みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

金の冠

2016年05月26日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 20章

 この章は、「年が改まり、王たちが出陣する頃」で始まります。これと同じ出だしはサムエル記第二11章です。この二つの章を読み比べてみますと、サムエル記には記録され、歴代誌に省かれている出来事があることに気づきます。ダビデが姦淫と殺人を犯したという罪です。歴代誌の作者にダビデの不祥事を隠してよいところだけを書こうとする意図はありません。歴代誌を読む者にはすでに周知の出来事であるということを前提としているのだと考えます。ダビデが罪を告白し、悔い改め、赦されたことを書く者も読む者も了解しているのです。

 サムエル記によるならば、ダビデの頭にアモン人のの王の金の冠が載せられたのは、ダビデが悔い改めて後のことだということです。ということは、ダビデの頭に重さ34キロの金の冠が被せられたというのは(そのあまりの重さゆえに長い間被ったままではいられなかったでしょうが)、もちろん、ダビデの勝利を表わすものですが、それとともに、罪を告白し悔い改めた者への神の恵みの大きさ、豊かさを象徴するものだとも言えます。

 金の冠を被るダビデの姿と、一番よい着物を着せられ指輪をはめ、くつを履いている放蕩息子の姿とが重なる思いがします。⇒ルカの福音書15章22節 赦される恵みの豊かさ、大きさが伝わってきます。「こんなものでいいのですか」と、まじめにやっている人からは非難されるほどのことかもしれませんが、よくよく考えてみますと、私たちも同じように豊かに赦されているのです。

 頭に乗り切れないほどの重さの金の冠以上の恵みを賜わっているのですね。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki