みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主イエスのように

2016年05月12日 | 使徒の働き

使徒の働き 7章54−60節

 きのうの午後、運休中の最寄り駅のプラットホームの脇と通りましたら、ホームに腰掛けて線路に足をばたばたしている人たちを発見。運休中ならではの景色でした。

「みことばの光」では、ステパノの弁明を少しずつ読んできました。きょうが結末です。ステパノは、激しい怒りに駆られた人々によって石で打たれていのちを落とすのです。使徒の働きにあるイエスの弟子たちの中での最初の殉教者がステパノでした。

 怒りと敵意がステパノに集中しました。特にステパノが「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った時、人々の激しい感情はステパノ殺害へと爆発していまいます。「人の子」ということばは主イエスがご自分を指す際に用いられたことばですが、ステパノもここで主イエスを「人の子」と呼んでいます.それは、このあとのステパノのことばが主が十字架の上でお語りになったことばと通じ合っているということへと、読む私たちを考えさせているのだと思います。

 殺される時のステパノの祈りは、主イエスが十字架の上で祈られたことばと重なります。ステパノがここで、主イエスがお用いになったことばを用いようと考えたということではないでしょう。けれども、彼のこの祈りのことば、人々の怒りを身に受ける姿勢は、主十字架に向かわれる、そして十字架の上での主イエスのようです。

 このステパノの最期は、少なくとも一人の人の人生を変えるためのきっかけの一つになったのは確かです。その人とはサウロ(パウロ)です。


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