間にか小さなプラムが色づいていました。下の方はどなたかがすでにとって楽しんだようです。私たちも棒を伸ばして、二三個いただきました。酸っぱくってお店で売っているのとは違うおいしさでした。

 歴代誌の作者はレハブアム王について三章を費やしています。ヤロブアムにユダとベニヤミン以外の部族をとられてしまったこと、そのあとの三年間は主に立ち返って国の守りを強固にしたこと、そして12章には、王位が確立すると彼が主の律法を捨て去ったことと、そのためにエジプトがエルサレムに攻め込んだこと、レハブアムと家来たちがへりくだったので、何とかエルサレムは保たれたのですが、エジプトに多くの財宝を奪われたことが書いてあります。

 この章で印象に残った二つのことばがあります。

 一つは、8節にある「わたしに仕えること土地の諸王国に仕えることの違いを思い知るために」との主のことばです。このことばをいろいろと思い巡らしてみますと、主に仕えることが何にもまして喜ばしいことなのだということを思わずにはいられません。あなたはだれに仕えているのか、仕える相手の奴隷のようになってしまってはいないだろうか、などということを考えさせられます。

 二つ目はレハブアムについての聖書の総括とも言える、「心を定めて常に主を求めることをしなかった」ということばです。このことばこそ、レハブアムとはどのような王で、どのような人だったかを表しているように思えました。主が遣わした預言者に、「主は正しい」と答える王と取り巻きたちですが、あまりにもこの一言が軽いように思えるのです。「主は正しい」とここで答えるのならば、どうして主の律法を捨てたりするの! ということでしょう。心をだれに向けているのか、定まっているのかと自問することばです。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki